2016年10月4日火曜日

兎追わないけど、小鮒は釣った、故郷


 普段は水がないところなのにちゃんと川になっていて、今年の水の多さ地元の人もちょっと驚いている。
 小学校1年の冬に札幌に引っ越して行ったので覚えてることはもうそんなになく、時々地元の人に「俺のこと覚えてるすかやぁ?」と聞かれると辛い。特に人の顔は40年50年経つとだいたい原型をとどめていないし、子供からいいおっさん、さらに爺さんに変貌すると質問自体に無理があるんだけど、地元の人は容赦しないなあ。兄貴、姉貴の代になるとそれでもいくらか面影が残るので判別可能になるんだけど。

 左側に自分の家があって、近所に親戚がたくさん集まっている。
 右側の道路は古くから雑貨屋をやってる勝治屋商店に続いていて、さらに川沿いの道を15分くらい上って山道に入っていくと追分温泉につながり、さらに山を抜けると柳津につながって右に行くと気仙沼、左に行くと国道45号線、もくもくランド、柳津虚空蔵尊がある。
 山の稜線だけが変わらない。道も震災後あっちこち沢山出来て、家はある時期からガラッと変わり、アスファルトが敷かれ、木が消えたり街灯がつき、自販機が光り、車のライトが夜空を回して、ほぼ歌通り。
 「NO no no」は変な歌なんだけど、田舎のファンタジーです。
 一途な月に入っているので再確認してください、もし持っていたら。
 雨上がりの7月の夜、カエルが鳴き始める頃に、玄関のガラス戸にびっしりと張り付く小さなアマガエルの団体、こいつらこんなに可愛いんだって感動する。
 村で初めての美容室の小さなネオン、トイレに起きた時に空気入れ替えの窓から不気味に光ってるんだけどなんだかしみじみ感動する。
 何年たっても微動だにしない天の川(動いているんだけど、それでも泰然としている)。時々山鳩やフクロウが裏山で鳴く。
 金があったら平屋でも建てて余生送ってみたいな、などと思うけど。

 被災地はいろんな人が言うようにあまり変わっていない。
 土木工事があっちこちでまだまだ進行中、工事は普通始まれば終わるんだけど、その終わるという熱意が見えないままダンプカーが道を往来している。僕らはどこまでいってもそこに住んでる人じゃないのので、無闇なことは言えないし、言える筋合いのものじゃない。
 いろんな話を聞いたけど、文字にすると都市伝説みたいな話になってしまうので書かない。



9月14日のValentine concert 無事に終了しました。
 
最終リハーサルが終わり狸小路3丁目あたりの喫茶店でケーゾーさんとお茶を飲んでた時、
「あのよう、出(で=コンサートなどでの出る時のキッッかけ)なんだけどさあ、お前、客席から出てこない?」
 「いやだ。ハンドマイクで歌いながらということでしょ?」 
 「そう、歌謡ショーみたいに。お客さんに愛想振りまいて。」
 「できると思う?」 
 「思わないけど、面白いベェ。なんたって、昔、市民会館で踊ったべや。」
「One on One」が出た頃、市民会館で一度だけ大きな人形相手にワルツを踊ったことがあった。その時も焚きつけたのがケーゾーさんだった。
 全国ツアーの時も灯り屋さんでついていたのがケーゾーさんだった。
やったことないことは基本的には一度やってみるというのがこの頃の自分のモットー。

 やればできるけど、もう一度どうかと聞かれたら・・・うん、やるかもしれない。

弦のお姉様たち、今回もますます強力にグレードアップしてサポートしてもらいました、杉田知子さん、佐々木た聖子さん、岩田貴子さん、中川恵美さん、3年目の盤石感は前で歌っていてひしひしとありがたみを感じさせてもらいました。
木管のお姉さまたち、上野愛美さん、菅原由香さん、清水彩会さん、初顔合わせでしたがいい音を出してもらい、無理を言ってしまい本当にありがとう。機会があったらまた一緒に遊んでください。

 人が大勢になって音楽を作っていく。基本は僕一人から、二人になり、三人になり、バンドになり、ストリングス、木管になり、ゆくゆくはどこに行くのか知らないけど、頭のんかをもう少し解放しておく時間を長く見ておこうかな。
 アレンジにはいつものように言いたい放題、あとは出来上がってきたものにまた言いたい放題、その大きな心に(ん?)多大なる感謝、廣瀬いづみちゃん。
 何がどうなろうとも動じないロケット姉妹の扇柳トール、長い付き合いなわけだ。

 そして、今年もこんな気持ちのいいコンサートを作ってくださった皆さんに大感謝です。いつも言ってますが、皆さんの出資がなければ僕らはコンサートを運営していくことはできません。
 目黒さんに変わって厚く御礼申し上げます。
 おい、目黒さん、一度くらいはここに出てきて皆さんに普段の不調法を詫びて、厚いお礼を言いなさい。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿