2014年7月31日木曜日

7 冬列車


暑い日も構わず自転車。
モナミ公園を登って行くと喫茶店がある。
自転車用の飲料水は積んであるので普段は滅多に喫茶店に入らないんだけど、流石に30度近い日は休みたくなる。
窓の向こうには写真の様に林があり、その下には真駒内公園を流れる小さな沢が流れている。
この時間はここの店のオーナーしかいないみたいで、アイスコーヒーを頼んだあとに、タバコを吸うかどうかから話をすることになった。
似たようなタイプで取っ付きにくそうな風貌。
彼は30年生まれで、世代的に近所といえば近所で、70年の東京から話のスタート。

どういう訳か僕等の共通言語は70年。
タモリが「振り返って何が悪い、楽しかったじゃないか。」と言ってたけど、そうだね。
振り返ると何もないというよりもあった方がいいな。
瞬間的に話し相手になれる人というのもそういる訳でもなく、店を出れば僕はまた自転車に乗って真駒内公園に入って行き、オーナーはオーナーでまたテーブルを拭いて次のコーヒーを入れる。
暑い夏。
何がしかのフック。

列車って孤独な物体なんだけど、冬に走ると更に拍車がかかる。
白と黒の景色の中に真っ黒な煙を吐いてがむしゃらに雪原をかき分ける。
むかし昔をいっぱい背負って頭の中を走って行く。
ラジオのディスクジョッキーが湯気を上げてる薬缶の向こうで聞こえる。
蛍光灯の明かりが光の範囲だけを照らし、もらったポスターが壁に貼られ、時々静かな音がシンとなる隙間に汽笛が聞こえてきて、青春てあるよなあとぼんやり思った時間。
思い出してみることなんかないけど、今こうやって書いていると、すきま風は入ってくるけど、まだ心の容量は大きかった。

まだ水だしコーヒーなんかない。
D51の三重連、鉄橋を渡るのをもう一度見たいなあ。

頼まれていた歌、もうすぐ出来るよ。
詩はメールで送ったように結構ずたずたに切っちゃったけど怒らないでね。
サビがまだ最終的に決まらなくて、ちょっと迷っている。
みんな恥ずかしい青春送ってきたんだなあ。

僕は自分の「桜三月 猫の鼻」を作る。



2014年7月22日火曜日

6 JIJO


このところリスが来なくなった。
と書いて何行か書いてみたけど、格別にたいした話になりそうもないのでやめる。
カラスにやられたのかもしれないと思い、濡れ衣被せようと豊平川の柵に巻かれたガムテープをしきりに食おうとしているカラスの写真を載せたけど、そうか、といわれるだけで大して話は弾まないな、こりゃ。

人の携帯にはみんな大変な数の写真が保存されているらしい、1000枚とか2000枚とかいうのを聞いて、よくそんなに撮るものがあるもんだと感心していたら、いつの間にか500枚になろうとしている。

よくそんなに撮ったと自分でも感心する。
見てみると思いの外あっという間に見終わってしまう。
たいした数じゃないんだ、なるほど溜まるはずだ。

一気に消してしまえる機能というのはあるんだろうか?この携帯の写真というのは。
たいていは人の顔と自転車に乗ってる時の景色。

簡単に消せると思っていたけど、いざやってみると思いの外消せないもんだ。

写真がどういうものかわからないけど、消そうとすると結構好きなものがあったりするから。僕個人の目なんだけど、選り好みははっきりあるみたいだ。

で、ざっくりと撮っている気がしていても、なんだか結構面倒臭くこだわってるところもある。本人さえ気がつかないこだわりがあるんだね。

で、こうやってブログなどに堂々と自分の撮った写真を載せているとことを見ると、それなりに何がしかの自慢があるんだろうなあ?困ったものだ。
文章書いているだけでも可成り恥さらしているんだけど、写真で更に盛る。
基本的に慣れというのは少しずつ恥の感覚を麻痺させる。

リスの話からここに来たか。

まあ、何でもいいや。

今日は一日中9月14日のコンサートの練習(まだ個人レッスン)。
差し替え用の曲選び。
カバーを選んでるんだけど、歌いたい曲って結構あるもんだ。
マーク・ノップラーでもやろうかなあ。
弾いててむちゃくちゃ気持ちがいい。聴いててもいい気持ちなんだけど、やってみると別の所が気持ちいい。気がつかなかった。
ナット・キングコールもなあ。We were not too young at all ♪
久しぶりにギターのコピーまでやっちゃって、疲れた。

今回のセプテンバーバレンタイン コンサートは新札幌から街の真ん中に出ることにした。グランドホテルですじゃ。エスアールのページにも載っているし、明日あたりにはここにものせておきますのでご覧下さい。
中身は力の限りです。ただいまアレンジを鋭意創作中。

jijo ニックネームを持ってる人はいつまでも人の記憶に残る確率が高いと思う。
ゴメス、ヨロ、ディッキー、石炭、トンチョ、エンタ、キンチャン、カメ、アポロ、たこ、アボガドロ、おくやま。
僕はJIJOのことをよく知ってる訳じゃない。
他人の彼女をいつまでも憶えているというのはそんなに尋常なことではなく、多分、持っていたニックネームの本人だってその名前を憶えているかどうかさえ分からない。
今どうしてるかな♫、ジャカジャッ、ジャジャッジャ、ドン。

おわり

 




2014年7月14日月曜日

月よりの使者 part 3


スポ太郎が死んで8年経った。
何年経ったかの記憶が曖昧になってくる。
毎年花を送ってくれる人がいて、当時ずいぶん色んな人に気にかけてもらっていたんだと、毎年思う。
この日記の2006年7月14日の所を見ると今、書いた本人が読んでもなんだかつくづく悲しい。
焼いてもらいに行ったとき、スポ太郎、大きくて箱に入りきらなくて、そこのお兄さんが「入らないですねえ、普通はこれに納まるんですけど、ちょっと無理して入れさせてもらいます。よいしょ、よいしょ。」と押し込んでいた。
帰る途中骨壺抱えながら笑った。悲しいんだけど。好きなもの食い放題の猫だった。
今にして思えばよく、2年半、注射打ってたなあと思う。
糖尿病がわかったときに、何も手を施さないという選択肢を選ばなかったことが、かわいそうだったと今にして思う。
低血糖、高血糖で相当体が痛めつけられた。
本当に悪い飼い主だった。


松が来てまる6年。
7歳になったと思って半年前から「7歳以上 シニア 高齢猫用」というのに替えた。
まだじいさんになってもいないのに早々に準備させられて、うちに来る猫は災難に遭う運命。
かつてないおいしさ、優れた栄養バランスと袋には書いてあるんだけど、これが酷い臭いで、松も最初は手で見えない砂をかける行為をしていたから同じ感想だったんだろう。
猫がいる生活20年。
もう立派な猫飼い人だ。

最近かわった本を読んでいる。
最初から使ってる言語が違う本で、日本語なんだけれど意味を拾うのに相当エネルギーがいることが書かれている。人はそれぞれ違う言葉を持ち、違う世界をもち、思いも寄らないことを考えながら暮らしている人の円がある。
読書は習慣だということがこの本を読んでつくづく思う。
自分が作った道に沿ったものを選び、おおよそ同一のものを選って、自分にとって異端なものは知らず知らずに排除している。
結構自分って融通のきかない奴だったんだというのを再発見する。
何読んでるかは書かない。

そろそろ、月より使者から次ぎに行かないと。
ずいぶん前に風水が流行った時があって、世の中、大雑把に言って風水で解決が着くと大げさに言ってた人がいて、へえ、そんなものか、気というものが広くは宇宙、狭くは人体にまで影響する、へえ、すごいね、なんか適当でいいねと感心していた。
今の時代、気を感じて建物も家も道路も街も造らないだろう、昔の風水師が今の街を見たら気が澱んでる所だらけで、それこそ禍々しいものが満ちあふれていると看るだろう。
そこにビルに覆い被さらんばかりの三日月。
月よりの使者というと僕には月光仮面しかいない。
人々を救うのは三日月のマークを覆面の額にはり付けた月光仮面。
複雑なものをそこまでシンプルにするか?あなたは、という月光仮面。
デモテープにはアウトロの最後で微かに月光仮面のテーマが流れていたんだけど、流石に古館君、若いからそれには気がつかなかったのか、スルーだった。
稲村さん作ったもとのコード進行とは大分違うけど、大分どろっとはしたかな?
カネ久のデモを聴いてもらった時は、笑ってた。
CDになる前の録音はパーカッションがこの3倍くらい入っていて、賑やかすぎたので削り落とした。
僕の街の風景は年をとるにつれて、街の中心部から少しずつ外にずれていってる。

写真はもう少しで苗穂のジャスコがある豊平川の川の縁。
僕の外の写真はいつも天気がいい日。
天気の日以外自転車出さないから。