2021年12月30日木曜日

CDお求め先です。


 迂闊なことにどこで手に入れられるかということが表記されていませんでした。

ごめんなさい。

https://northworks.thebase.in に入っていただくと購入できます。

あとはミュージックショップ音楽処(札幌市中央区南1条西4丁目4丁目プラザ7F)

どうか手にとって新年のお供に加えてください。

今年も残すところ1日半になりました。

スチームクリーナー活動再開! さすがに体がだるい重い、横になったまま正月を迎えたい。


2021年12月21日火曜日

よしがんばろ!


 プロデューサープロデューサーの奥山君とアルバム作ろうか?から2年、まだ手元に届いてないのが不安ではあるんだけど、ここまで来て、そろそろ全体としては終わりが近づく。

「 a  light 」のライブを25日のクリスマスにやります。

「あかり」、という言葉の意味の中に「命」という意味もあり、だんだんとこっちの意味合いの方が多いアルバムかもしれないなあと思うようになって来ました。

ジャケットのlightにはあかりを点けたり消したりするスイッチがついています。夕方近くどこの家からともなく電球にスイッチが入り、街に一つ一つあかりが灯る。人の営みが目に見えてわかる。灯が点く時に家の中で暮らしているというのを実感できる。

大昔から夜の闇を嫌って人はあかりを灯してきた。

街を離れて車で走っていると遠くにポツンと家の明かりが見える。

好きな景色だ。人が生きている。知らない人なんだけど、生きてるんだ、としみじみ思う。

25日のラ・ファソンで行われるライブは「so-far」から始まったこのミニアルバムの来し方、行く末を最初から携わってくれた西岡君と話したいと思っています。

この「家を作ろう」シリーズは結構ねじれたアルバムで本来であれば少し説明を要する作りになっていました。うまく話せるといいんだけど。

それと今年一年去年と同じようにコロナにいいように蹂躙されたわけだけど、なんとか無事に乗り切ったことをみんなで喜びたいなあというのもあります。気合い入れ直しのライブになったらいいなあと思っています。



9月までやっていたHBCラジオの「BOOKENDS2 」の弾き語りコーナーでやっていた音源をCDにしてみました。弾き語りの上に自分のコーラスやギターをさらに被せちょっと変わったものを作りました。佐々木さん&ユキオさん(佐々木辛男と二色ユキオ)いうユニットでデビューです。25日「a light」と一緒にお披露目です。

タイトルは「 BOOKEND2PROJECT 00」1、一人コンサート、2this song 3花咲く曲がり角4 midnight station 5 and September  6 Lonly Ghristmas Bell

BOOKENS2PROJECTの後の00の番号はこれから企画が立った時のために振った番号で、何かやる気満々の表示です。奥寺君のところのスタジNOOKからの狼煙みたいなものです。



紋別、オホーツクフォーク祭りは素晴らしいものでした。

第一部 桜庭和、堀江淳、倉橋ルイ子、第2部 佐々木幸男、鈴木一平、山木康世、第3部 五十嵐浩晃、VOICE,みのや雅彦,各氏万全の体制でのステージでした。

もう一度このメンバーでできるかというとそう簡単には首肯できないかもしれません。11回の長きにわたって開催できたということ自体が稀有なことでしょうし、そのことを正しく認識出る人もそう多くはないのが残念です。僕らやる側は舞台があってお誘いがあれば行くことはできるのだが主宰する側になるとその苦労たるや生半可なものじゃなく、毎年なんでもないかのごとく振舞われる村谷さんの数々の苦労本当にありがたいことでした。特にこのコロナの間にあった数々の折衝、よくぞ無事に開催、無事打ち上がったものと本当に感謝に絶えません。スタッフの皆さんも本当にご苦労様でした。これはこの先語り継がれることだと思いますし、僕らも時間が経つにつれ、このオホーツクフォーク祭りのことを懐かしく思い出すはずです。これからは規模を小さくしてこのオホーツクフォーク祭りの心意気は繋いで行くとおっしゃってた村谷さん、まずはしばらく休憩して、それからまた動き出してください。写真は桜庭君が僕のリハーサル風景を撮ってくれたものです。


2021年11月13日土曜日

ジャケットもできた。コーラス入れてくれた五十嵐君。






 去年の春先にはアルバムのタイトルが決まっていて、「ソファー」「ドア」「フリッジ」、家を構成するものシリーズ第4作目「ライト」。きちんと表記すると「a light」

畑江君はその頃立体作品を作っていたかたわら小さなCDサイズの絵を描いていて、ギャラリー門馬で見たとき記憶に残っていた。その時に僕は CD作りたいということを話したと思う。友達といっても大学時代、僕の音楽のスタートの FOLK INというサークルに2年後輩で部室通いしていた男でした。

電話をして藻岩下の宮越屋珈琲店に来てもらったのが4月で、書き上げた「ライト」の絵を10点くらい持って来て見せてくれた。僕はそれを預かり暫く家で眺めていた。こんなに描いてもらっちゃっていいんだろうかという思いよりも、ライトってたくさんあるんだなあ、なんて呑気なことを思いながら決定もせずに眺めていた。当時録音は遅々として進まず、というよりまだデモテープを熱心にこしらえていた。そんなに急いで進める必要もあまり感じていなかった。畑江氏は預けたままになっている絵が一体どうなってるんだろういうことの様子を伺うことなく自分の個展の準備などを淡々とこなしていた、のだろうと思う。大人だ。

僕は数ヶ月経った後に「もう少し崩した絵が見たいな。」などというよその人が聞いたら卒倒しそうな図々しいことをまた藻岩下で相談した。そういうのは相談と言わないんだけど。畑江君は「それは注文ですよね、注文になるとそこには値段がつきますよ。」そうかそりゃそうだよなあ、その仕事で飯食ってるんだもんなあ。僕らと一緒だ。畑江君は大学時代ベース弾いてた。当時の主流はビートルズの「Let it be」かサイモン&ガーファンクル「明日にかける橋」、か血まみれの鳩、70年代ぽい。あれがなければこれはないということがたくさんあって、見事にそのいい例だろう。

それから半年後にこれができて来た。このコロナでその間、約2年になんなんとしている。

しみじみとアルバムの中身の情感と一致していて、綺麗なジャケットができました。

色々迷惑を多々かけまして申し訳ありません、そしてここに揃いました。

ありがとう。

畑江俊明(はたえとしあき)札幌在住 1970年後半よりグラフィックデザインの仕事を始め、現在に至る。2011年より本格的に立体作品の制作を始め、デザインという立ち位置を踏まえながら、どのようにアートに挑んでいけるかを課題として制作を続ける。2015年 多面体の誘惑/黒い森美術館/北広島市 2015年 多面体の誘惑+第1章/さいとうギャラリー/札幌市 2016年 風のはざま kaze no hazama/ギャラリー門馬Annex/札幌市 etc




先々週、SWITCHの橋本さんからジャケットのデザインが上がって来た。定冠詞をaにするかAでいいか、Theでもいいんじゃないかと若干の小競り合いがあったけれど無事これに落ち着きそう。と最終確認を畑江氏に送ったら、電線コードの際がちょっと毛羽立っているので修正したいという注文があった、そんなにきちんと対応してもらうとただただ恐縮するんだけど。みんなこんなにたくさんこだわって世の中渡って来た。そしてそれが楽しくないわけがないことを大いに知っている。


佐々木幸男 クリスマス&CD完成記念コンサートin Sapporo

《12月25日(土) ラ・ファンソン 札幌市中央区南14条西1丁目ホテルマイスティズ札幌中島公園B1

開場 17:30 開演 18:00 チケット 5、000円   

予約問い合わせ先 ノースワークス Northworks@amail.plala.or.jp  o11-213-1722

プロヂューサーの奥山君は主催者でもあるので早く告知を打ちたい気がはやり、まだ一波乱ありそうなのにFACEBOOKにアップしている。おしなべて世の中は最終的にはまとまるからこれでいいのかもしれない。


一昨日、五十嵐浩晃君に手伝ってもらってコーラスを入れる。

僕が接待しなければいけないのにわざわざケーキを差し入れてもらい、有名な焼き芋をいただきお土産君の名をほしいままにしている五十嵐君。

コーラスは素晴らしいものがありさすがソロボーカリスト40年!安定の五十嵐節。最初はどうも小さく囁くように歌っていていわゆる五十嵐節が聞こえてこないから変だなあ、と思っていたら、僕のボーカルの真似をして合わせていたという。それ要らないから、五十嵐浩晃の声を聞きたいのだ伝える。仕上がったものはうん。どこからどう聞いても五十嵐浩晃。よかった。機会があったらバンドやろう、コーラスバンドをさ。



もうい1曲はずっとやりたかったことだったんだけど、自分の声では通りが悪いので彼にやってもらうことにした。予想以上にハマって大正解です。きっとへえっていうと思います。もう懸案事項は無くなったので残りの作業は順調に進むと思います。五十嵐浩晃、大感謝!


2021年11月6日土曜日

また秋が去って、ところでお前いくつだっけ?


 循環式の給水器に変えて暫くしたら、1日おきの便通が毎日になり、排便までの儀式も短くなって今までのけたたましさが消えた。

松にはうんこの心配以外ほとんどない。順調に年をとっている。佳きかな、よきかな。

寒くなって来てますますにじり寄ってくる頻度が多くなり、油断してると背中に飛び上がりジリジリ登ってくる。突然始まったけど意味がわからない。おかげで背中は引っかき傷だらけで色っぽいことになっている。

飼い猫は大抵健康保険、老後の心配、明日のこと、愛情問題、葬式のこと、対猫関係、文句言い放題、衣食住、大概の心配事はない。飼い主だから羨ましいと思ったらアウトなんだけど、次に生まれ変われるんだったら僕に飼ってほしい。

コロナもどこかに潜んでいて牙を磨いているのか失くなったのか定かではないけど、潜行状態。どこかで飲み薬までできたというニュースが流れていた。それも効くらしい。拓けていくときはこういうものかもしれないなあ。

明日の僕が月に一度、日曜に参加しているカラスさんの番組、AIR G 朝8時「FOLK KIDS」でようやく「 LIGHT」から1曲ON AIRされます。完成品ではないのですがなんとか聴いてもらってもいいんじゃないかということで流れます。ぜひ、よかったら聴いてください。安斉君の間奏のピアノのタッチとメロディラインの素晴らしさ。

明後日は五十嵐君のコーラスダビングが行われます。もう完成が目の前に来ている。



2021年10月9日土曜日

それぞれの秋

木下恵介のタイトルみたいですが、賑わって来たかもしれないね。世の中。

 久しぶりに五十嵐さんに会いました。

相変わらずやる気満々の五十嵐浩晃で、今年でコロナにけりをつけ、来年なんとかまともに音楽をやろうということに落ち着いた集会でした。それにしても人のいないROYAL HOSTで、人たちはまだまだ用心が続くといった風景ですね。

今、札幌円山ノクターンで生配信ライブをやっている最中です。うーん、もっと早く告知するんだった。販売 URL TIGET  https://tiget.net/events/145816、配信の購入は今日の23:59までということです。すまんなあ、五十嵐くん役に立たなくて。

山木くんも今日佐呂間町民センターでライブやってる、鈴木一平さんも釧路、別海でライブ。境長生くんも10月21日 CD発売記念ライブをCube Gardenでやります。18:30 open 19:00start予約前売り¥4,000 当日¥4,500 別途 drink ¥600

みんな動き出した感あるなあ。

ハロウィンが近いのでぜひカボチャのオブジェも入れて写真を撮りたいという五十嵐さんの要望でロイホ全景みたいな写真になりました。


今日は告知の日になりました。

大学時代のFOLK INというサークルで後輩だった漫画家の小野弥夢(おの ひろむ)さんが東京でねこ展をやります。一時期猫だけに焦点当てて描いていましたが、絵描きの性分に回帰して(勝手に解釈して本人に怒られそうだけど)自分のやって来たこととタッグを組んでの展示です。

それぞれ気合をかき集めて歌ったり描いたりしています。僕も。




2021年9月24日金曜日

10日たちましたが、元気ですか?



 コンサート終わって10日経ちました。

何か発症したとか調子が落ちたという人の話を聞かないので無事に終えることができたと思います。

2時間とは言え人が集まる場所でのイベント、相当な覚悟決心のもとに集まってもらったことと思います。リハーサルから始まる微妙な不安の連続を抱え持ち、何事もないことをひたすら願いながら1曲1曲を作り上げていく。

毎年やってるとはいいながらもこのユニットは一年に1回、あとはまた来年まで解散。

演奏終えると皆楽屋から散り散りに散ってゆく。

本当に花みたいにハラハラと散ってゆく。花には酒がつきものなのに酒の香りもなし。

楽屋のモニターを見ると客席も誘導されながら人が動いてゆく。

残ったものはみんなの拍手の音。こんな時だから時間を美しく流したい、という思いが詰まった手の音。

今年のメンバーの音を聞いて欲しかった。僕の歌を聞いって欲しかった。

みんなに元気かい?と直接聞きたかった。

ありがとう。

10日経ち、皆さんのおかげで素晴らしいコンサートが打ち上がりました、と実感できました。


Bookend 2も無事に打ち上がりました。

好き勝手にやらせてもらい、ディレクターの奥寺くん位は相当頑張ってもらって漕ぎ着けることができました。スタジオNOOKにもう1年半通っています。デモテープからスタートして佐々木さんユキオさんというユニットまででっち上げ、毎週真面目に弾き語りみたいなものを聞いてもらえたのはひとえに奥寺氏の支えのよるものです。自分一人でグループを組むという発想は結構気に入っていて、更にもう少し深いところを追求してみようと思っています。

今回は最終回の原稿を前倒しで載せておきます。まあ、フライイングというやつです。

ナレーションで付き合ってくれた佐藤舞ちゃんとも少し話をしました。「JUST FOLK」以来です。いろんなものが縁として番組が成立しました。



9月18日(土)昼から晴れ 3月23日(火)朝 快晴昼から曇り 8℃ 4月4日(日)27:30からスタートするBookend 2は以前HBCで夕方15分の番組としてやっていた。記憶はあまりなく、15分という枠が思いの外やりにくい時間だったことは覚えている・・という日記からスタートした。1年でこの日記が最後の頁(そうか、頁はひらがなだと”ぺいじ”じゃなく”ぺえじ”なのか。)にまでたどり着くかどうか自信はないが半分以上は進んでいる。もはやや日記を書くということが目的ではなく、この一冊最後まで


文字で埋まるかどうかの方に僕の興味は向かいつつある。僕の机の前には窓があり、窓ガラスの向こうに木蓮の木がある、その向こうに個人の家があり、その庭にはバスケットボールのカゴが立っている。ここに来た時にはそのゴールを使ってぼボール遊びをする子供ももういない。多分もう大きくなってしまって、もしかすると家を出てしまったのかもしれない。その隣ももう子供の気配はなく、時々夜に居間の電気が点くが静かなもので、家はそれぞれに変化していくものだ。


えっちゃんに安田さんの告知を頼まれていたそういえば。=最後の安田裕美の会 小樽=10月31日(日)昨年亡くなったギター奏者の安田さんを偲ぶ会。山崎ハコさん歌います。0pen16:30/start 17:00 5、000円(税込み)安田裕美CDつき 小樽ゴールドストーン=0134–33−5610 安田さんにはレコーディング、レコードでお世話になりました。最後にずっとナレーションをつとめてくれた佐藤舞ちゃんにも感謝、ありがとう。ひとことお願いします〜♪






 

2021年8月21日土曜日

飼い主なんかちょろいもんだ by MATSU


 暑かった日、毛だらけの猫にはクーラーもなくただ耐え忍ぶのも気の毒だと思い、夜風が少しひんやりする頃に毎日ブラッシングしてやったことに味を占め、もう十分しのぎやすくなったのにずっとブラシの前に座り込み催促する。黙って恨めしそうに座ってる。目を合わせない様にしても動かない。「あのね!あまりブラシすると毛が抜けてもう少し寒くなると風邪ひくよ、お前。」聞く耳を持たない。やるまでジッと座ってる。猫のこういう才能はちょっと真似ができない。「俺はいいんだよ、別に何にもされなくても文句ないし、ただここにずっと座ってるだけだから、もしやりたくなったらそのブラシ持って背中をさーっとやってみれば。」ということなんだろうけど飼い主なんかちょろいもんだと思ってるのだろう。

毎日毛を梳いてやったら夜風が冷たくなり本当に風邪をひいたみたいで時々くしゃみしている。このままいくとクリスマスの頃には柔らかい暖房用の毛は無くなってしまうな、もうやめるべ?な?

テレビが突然真っ暗なまま映らなくなった。

何か理由があって壊れたのかどうかも告げずに突然映らなくなった。人は大抵こういう時はいろんなことをする。リモコンのスイッチをなんども押す。一応電源は点いている。DVD,オーディオスピーカー、JCOM、ファイアスティック、ゲームの切り替えリモコン次から次から押す。本電源をOFFにする、電源本体を引っこ抜く、関係ない電源も引き抜く。何も反応しない。

もう一度電源を入れる。緑のランプがじっと点いたままで相変わらず。赤いランプが点滅に変わる。よくその意味もわからない。もうお手上げでじっとそのランプの点滅を何気なしに数えてみると13回、それでちょっと間があり、また点滅が始まる。また13回。結局13回が人セットになっていて点滅する。何かの信号なのか?結局映る気配が全くないと諦め着いたのでメーカーのコールセンターに電話する。話の途中で13回の点滅を話したら、これが驚きで基盤が壊れているという信号らしい。さすがにテレビといえ今ではパソコンなのだ、当たり前と言えば当たり前なんだけど、すごいねえ。月曜日に基盤を持って係りの人がやってくる。

何か修理するのに人が来るというのは結構珍しいな、この時代。それもテレビ。

うーん、やってみるとテレビがなくても別に困らないということがわかった。

習慣だった。テレビをつけるというのが。

テレビがないとコロナの話も突然減る。人それぞれと言いながらも、やっぱりコロナはメディアから流れて来るのがよくわかる。メディアを拒否すればコロナは消える。そういう人も世の中にはたくさんいるのかもしれないしその方が楽だな。考えることも人に任せた方が楽になるというのも何となくわかる。

修理屋さんが来ると習慣がまた始まる。映画やドラマだけ見たいんだけど油断してるとぐちゃぐちゃになったものも溢れて来る。

 ※  ※  ※

BOOKENDS 2  20回分(日曜日27:30〜28:00 HBCラジオ)の原稿です。

思いのほか体力のいる番組になっています。





2021年8月15日日曜日

揃ってきた





9月14日のセプテンバーバレンタインコンサートの譜面も上がってきてリハーサルに入るのを待つだけになった。今日の段階ではコロナは一向に収まる気配もなく、まだ、てっぺんの気配もない。

目黒さんに電話してこれから一ヶ月の気配を聞くと、行きます、ときっぱり。

どれが正しい判断か、これについては去年から何も変わっていない。僕らはただ前に向かって進む準備だけをするしかない、ダメだったら諦める。それぞれが大事な時間をコロナに削られていくけれど、それでも気力が消えない間はそれを持続させる。

一昨日2回目のワクチンを打ち終わった。結構熱とだるさにやられたけど1日半も辛抱すれば普通に戻る。いろんなことに迷いや躊躇、混乱などがあるけど平穏がやってくるのならそう贅沢は言ってられない。わからないけど。

いつのまにかという言葉は適当すぎるんだけど、いつのまにかデモテープから本テイクに変わっていく。奥寺君のところで作っていたやり方とそんなに変わっていないんだけど、西岡君のアレンジをベースにリズムトラックの微調整や構成の変更などをやり、それからギターのダビングをスタートする。「SOFAR」以来の関さんのスライドギターの取り込み。とにかく弾いてもらい後の処理は任せてもらうことにした。ベースでな間引きが欲しかったのでノブ子さんに1曲頼む。


途中リズム隊を普通の楽器ではつまらないので、相当変わったものを選択して差し替えて見た。結構カウィクて面白いものになったと思う。だんだん事前に手の内を晒すことが惜しくなってくる。9月の初冬にラジオで聞いてもらえると思うといったけど、どうだろう。


キーボードに安斉氏に来てもらう。オルガンとピアノ、クラビネットを入れる。

どうしてもピアノでの間奏、それも夜中の0時過ぎ月明かりで地上が照らされる様なメロデーを弾いてくれという禅みたいな注文をだす。素晴らしく美しい間奏の出来上がりでした。

今回は相当密な打ち合わせで結構無茶なアイデアもあるけどできるだけ可聴できるまで頑張ろうということで今の段階でも相当楽しい。

まだ作業はだいぶある。すみませんがもう時間には制約されないことにしました。

今考えているのがテーブルに灯ったランプの音と地上でバウンドする大きな丸い塊の音。

大丈夫、僕らはすごく真っ当にポップスを作っています。


今日はこれからラジオが始まります。

日記は載せられませんでした、後日こっそりここに足しておきます。

まずはみなさん、今日も無事でしたね。

明日もきっといい日になります。

日を跨がない様に急いで書き上げました。急いじゃいけないんだけど。おやすみ。

9月25日の紋別のポスターを貼っておきます。





2021年8月8日日曜日

ようやく終わった?暑い日

 

温泉行きたいなあ。

田舎に行きたいなあ。

油麩食べたいなあ。

玄関ガラス戸に張り付いている夜中の青蛙の集団見たいなあ。

「んでまず」聞きたいなあ。田んぼの蛍見たいなあ。

昨夜から風は変わった。

もう今年の熱い風は此で終わりと言ってる様にはっきりと変わった。

起きたらマラソンやっていて、昨日までの地獄のマラソンコースという雰囲気も無くなっている。

オリンピックも終わる。

やってる間は日記も書かずにひたすらオリンピック見てた。

自分の国で生活と同じ時間帯でやってるものを見ないのは勿体無い。

世界で一番うまい人強い人、早い人、点を取った人、スポーツに優れている人が4年かけて切磋したものを一堂に会して観戦できるなんてそうない。

札幌、今は27度。明日から札幌は22度になる。

容赦ないな、季節っていうやつは。

札幌のマラソンの沿道には僕と同じ様に考えている人がどっさり集まって声を出して応援している。反応としてはこれは正しい、家に居ろというのはどだい無理な注文。行きていくのは自分が決めることで誰も介入できない。こんなに自分の考えがあっちにフラフラこっちにフラフラと考えが分割して生きてる実感を持ったことはないかも。

マラソンは創成川通りを走っている。

松が「おしっこできないから、うんこどけてくれー。」騒いでる。

風は開け放たれた窓からビュ^ビュー走っていく。湿気ってる。

マラソンみよっと。

1時から西岡くんのところで関さんのギターの取り込み。いいのが入るといいなあ。

LIGHTだいぶかっこよくなってきた。

  ※  ※  ※


先週のBOOKENDS 2 の日記です。日曜日、HBCラジオ 27:30〜28:00






2021年7月27日火曜日

ようやく雨が、パラパラと。


 夕張と鵡川の間の高速道がワンボックスカー炎上で10キロの渋滞だと表示板に点灯していた。帯広に向かう道はこの高速か下を走る夕張抜けて日高に出る道しかないので、そのまま高速の乗り続けることにした。うん、ミス。11キロの渋滞に変化なし、もう歩いているスピードか匍匐前進化のスピードしか出せない。この道は結構事故の多いところで何かあったら必ず通行止めか、下走りなさい表示しかない。

いくら渋滞しようが事故処理が終わるまでただ忍耐強く待ち、遅れた分は気を使うわけでもなく料金所で正規の料金を取られる。こういうことに文句を言われないようにETCには人がいない。

1時間後にようやく抜けられそうになり、炎上したというワンボックスカーを道端に探したけど事故現場の後も事故処理の喧騒も何もない、向かいの下りの本線をパトカーがパラパラと帰っていく。なんだかよくわからない道路封鎖だった。せっかく早く家を出てオボヒロの知り合いの農家を訪ねようとしたのだがトンボ帰りになってしまった。

それにしても炎天下の帯広。コロナで浮き足立ってる気配は微塵もない。

帯広はいい街だね、特に街を出て郊外走るとまっすぐな道、たくさんの弧でできた畑、林、丘、遠くの連峰、一時停止のない交差する農道、道道、もうすぐ刈られる乾燥して倒れている小麦の群。結構通っていたのにこの2年山を越えて来なかった。

ハンバーグナポリタン、お子様ランチみたいなものを頼んだ。昭和45年の味がする。懐かしいなあ、ファニー、大学の近所の喫茶店で金があるときに頼んだナポリタン。あしたのジョーがホセメンドーサと戦い終わって葉子にボクシンググラブを受け取ってくれと行った頃の味だね。めむろコーンチャーハンというのもいってみたかったけど。そんなに食えない。

此を書いてる間に大阪なおみさんが負けてしまった、3回戦敗退。なんか覇気がなかった様に見えた。勝つか負けるかのためだけに大勢が集まるイベントはオリンピックしかない。

そうこうするうちにバスケットボール3×3予選リーグ突破。

卓球男女複合のドイツ戦、今までのところベストマッチだった。

柔道、大野さん素晴らしい試合だった。

すみません、急いでいるので。今日はここまで。

サーフィンいくか卓球にくか。

 

 ※  ※  ※

BOOKENDS2 7月18日の日記原稿です。放送は日曜日27:30から28:00

HBCラジオです、アプリのラジコだと1週間タイムフリーで聞くことができます。









2021年7月16日金曜日

楽しいなあ、暑くて。



 橋本さんが「久しぶりにラジオをやりたいので”雨ふり”に集合です。

コロナに遠慮して半年が過ぎた「アヤコフスキー 日々是”口実”」。まるで普段の会話をそのまま時間も決めずに垂れ流したいという欲求のもと始めた相当アナーキーな番組を不定期にネットでやっている。主催者はアルバムやコンサートフライヤのデザインをずっとやってくれているSWITCHの橋本亜矢。僕には拒否権がないので粛々と従う。静かに笑って相槌を打つ係。時々ひどいこと言うのでそこはかとなくたしなめる効きの悪いブレーキの役。彼女はいつも後半になると憶えていないと言う。ワインが時間経つにつれて効いてきて、記憶中枢ぶっ壊すらしい。勇者だ。去年までは僕のサイトにもこの番組貼ってあったんだけど、今年はやらないみたいだ。

今回はプラス西岡君で僕のアルバムスタッフで開催された。

いよいよ後1週間でオリンピック始まる。想像した通りにテレビは盛り上げ始めた。最初からやると言うことに決めていたのである意味ぶれない東京都と日本国。文句垂れるのも面倒くさいから黙って、始まったら見ることにする。東京都がやると言っても国家事業だべ此は。

後始末がどうなっても対策は立ってるのだろう。そうじゃなければただの杜撰という言い方ででおしまいだろう。

玉ねぎが順調に育っている。

「のや」がなくなったので、苗穂のプー横丁に行ったら店の隣に玉ねぎが育っていて、それも結構な大きさになっていた。この畑の隣に集積所があり秋になるとそこで30キロくらいの大袋を即売している。放っておけば育ってるように見えるけどどこかで手塩がかかってるんだと思う。この辺りは昔はもっと玉ねぎ畑が多く、さらに北にまで畑が伸びていた。今はもう周りがっ住宅地になってしまったけどそれこそ「花咲く曲がり角」の歌詞になっている。


埃の向こうにバスが来る 担いだギターに雲が立つ

夏がぼんやり 立ち止まる 電線の向こうで立ち止まる

道に転がるコーラの瓶も 風流に赤を滲ませる

唄を歌ってタマネギ畑 あの季節果たして色は何?

噂通りの大人になってはみたが 過ぎた時ほど変わっちゃいない

昔の街に花が咲き 風はほんのり黄土色 此処でようやく気がついた この人生俺のもの♪


今日は30度を越して真夏がやってきた。どうか長続きしますように。


  ※  ※  ※

BOOKENDS 2  7月11日放送分(HBC 日曜日27:30)















2021年7月9日金曜日

泣きたくなったら此処へおいで、はそういう訳でいいタイトルです。

 


みのや雅彦「泣きたくなったら此処へおいで」2021.6.23 ON SALE

みのや雅彦40周年記念アルバム。

みのや君も40年、長いことこの世界に住んで順調にライブをやってコンサートも打って活動を続けたこの日までの集大成のアルバムがリリースされた。

北海道は偉大な地でたくさんの音楽家を育ててくれる地だ。会った頃はプロレスラーみたいにステージの上で水を吹いていた。それもいつのまにかやめていた、もう水吐かなくてもこの地では大丈夫だ、と思ったかどうか知らないが言葉を吐き出すことでステージが十分に成立するという確信に変わっていた。それぞれ一人ずつそれぞれの場所を確保し365日歌ってきた。

「泣きたくなったら此処へおいで」というアルバムタイトルは最初聞いた時、自信満々のタイトルだと思ったけど、本当に的確なタイトルで、人は泣きたい時励まして欲しい時にはそこに行くのである。これは自信満々じゃなく40年やってきた男のファンとの契約のアジテーションなのだ。

おめでとう、みのや雅彦40周年。

珍しくみのやからメールが来て「白盤で恐縮ですが聴いていただけると幸いです。」と書いてあった。自信作だったんじゃねえか、おめえ。何回か聴かせてもらったけど非常に整理整頓された会心の一作です。   みのや雅彦オフィシャルサイト http://www.mminoya.net/


 ※  ※  ※

今日は午前中にラジオの収録。始める前に録音しておいた佐々木さんユキオさんの2曲を確認のため聴いてみる。うーん、ヴォーカルが少し荒っぽすぎるかもしれない。今度から歌入れを別録りにしようかなあ、とも思ったけど、それじゃただのレコーディング状態だし、凸凹があってのライブ感だし、とりあえずオーケーということで収録始める。


ダルビッシュ滅多打ちの日だった。まあ、そういう日もあるね。頑張れーダル。


  ※  ※  ※

7月4日分のHBC BOOKENDS 2の日記原稿です。


6月1日(火)大晴れ 14:04 今日の天気は昨日から約束されていた大快晴、朝から出かけることは決めていて、いつものように9条通りを上って電停まで歩く。(2キロくらいか)途中振り返って藻岩山を見ると相変わらずロープウェイは止まったままだ。札幌市はどうして止めたままでいるのだろう。動かない街に動いているものを止めることの閉塞感が分かっているのだろうか?なんて、僕は遠くを見るぶんには目がいいからどこからでもロープウェイの動きは見える。山はもともと動かないものだけど、あの小さな箱は山を動かし景色に活動を与えている。


普段だと春から冬までずっと動いている。今の人々の不安はものが止まり、人や街が黙り込むことへの不安である。どこかで電車が海から街に動く、バスが街から街に動く、飛行機が静かに青空の中を飛んでいる、そういう日常を体感できなくなるとさらに街は淀む。東京のライブ、バック イン タウン25、26日の剣をどうするか決定しないといけない。ライブやコンサートをどうするかというのをこの1年半ずっと悩まされ続けている。コンサートを1回飛ばし、2回目は無事着陸したけれど、毎回終わってから緊張する。2週間の安否宣告を待っているのも結構きつい。この対応や対処は間違ってるなあ。大変だ。

2021年7月2日金曜日

元気だった、みんな。


 久しぶりにみなさんの顔が見られてただ、ただ嬉しかった。

東京、新宿の交差点夜8時は驚くばかりの人で溢れかえり、僕と目黒さんは1日目を終えた車の中から「うん、これはやばいかもしれない、早々にホテルに帰って明日に備えよう。」、コロナのステージはいよいよ混沌としてきたかもしれない。

しばらくソロ、それもフルサイズのライブをやっていない身にとって二日間はちょっと重いかもしれないと思ってた。

バック イン タウンの除菌防御システムはほぼ完璧に近かったと思います。

見る側からするとちょっと観づらかったかもしれませんが、優先順位は今はこれが一番なのでしょう、ごめんなさい、ごめんなさい。

いつも僕らはこんな風にライブをやっていて、コロナの前はなんて自由だったんだ、と感じることもこの瞬間にはなく、集まって来てくれた人たちは1年半前と変わらず、目の前にぶら下がるアクルルの衝立さえなければ昨日と同じライブの風景があった。みんな大人の人で本当に良かった。

素晴らしい時間を作ってくれた皆さんに本当に感謝しています。

このコロナの中、ある程度のルールができあがり、その中で暮らしていかなければならないならばもう、何かにつけてエクスキューズする必要はないのだと思います。

長いこと付き合ってくれた皆さんに会ってそのことをつくづく感じました。

東京のバック イン タウン、演奏が終わって階段を登って通りに出る時の感覚、ああ、東京やっぱりいいなあ、と思います。店の前の風景もずいぶん変わったんだと思う。不思議と雨が降らない。いつも天気がいい、夜。もう17年くらいになる、ここでやるようになってから。

また会いましょう。


9月25日に「オホーツクフォークまつり」が延期開催となりました。

これはフォークまつりでもあり哲学、意気地でもあります。

 ※  ※  ※  ※

6月27日、Bookends 28(HBCラジオ、日曜日27:30〜28:00放送)の日記です。

FMフォークキッズ、AIRG,毎月第一日曜日ゲストで。っつうか、このところ川柳人で出ていますのでそっちの方も。





ドネアの試合が終わり、時間が余ったのかホリィフィールドとタイソンの因縁の耳噛み事件の顛末をドキュメントで放送していた。なぜタイソンはホリィフィールドの耳を噛んだのか?ホリィフィールド談。「彼はあの場所から逃げたかった。試合を進めることは勇気のいることで、彼はそこから降りたくなっていた。自分の負けも無くなるし、相手を倒さなかったことを言い訳にしなくてもいい。試合が反則負けで終われば、全てから解放されると思ったのだろうと。」



ホリィフィールドは対戦前の記者会見で、今度の対戦は5年経っているけど何が変わったか、t聞かれ、「5年前と違うのは知識だ。」と答えている。試合前のオッズは25対1で圧倒的に不利な掛け率で直前で6対1にまで下がった。映画ではそこのところには触れていないが多分、当時の空気としてタイソンの仕上がりが思いの外悪かったのか、それともホリィフィールドの言葉に影響を受けたのかはっきりとはしていない。


試合が始まる前にホリィフィールドが見たタイソンの表情は「俺はなんでこんなところにいるんだ?」と言ってるように見えたというからその通りだったんだろう。戦って見て思うに任せないタイソンは焦りイラつき、右耳に2回噛み付いて試合は終了した。ホリィフィールド戦う場所に自分はいたという言葉で幕が降りる。結構長い時間ボクシングを見た日だった。井上尚弥の試合も今月ある。ドネア、井上再戦あるのかなあ。

2021年6月23日水曜日

時間も突き詰めれば距離なのだ


 このままだと東京は刻々と遠ざかっていく。

渋谷の駅前をテレビが写していて、人通りが増大しております、とアナウンスしてた。

自分の道をいつのまにか人が指図し、後ろから文句が追い立てていく。

こうやって西線11条の路面電車の停留所から医大の方を見ると人がいない、今始まったことじゃなく元々人がそんなにしげく通うところでもない。以前、道立図書館のところでも写真を撮ったけど見事人が歩いていない。札幌は昼日中街中以外は人はいない。電車に乗ってるかバスに乗ってるか、地下鉄で地下を移動しているか、車に乗るか、自転車に乗るか、あとはほんの少しの人が歩く。200万の人口もあっちこちにばら撒けばこんな風になる。というのは多分冗談なんだけど、用心にもほどがある。

僕は明日から東京に行く。

歳をとると東京は遠ざかって行き、まあしょうがないなとも思えるんだけど、自分の意思で遠ざかっていくのと、たくさんのバイアスがかかって遠ざかるというのは根本的に違う。

「2003年、11月の人々」、自然気胸をやって飛行機に乗れなかったとき、フェリー、新幹線で東京まで行く途中で詩が浮かんだ曲。東京が遠いなあとしみじみ思った。

近い遠いはそこに住んでいる人によって違う。札幌、釧路360キロ、朝早くにバンドみんなで車で走って夕方ライブやり、終了してまた車で札幌に帰る。700キロ。ずいぶん昔の話しとはいえ実感はあるなあ。

コロナは時間にまで侵食し始めている。

早いうちにこの距離感は正常に戻さないと、それは距離だけじゃなく、聴きに来てくれる人たちとの距離でもある。

このブログも普段はもう少し後に書くんだけど、そうなると今週はもう書かないことになる、で、書かないと2週分になって呑気な人に戻ってしまうので早々とここにアップすることにした。

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取り急ぎなので今回は原稿起こししてないので原文のままです。

絵は岩波文庫「日本唱歌集」「風」の挿絵から似ても非なるものが描き上がりました。

この歌は大正時代の歌のようです。うん、明らかに古すぎて、話にならないんだけど普通は。




2021年6月18日金曜日

松、久しぶりに病院


 普段もあまり動かない猫なんだけど、どうも風邪ひいたみたいで動かない。

一応飼い主なので毎日の変化くらいは見た目ではわかるのだが、何かおかしい。

便通もいいほうじゃなく二日に1度のペースで、そこは注意してみていないと便秘になり、便秘になると厄介なことになるので松の一番の注意ポイントにしていた。

抱き上げると熱っぽいし、呼んでももあまり真面目に返事もしない。

3日目も変わらない。トイレには行くのだがさっさと帰ってきてまた寝る。腹のマッサージもするのだが今回はあまり手応えがなく、腸あたりを触ると確かに溜まってる気配がある。それでも量的には普段の二日目とそんなに変わらない。それにこの2、3日食欲もそんなになかったので、まあこんなものかと思っていた。

4日目になってももよおす気配がないので、病院に行くことに決める。

もともと好酸球が多いので、大人になって弱ってくると何かが出てくるかもしれないので注意してくださいと子供の頃にやった血液検査で言われていた、14歳になってるし、もしかするとそのせいかとも思いながらケージに入れて病院に行くことにした。

スポ太郎の時は病院や世間が嫌いな猫だったので外に連れ出すのに往生したけれど、松茸は全く頓着しない。さっさとケージに入り、楽なものだ。

ずっと通っていた動物病院は先生が年で去年やめちゃったので、以前、緊急の時にちょっと世話になった病院にした。結構時間が経っていたので先生は松と僕らを覚えておらず、色々と経過を話し血液検査とX線をかけてもらう。便はは結構溜まっていて胃のそばまでありますねえと言っていた。

血液検査の結果は大体において健康体、白血球がちょっと少ないけどそんなに気にするほどではまだないというのと、総コレステロール値が幾分高いかな、ということだった。

大体において年齢よりは毛艶もいいし体重も理想的だし、便秘だけ解消すれば問題ないでしょうということで。便秘解消のためにできることは3つあるけど、一つ下剤をかける、2つ目はほじり出す、3つ目は薬で出す、どれでもいいけど穏便なところで漢方役を試してみましょうということに決まった。

やれやれ。

漢方薬5日分もらい、また松をケージに押し込み、家に帰って松のご飯に漢方薬ふりかけて一息ついたら、トイレでガサガサ音がした。4日ぶりの排泄。うーん、薬もいらなかったか?

それでも健康に生きているということがわかって何よりだった。

上の写真はうんこした後、疲れたのかふんぞり返っているの図。

コロナの非常事態宣言も20日で明ける。あっちこちでワクチン打ったのはなしが沸き起こってる。2回打ってさらに時間が経過してから本当に効くということなので、あまり無茶しないように。僕はまだ、接種券が来たばかりだ。


先週のBookends 2の日記です。HBC,日曜日27時30分。ラジコ時間帯だね。

ラジコはアプリでとっておくと結構重宝します。

AIR Gの川柳も考えないと。いつのまにか川柳の人にもなっていた。毎月第一日曜日、朝8時から8時30分「FM FOLK KIDS」もよろしくお願いします。



5月6日(木)快晴22°C(12:00) 6797歩。雨降りの昨日から、今日の天気は晴れと天気予報が出てたので久しぶりに街に出るを決めていた。不要不急の外出は控えるようにとの要請が出ていたが、歩いて出かける。途中から路面電車にに乗り、4丁目で降りる。先日すすきのの電停前で信号の機材から煙が出た騒ぎがあり、不自由しているのかと思ったが普段と何ら変わりなく、普通に動いていた。  闇の眼 ディーン・R・クーンツ



三越前から地下に潜り、駅前に向かう。人々は黙々とすれ違うだけだ。あまりに向き的に人が通りすがるので携帯を地面近くで写真に撮る。Hello old my friend 「サウンド オブ サイレンス」とこの世は仮の姿という「マトリックス」が思い浮かんでしまった。人は単たんと疫病と戦う。つくづく人生は個人的な問題なのだ。もう少ししたら僕にも歌が出来る様になるかもしれない。「赤れんがテラスから苗穂を見た風景」

2021年6月11日金曜日

蚊、一匹発見。


 少し早いけど、暑い。

今日はラジオの録音があってHBCに行く。入り口に対面式の体温計があり、用がある人は必ず体温を測るんだけどいきなり37、1度、今日の気温、外から入ればこうなるんだろうというのは予想されるんだけど、いきなりその数字だけを表示されるとちょっとすくむ。37度になってるからといって誰かが来て、ちょっとと呼び止められるシステムにはなっていないみたいだ。不用心だなあ。ある体温以上行くと警報を館内に鳴らすとか、受付の人が笛を吹くとかすればいいのに。それにしてもなんか個人情報という言葉も少し頭をよぎる。体温といえどもそんなにおおっぴらに人前に晒すというのは釈然としない。歯医者に行ってもデパートに行っても腕やひたいに機械を当てられて体温を計られる。みんな当然のような顔で計る。「それ秘密にしたいんだけど。」、というのは許されない。それと体温計というのは果たしてどこまで正しい数字が出るものなんだろうと毎日思う。僕は大体真面目に体温を測る方だと思う。36、8とか9度が出ると必ず計り直す。36、5から6度が出るまで計り直す。どう考えても理性的ではないんだけど自分の中の何かが好きな数字が出るまで計れという。そんなんで大体は正しくない体温で日々生きている。

それにしても今日は真夏だった。

このところ、奥寺くんが車でピックアップしてくれて放送局まで行く。

途中、加齢についてダラダラと話してたら、急に若い頃に戻りたくなった。それも20代の大学にも通っていない頃のダラダラしていた20代に戻りたくなって、今の年のダラダラじゃなく若い時のダラダラを無性に体感したくなった。それも1週間くらいでいいやというところに落ち着いたけど、さすが暑いお昼時間帯という車の中の会話だった。

うん、何がしかのストレスを受けているのかも知れないなあ、僕ら。

上の写真は簾舞の奥寺君のスタジオNOOK前で撮ったもの。

2年前にクマがウロウロ歩いていたので、まあ用心したほうがいいよという警告。札幌では別に珍しいものではないんだけど、よく考えると家の前を野良のクマ通り過ぎるというのはあまり日常ではないな、一種の記念みたいのものと考えてもいいのかも。「熊出没注意」、その下にスクールゾーンというのがクールだね。熊さんも大変だ、指名手配の看板まで立てられて。

BOOKENDS 2、10回目の日記です。




5月23日(日)くもり。それにしてもミュージシャンというのは難儀なものだ。このいびつになった世の中で開ける目処のたたない夜の中で黙々とギターを弾く。声がどこから出て、どういう風に人に伝わって行くかの感覚も微妙に忘れて行くのかもしれない。近所にピアノを習ってるのか、趣味で弾いてるのかわからないが毎日夕方になるとその音が聴こえる。人は真面目にするものなのだ。うまいのか下手なのかわからない


演奏というものが存在する。先日スーパーに行ったら、ピアノが置いてあり、一時期中止になっていたがまた、復活して人が弾いていた。聞いている人を誘ってるわけでも、演奏を是非聴いて欲しいという欲求の中で人がピアノの前に座り座り、多分、好きなように弾く。めちゃくちゃ下手な人は引かないし、かといってこれはすごいという人も多分弾かない。どういう人が弾くんだろうと思ったらやっぱり、下手でも上手でもない人なのかもしれないけど、どうもよくわからない。これは否定しているのではないのだ。


例えば、そこにギターがあって、弾いてもいいよっていう場所があったらどうしよう?楽器屋じゃなくスーパーの端っこにあったら。僕はたぶんというか絶対弾かない。区分で行ったら下手じゃない部類、上手いかといったらその分類でもない、正直にいうと評価判断されるのがイヤだというところだろう。僕がピアノを弾けたら、あの椅子に座り、何気なさを装いきっとピアノを弾くんだろう。まちがいなく。

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