2014年12月31日水曜日

2014年、21時49分


あと、3時間で2014年が終わりです。
記憶に残る年でした。
いまさら、人との出会いに驚くこともないだろうとたかをくくっていたけど、まだ思ったよりも人の世の中は怪奇で不思議で深さや曲折など諸々が押し寄せてきます。
 
 簡単な言葉で言うと、ありがとうございました、でした。

 それでも、来年からはもう感謝はやめようかなと思っています。
 感謝をやめるというのは誤解をまねくので、それを言葉にするのはということなのかですね。
 
 どういっても
 言葉は言葉以上の気持ちを表すことは出来ないなあ。
 詩を書いてるくせに、言葉を信じていないのか?と聞かれそうだけど、多分そうなのかもしれない。
 自分が使ってる言葉以上のものが伝わっているということが時々あり、時には直角に曲がってそうか、そういう意味にも取れるかもしれないなあ、と感心する。
 
 
 今年は身内に不幸があったので新年の挨拶はしません。

 たくさんの心と応援で2014年の大晦日までやってきました。
 もうすぐ2015年です。
 年齢を重ねるに連れて面白いことと、面白くないの区別がよりはっきりとしてきました。頭の中でぼんやりして行く部分と、全く逆にますます鋭利になって行く部分が2分化していきます。それが今の醍醐味なのかもね。
 紅白歌合戦が相変わらずだらっと流れている。
 何年もこのスタイルが続いている。
 このだらっとした時間感覚が12月31日。

 みんなに挨拶しなければと思ってパソコンの前に座ってキーボードを叩いている。
 紅白ってこんなにぬるい番組だったっけ?
 批判している訳じゃないです。
 ふと「北の国から」を観たくなった。
 NHKが紅白をやめる訳はないし、やめる日は日本がなにがしかのヤバいことになった時のことで、僕等が生きている間は延々とこの温度で大晦日が流れていくね。
 21:43、少し温度が上がってきた。
 
松は隙をみては寝ようとする。
 そうはいかない。今寝られると朝方寒いと言ってワアワア鳴き始めるので、いまは頑張って起きていてもらわないといけないので、リンゴハウスに入るとひっぱりだす。
 大人のすることじゃないけど、しょうがない。こっちだって毎朝、早くから起こされたくない。

ということで2014年の挨拶でした。
 
素晴らしい一年が皆さんに訪れることを願っています。
また来年、元気にお会いしましょう。
今年は、ありがとうございました。
 

2014年12月16日火曜日


もう、12月。
ひと月以上の不在でした。
あい、すんません。

今日は一日中、超爆弾低気圧という実にも恐ろしい名前のついた天候でさっきまで雷がなっていた。
季節は完全な冬で、久しぶりに雪かき運動。
湿っぽく重たい雪で放り投げるのにひと苦労なんだけど、しばらく運動も何もしていなくてここ幸いと3回の雪かき。
楽しいと思ったのははじめて。

今レコーディングのチームを作っていて、ずっと曲を真面目に書いている。
とりあえず2曲出来た。
構成と詩の3分の2、ついでにおおまかなアレンジもやってしまって、これも雪かき同様楽しいなあ、気分でずっとハッピーな気持ちでいまます。
僕のレコーディングじゃありません。
いろいろ、勉強という年じゃないから勉強じゃないけど、新しいことって充分たのしめるねえ。
僕のレコーディング作業じゃないから何ら詳細を述べる立場にはないので、来年まで告知はしません。

中心気圧は948ヘクトパスカル、台風並みの低気圧、1メートル先の視界すら危ないとニュースで言ってるので書き写してみました。外に出ちゃだめだそうです。
暴風雨はいいんだけど、暴風雪というのは本当に堪忍して欲しい。

このところ、松は部屋のストーブの前で顔を炙りっぱなし、話し込む姿勢で一歩も引く気配がありません、いくら顔が焼けるぞと言っても聞く耳持たず。
適当に暖まったら去って行くので一応適度ということは知ってるみたいです。
動物病院の先生曰く、「猫は風邪を引きやすいんです。」
そういわれても今まで、風邪引いたらしい姿を見たことがないんだけど、人間と反応が違うのか。


選挙も終わり史上最低の投票率とか言ってます。
投票率が上がったら選挙の趨勢が変わったのに、 投票に行かない人が多いから政治に灸を据えられなかったといってるけど、言ってる意味がよくわからん。多かろうが少なかろうが選挙は選挙でそんな予定が調和する訳がない、馬鹿じゃねえの?がいつもの感想かなあ。

藻岩山の方で雷のすごい音がする。
年末なので盛り上がってみました、わし、雷だけど、みたいな感じです。

渡辺淳一文学館の「The Moon」も無事に終わりました。
って何時の話してるんだよ?と思ってるでしょうがまあ、一応報告を。
奥寺氏にもニューヨーク編でお世話になったので、機会があったらまた何か面白そうな企画をやりたいと思います、その時はまた是非、宜しくお願いします。
うーん、もう12月も半分か?
元気に生きてるもんだね人は。中島みゆきの「時代」が年賀状のコマーシャルで流れている。もう40年以上も前の歌か?すごいね。本当にまるで昨日みたいだ。

Jから東京,バックインタウンに行くからというメールをもらった。
明日メール打ち返すから。あと10日だぜぃ。

餅でも焼こうかな。











2014年10月23日木曜日

笑ってみよう




深川のメルティングポット、雄一君の所で「友を訪ねて本宮、旭川、深川」のシリーズも終わりました。
皆それぞれに濃く、僕等結構素晴らしい付き合いをしているんだね?と思ったりした旅でした。
なんて楽しい旅だったんだろう。
写真もいつもより沢山撮ったりしたんだけど、見てみると何か淡々としていて、「そうじゃないんだよなあ?おっさんたちのエネルギーが迸(ほとばし)っていない、わしらもっともっと滾(たぎ)ってるぜ。」だな?
和歌山ではライブの合間に激烈な観光に走り回り、和歌山と奈良のディープサウスに突入し、丸石輝正のホームグラウンドでの地肩を見せてもらい、台風のかすり傷を受け、連綿と受け継がれてきた底なしの歴史を淵に腰掛けのんびりと見せてもらう幸せの合わせ技を堪能しきりました。これもひとえに本宮に住んでいるいずみさんのお陰でした。
熊野古道はそう簡単に全体を見渡せる所ではないです。
もしかしたら観光地ではないのかもしれないなあ。
もう少し中に入らないといかんのかもしれない。非常に興味深い所です。

旭川の横ちゃんの所、フォークジャンボリー。
もしかしたらライブハウスではないのかもしれないなあ。
そう簡単に全体を見渡せる場所なんだけど、すごく小さいから、奥はもっと深い。
なんてことはないか?何年経っても変わらないミステリーゾーン。
人が歌と正対せざるをえないところで、やりにくいと思う人はいると思うけど思いがけない所に自分もお客さんもワープ出来る所です。
今日も横ちゃんは律儀に歌を歌ってる姿が見える。

雄一君のメルティングポットは初めてで、前から一度やりたいね?って雄一君に頼んでいた。深川の駅前にあるんだけど、探しにくいっちゃ探しにくいかも。
音楽はいくつになっても咲く花がまだ沢山あると思わせてくれる人だね、実はそんな風に思っている人はそう多くはないんだけど、その気合いが伝わってくるよ。
腕を3回まわして「イェイ!」というライブだった。
まだまだ、いける。

みなさん、つきあってくれて、ありがとう。

次は11月9日、遠軽 ホテルサンシャイン、山木君との本当に久しぶりのジョイント、
それと11月22日、札幌、渡辺淳一文学館でのコンサート The Moonの準備でむちゃくちゃ忙しいです。こんなに忙しくなるはずじゃなかったんだけど。何処で間違った?

それにしても寒い。タイヤも替えなきゃいかん。

日記もこんなにあいたら日記の体をなしていないです、かといって暇が好きかというとどうも、そうじゃないみたいなので、しばらくこんなざっくりとした状態が続くかもしれません。
すまんこってす。

おわり


2014年10月4日土曜日

友を訪ねて本宮、旭川、深川



田舎に帰ってきた。
帰って来た?
変な言葉ダネ。
親の墓参り。
まさか、こうやって手を合わされるとは生前親は夢にも思っていなかっただろうけど、これが諸行無常というもので、面と向かって言わなかったことどもを平気で親に話しかけるものなのだ。
親類も時間が経つのを実感されるように皆一応に年を取っていき、自分の子供の頃知っていた人たちに帰って行くのが不思議と言えば不思議だ。
どのみち記憶などというものは最早、断片的にしか帰ってこないので、それぞれが持ち寄ってもそう多くの話がある訳もなく、ただただ、大地震があったとはいえふるさとの輪郭は大きくは変わっていないところが説明のつかない郷愁をさそう。
札幌に住んで長いけど、ふるさとかと言われればピンと来ない。
もしかしたら、この街はそんな古い郷愁といったセンチメンタルなものは最初から持っていない街なのかもしれない。田舎じゃないからなのかもしれない。
帰るたびに還ってくる懐かしさというのは何なんだろう?
そこに住んでる人は絶対味わえない気持ちなんだね。
下の写真は追分温泉といって、村から更に山に入って行った先にある旅館。
なれないと、それと土地の知識がないとなかなかここまでは辿り着かなかも知れないけど、もし、忽然とした湯治場がいいなあと思ったら行ってみて。
僕はここの休憩所で一度ライブをやる約束になっている。


September Valentine のグランドホテルライブ終了。
泣きそうになるくらい気持ちがよかった。
弦楽四重奏とピアノ、パーカッションをバックに全曲通す。
何も気負うことなくできるようになるには時間がかかるもんです、それと、この街に長いこと住んで色んな人と知り合いになり、それぞれがここまで歩いてきてくれたおかげで出来たことでもある。ふるさとではないといったけれど、この街は僕等の遊び場だった。
街はやろうと思えばおおよそ欲求はかなえてくれる。大きくなればなるほどその欲求も大きくなる。街が巨大化して行くのは僕等は本当は歓迎しなければいけないんぢゃないかと思う。色んなものが壊れるけれど、壊した分だけ新しいものが出来るという意味ではすてきなことなんだろう。街が大きくなるスピードと自分が年を取って行くスピードが思いの外上手くいったような気がする。ラッキー!
上の写真は熊野の本宮に行く道路。
来週、一週間、旅に出る。
田舎の家の裏山にに自分の家の小さな社がある。言う所の守り神で、どういういきさつかは子供の頃に記憶していたことなのでよく知らなかったのだが、先日姉が「裏の社は元々熊野から来たものなのだ。」と言うのを聞いて、そういう風に因縁というのが繋がることがあるんだ、勝手に解釈してあらためて熊野に出かける。
丸石輝正君と2カ所(串本町ヴァレ・ノワール、田辺本宮道の駅 奥熊野古道ほんぐう)、そしてソロ(紀宝町鮒田フォークス)をやる。ライブが終わったら高野山まで連れて行ってくれるという。僕はシティ派から仏教神道派み宗旨替えするかもしれない。
まあ、どっちにしても色んな因縁の整理にしばらくかかるかもしれない。
帰って来たら、深川忠義と旭川フォークジャンボリー、トールと深川メルティングポットの旅が待っている。「友を訪ねて本宮、旭川、深川」とタイトルがついている。
よし。

2014年9月7日日曜日

coyoteとUFO



毎年、石狩でやってる野外イベントRising Sunに、今年は沢山のUFOがあっちこちの写真に写ってるということでちょっと賑わっていたらしい。
噂なので真偽のほどは分からないけど、一応盛り上がる周期に入ってるのかもしれない。
先週、誕生日を迎えて64歳になった。
5廻り目と4年、大体、世の中そんなに不思議なことはおそらく、ないんじゃないかという所に落ち着いてきた。つまんないっちゃつまんないんだけど、大人としての座りはいいのかなあ?という感じ。
世の中、錯覚と妄想と想像力と願望と思い込みと夢と人を恋する気持ちと、邪な心と良心と有頂天と有象無象(うぞうむぞうと読むんだと今知った。うしょうむしょうじゃないんだ。)天気と期待と幻滅と、こうやって書くと、ずいぶん色んなものに挟まれて生きているものだ。もっと簡単に暮らしてると書こうとしたけど、やはり一筋縄では行かないか?
UFOはこの言葉の何処に含まれるんだろう?
僕はこのところUFOは見ない。
沢山見た時期があって、人にも話し、記憶にもはっきりと残っているんだけれど、今はもう、自信がない。気のせいだったか、見間違いか、見たいという願望の膨らんだ欲求のなせるわざか?
記憶に年期が入ってくると、何かをいつの間にか強引な削除か都合のいい上書きしている。
コヨーテは飛行機と鳥とUFOの区別はつかない、星と人工衛星の区別もつかない。
見上げると夜空に光が無数に走るのを毎晩見てる。
多分見たものを記憶しない。
記憶しない分痛みも感じないのかもしれない。
僕は今、何か悩みがあってこんなことを書いている訳じゃない。
まだ人を抱きしめるだけの余力はある。

この「coyoteとUFO」というタイトルは僕にとってものすごく刺激的なもので、飛ぼうと思うと滑走路が沢山あり、それぞれが違う所に飛びたてる。

去年のセプテンバーバレンタインコンサートを終えたあと、弦のカルテットがとても楽しかったのでいつか機会があったら、きちんともう一度やりたいねと話し、そして、それをやるんだったらアレンジも含めて半年は必要だよね。で、やっぱりやりたい時が実行するタイミングということになり、先週までのリハーサルになった。
今年は色んなことがあり過ぎで、ますます、その思い立ったら感が強くなり、進むなら先に。
多分そんなに滅多に遭遇できるライブじゃないと思います。
僕等が住んでる札幌じゃなければ出来ないと思う。
これから僕等がやることはこの先にリンクして行くだろうということでもあり、僕の土地はもっと広がるはずです。
僕はこの先、満艦飾のUFOのあとをフラフラと追いかけて行きます。

上の写真は真駒内公園の入り口、支笏湖、定山渓、澄川、真駒内にむかう交差点の近所から入るサイクリンロードの、藻南公園の坂を上りきり、やれやれ公園に向かう下り坂、一番気持ちのいい道の写真です。左上に桜珈琲の裏側がほんの少し見えます。




2014年8月13日水曜日

8 realismって言ってみ? じゃなく「若者たち」


「若者たち」、1966年で、高校1年か2年の頃。
 暗い、貧乏臭い、いろいろ今では問題の多い、真面目なドラマで毎週見てた。
 フジのBSで36話全放送するというので最初6話まで録画とって観てたんだけど、流石にそのあとが付いて行けなかった。中身がどうのというより体力的に無理だった。
その時代のドラマや映画のスピードには見ているとある程度慣れが出来てきて、そんなに気にならなくなるんだけど、いかんせんこっちが若者たちじゃないという所で簡単に挫折する。まだ放送は続いているので再びダイブしようとすれば可能なのだ。
先々週まで「前略おふくろ様」を観ていた。何のことはない昭和のドラマオンパレード。
歌と一緒だね。戻って行き方が、昔に。
不思議と懐かしいというのはほとんどなく、わしら結構真面目に行きてここまでたどり着いたんだとしみじみ思う。みんな本当によくここまで無事にたどり着いたね。えらいなあ。
で、「若者たち 2014」というのを今フジテレビでやってんだけど、これが思いの外よくなってきてる。最初はオリジナルを踏襲しすぎて、この時代にこれをもって来てもらってもちょっとなあ?感がいっぱいなんだけど、流石役者の物量作戦、で驚かされているうちにそれぞれの若者たちもキャラが立ってきて、みんなうまいし、というか、杉田さんのドラマの経験値が勇者並みで、力技で見せられてしまうといったところ。
BSで昔の「若者たち」をやると言うのを見つけて、番宣に今度の「若者たち」が付いてなかったら多分、観ていなかったと思う。若者じゃない自分が若者たちを観てしみじみと泣かされてる。久しぶりに伴宙太、星飛雄馬状態。「ほしー、俺は今、猛烈に感動しているー!クイクイ。」
 世間では何もこれについてあまり論評している気配がない所をみると、そんなに観られていないということか?別に世間の評判なんかいいんだけど。以前は世間のコンセンサスというのを気にしていたんだけど、ここまで来たら世間なんかいいや。
 あとで、泣いても知らないから。
「若者たち」って、僕等の時代の、ある程度のその人のセクトが分かる性格判断みたいなドラマだった。
観てる人にしか分からない書き方って不親切だし、意地悪なんだけど、面倒くさいからいいや。

 時々、牛乳が飲みたくてしょうがないことがある。
 今がそうで、このまま飲み続けると腹を壊しそうだ。
 なんだかよくわからない衝動なんだけど、そうだね、よくわかる感覚は衝動とは言わないか?

9月14日のセプテンバーバレンタインライブまであとひと月。
上の写真がそのフライヤーです。
今回も相当力が入っています。このところずっと力が入りっぱなしで、本当はもう少し穏やかな気持ちで臨みたいんだけど、踏んだアクセルが戻らない状態です。

松の目やにが酷くなったので(小さいときに始めて動物病院に行った時、「この子はもしかしたらアレルギーを持ってるかもしれません。この目のぐちゅぐちゅと、肉球のぐにょぐにょはちょっと怪しいです。年取ってくると発症するかもしれませんけど、その時はそのときに対処しましょう。」と言われていた。)病院に行ったら結膜炎ですね、といわれちょっと血液検査しましょうか?の次が「好酸球ですね。今はひどくないですが、進むと皮膚炎のようなものを引き起こし、その治療にステロイドを使わないといけないことにもなりますが、今は大丈夫です。先ずは目薬を出すのでしばらくこの結膜炎を治しましょう」と言われ帰って来た。「目薬はなかなか注させてくれませんよ、猫ちゃんは。佐々木さん、ちょっと頑張る必要がありますけど、頑張ってみてください。」
松はスポ太郎二代目、いやがるけど無駄な抵抗はしない。僕に瞼を大きく開けられて目薬を注される。かわいそうな奴だなあ。



「魔女の世界史」海野 弘 「ロマノフ家の12の物語」中野 京子 
「ヒゲのウィスキー誕生す」川又 一英 「修験道入門」田中 利典
「火星のタイム・スリップ」 フィリップ・K・ディック



2014年7月31日木曜日

7 冬列車


暑い日も構わず自転車。
モナミ公園を登って行くと喫茶店がある。
自転車用の飲料水は積んであるので普段は滅多に喫茶店に入らないんだけど、流石に30度近い日は休みたくなる。
窓の向こうには写真の様に林があり、その下には真駒内公園を流れる小さな沢が流れている。
この時間はここの店のオーナーしかいないみたいで、アイスコーヒーを頼んだあとに、タバコを吸うかどうかから話をすることになった。
似たようなタイプで取っ付きにくそうな風貌。
彼は30年生まれで、世代的に近所といえば近所で、70年の東京から話のスタート。

どういう訳か僕等の共通言語は70年。
タモリが「振り返って何が悪い、楽しかったじゃないか。」と言ってたけど、そうだね。
振り返ると何もないというよりもあった方がいいな。
瞬間的に話し相手になれる人というのもそういる訳でもなく、店を出れば僕はまた自転車に乗って真駒内公園に入って行き、オーナーはオーナーでまたテーブルを拭いて次のコーヒーを入れる。
暑い夏。
何がしかのフック。

列車って孤独な物体なんだけど、冬に走ると更に拍車がかかる。
白と黒の景色の中に真っ黒な煙を吐いてがむしゃらに雪原をかき分ける。
むかし昔をいっぱい背負って頭の中を走って行く。
ラジオのディスクジョッキーが湯気を上げてる薬缶の向こうで聞こえる。
蛍光灯の明かりが光の範囲だけを照らし、もらったポスターが壁に貼られ、時々静かな音がシンとなる隙間に汽笛が聞こえてきて、青春てあるよなあとぼんやり思った時間。
思い出してみることなんかないけど、今こうやって書いていると、すきま風は入ってくるけど、まだ心の容量は大きかった。

まだ水だしコーヒーなんかない。
D51の三重連、鉄橋を渡るのをもう一度見たいなあ。

頼まれていた歌、もうすぐ出来るよ。
詩はメールで送ったように結構ずたずたに切っちゃったけど怒らないでね。
サビがまだ最終的に決まらなくて、ちょっと迷っている。
みんな恥ずかしい青春送ってきたんだなあ。

僕は自分の「桜三月 猫の鼻」を作る。



2014年7月22日火曜日

6 JIJO


このところリスが来なくなった。
と書いて何行か書いてみたけど、格別にたいした話になりそうもないのでやめる。
カラスにやられたのかもしれないと思い、濡れ衣被せようと豊平川の柵に巻かれたガムテープをしきりに食おうとしているカラスの写真を載せたけど、そうか、といわれるだけで大して話は弾まないな、こりゃ。

人の携帯にはみんな大変な数の写真が保存されているらしい、1000枚とか2000枚とかいうのを聞いて、よくそんなに撮るものがあるもんだと感心していたら、いつの間にか500枚になろうとしている。

よくそんなに撮ったと自分でも感心する。
見てみると思いの外あっという間に見終わってしまう。
たいした数じゃないんだ、なるほど溜まるはずだ。

一気に消してしまえる機能というのはあるんだろうか?この携帯の写真というのは。
たいていは人の顔と自転車に乗ってる時の景色。

簡単に消せると思っていたけど、いざやってみると思いの外消せないもんだ。

写真がどういうものかわからないけど、消そうとすると結構好きなものがあったりするから。僕個人の目なんだけど、選り好みははっきりあるみたいだ。

で、ざっくりと撮っている気がしていても、なんだか結構面倒臭くこだわってるところもある。本人さえ気がつかないこだわりがあるんだね。

で、こうやってブログなどに堂々と自分の撮った写真を載せているとことを見ると、それなりに何がしかの自慢があるんだろうなあ?困ったものだ。
文章書いているだけでも可成り恥さらしているんだけど、写真で更に盛る。
基本的に慣れというのは少しずつ恥の感覚を麻痺させる。

リスの話からここに来たか。

まあ、何でもいいや。

今日は一日中9月14日のコンサートの練習(まだ個人レッスン)。
差し替え用の曲選び。
カバーを選んでるんだけど、歌いたい曲って結構あるもんだ。
マーク・ノップラーでもやろうかなあ。
弾いててむちゃくちゃ気持ちがいい。聴いててもいい気持ちなんだけど、やってみると別の所が気持ちいい。気がつかなかった。
ナット・キングコールもなあ。We were not too young at all ♪
久しぶりにギターのコピーまでやっちゃって、疲れた。

今回のセプテンバーバレンタイン コンサートは新札幌から街の真ん中に出ることにした。グランドホテルですじゃ。エスアールのページにも載っているし、明日あたりにはここにものせておきますのでご覧下さい。
中身は力の限りです。ただいまアレンジを鋭意創作中。

jijo ニックネームを持ってる人はいつまでも人の記憶に残る確率が高いと思う。
ゴメス、ヨロ、ディッキー、石炭、トンチョ、エンタ、キンチャン、カメ、アポロ、たこ、アボガドロ、おくやま。
僕はJIJOのことをよく知ってる訳じゃない。
他人の彼女をいつまでも憶えているというのはそんなに尋常なことではなく、多分、持っていたニックネームの本人だってその名前を憶えているかどうかさえ分からない。
今どうしてるかな♫、ジャカジャッ、ジャジャッジャ、ドン。

おわり

 




2014年7月14日月曜日

月よりの使者 part 3


スポ太郎が死んで8年経った。
何年経ったかの記憶が曖昧になってくる。
毎年花を送ってくれる人がいて、当時ずいぶん色んな人に気にかけてもらっていたんだと、毎年思う。
この日記の2006年7月14日の所を見ると今、書いた本人が読んでもなんだかつくづく悲しい。
焼いてもらいに行ったとき、スポ太郎、大きくて箱に入りきらなくて、そこのお兄さんが「入らないですねえ、普通はこれに納まるんですけど、ちょっと無理して入れさせてもらいます。よいしょ、よいしょ。」と押し込んでいた。
帰る途中骨壺抱えながら笑った。悲しいんだけど。好きなもの食い放題の猫だった。
今にして思えばよく、2年半、注射打ってたなあと思う。
糖尿病がわかったときに、何も手を施さないという選択肢を選ばなかったことが、かわいそうだったと今にして思う。
低血糖、高血糖で相当体が痛めつけられた。
本当に悪い飼い主だった。


松が来てまる6年。
7歳になったと思って半年前から「7歳以上 シニア 高齢猫用」というのに替えた。
まだじいさんになってもいないのに早々に準備させられて、うちに来る猫は災難に遭う運命。
かつてないおいしさ、優れた栄養バランスと袋には書いてあるんだけど、これが酷い臭いで、松も最初は手で見えない砂をかける行為をしていたから同じ感想だったんだろう。
猫がいる生活20年。
もう立派な猫飼い人だ。

最近かわった本を読んでいる。
最初から使ってる言語が違う本で、日本語なんだけれど意味を拾うのに相当エネルギーがいることが書かれている。人はそれぞれ違う言葉を持ち、違う世界をもち、思いも寄らないことを考えながら暮らしている人の円がある。
読書は習慣だということがこの本を読んでつくづく思う。
自分が作った道に沿ったものを選び、おおよそ同一のものを選って、自分にとって異端なものは知らず知らずに排除している。
結構自分って融通のきかない奴だったんだというのを再発見する。
何読んでるかは書かない。

そろそろ、月より使者から次ぎに行かないと。
ずいぶん前に風水が流行った時があって、世の中、大雑把に言って風水で解決が着くと大げさに言ってた人がいて、へえ、そんなものか、気というものが広くは宇宙、狭くは人体にまで影響する、へえ、すごいね、なんか適当でいいねと感心していた。
今の時代、気を感じて建物も家も道路も街も造らないだろう、昔の風水師が今の街を見たら気が澱んでる所だらけで、それこそ禍々しいものが満ちあふれていると看るだろう。
そこにビルに覆い被さらんばかりの三日月。
月よりの使者というと僕には月光仮面しかいない。
人々を救うのは三日月のマークを覆面の額にはり付けた月光仮面。
複雑なものをそこまでシンプルにするか?あなたは、という月光仮面。
デモテープにはアウトロの最後で微かに月光仮面のテーマが流れていたんだけど、流石に古館君、若いからそれには気がつかなかったのか、スルーだった。
稲村さん作ったもとのコード進行とは大分違うけど、大分どろっとはしたかな?
カネ久のデモを聴いてもらった時は、笑ってた。
CDになる前の録音はパーカッションがこの3倍くらい入っていて、賑やかすぎたので削り落とした。
僕の街の風景は年をとるにつれて、街の中心部から少しずつ外にずれていってる。

写真はもう少しで苗穂のジャスコがある豊平川の川の縁。
僕の外の写真はいつも天気がいい日。
天気の日以外自転車出さないから。


2014年6月27日金曜日

月よりの使者 part2


釧路 HOBO,中標津 JUST ONE,標茶 ポケットを終え、東京バックインタウン、名古屋 源まで快調に進んだ。
この時期梅雨のじっとりに遭遇することもなく晴れ晴れとしたなかでやらせてもらいました。みんな元気そうでそれが一番嬉しかったな。
旅の合間にトール、深川君と小樽のリハやって、時々写真とって温泉入って、ウナギ食って、ケーキもたらふく食っていい感じです。
明日は小樽一匹長屋。
気がついたら日記も今月の3日から書いていない。
書かなければ書かない人になってしまい、それはそれでぼんやりするのでいいんだけど、ここで気合いを入れないとこのままズルズルと沈黙の人になる。
先ずは明日小樽。
落ち着いたらまた、こまめに更新しよう。
トールと深川君のリハーサルの写真を載せておきます。
深川君は裸で酒飲んでいてギターも弾かず、顔と脇が少しキツネ色になっています。

暇だったら小樽においで下さい。
6時オープンの6時半スタートです。
0134-32-4049 一匹長屋

2014年6月3日火曜日

5 月よりの使者

32.9度
朝のニュースで、今日、北海道はどこも暑くなるといっていたので、海に行こうと思い、とりあえず小樽に向かう。
8日の紋別の練習もしたし、小樽の練習もしたし、個人レッスンもみっしりやったし、もう外は朝から暑い気配で満ちている。
小樽からもう少し海がきちんと見える所。
余市方面に。
一年に何度かニッカの工場に行く。
ここで働いている人がとにかくうらやましい、ここでウイスキーを作っていた人たちを妬みに行く。
ちょっと前まではリタハウスでお茶も飲めたんだけど、もうクロウズされていてだんだん歴史的建造物になってしまう気配が濃くなっていた。

今日は観光バスの気配もなく、あまり人の気配もなく、入り口で通行できる所が限られていると申し訳なさそうに言われ、歩ける所が書かれた通行地図を渡される。
入るとすぐに大きなカメラのクレーンが向こうに見る。
人が沢山集まっていいて大掛かりなロケが行われている。
見物人かと思っていた人の群れはエキストラとクルーで何か受賞したらしいシーンを撮ってるらしい。らしいというのはあまり近くに見に行けないので遠巻きにみただけなので。
もう少し近くで見たいと思ってもガードががっちりでさっぱり見えない。
通行順路に従うしかなく、普段は通行しない工場の裏道を通って食堂、モルト工場、レストラン並びに売店、諸々にたどり着く。
どうも秋から始まるNHKの朝ドラマ「マッサン」の北海道ロケ記念すべき第一日に遭遇したらしい。
今にして思えば写真撮っておけば良かった、そのロケシーンの紅白の幔幕を。

日陰のベンチでしばらく人のいないテラスで、青空と変な打ち込みラテン音楽(どうして、この音楽を流そうと思ったのか、ここの関係者に聞きたいくらいミスマッチなBGM、どうせならスコットランドだべ?と思うんだけど、そうではないみたいだ。)を聞いて帰る決心をする。
それにしてもこの青空は素晴らしいものだった。
海を見に来ようと思って大正解だった。
ロケも終わっていて、幔幕も片付けられていたけれど、立ち入り禁止のロープは外されていなく、同じ道順で戻る。

本を読んでいる不思議な格好した男の人と通り過ぎた。
うら若くない女性が二人連れが「よかったあ、玉鉄が見られた。」とこっそり話していた。
そうか、台本を読んでたのか玉鉄は。
もう少し真面目に日本映画を見ておこうと思った。

6月でもう、いい夏だった。

7日 紋別オホーツクフォークまつり 紋別市民会館
12日 釧路 HOBO
13日 中標津 JUST ONE
14日 標茶  ポケット
19日 東京  バック イン タウン
21日 名古屋 源
28日 小樽  一匹長屋

 ここのLIVEのところに詳細が書いてありますので見てください。

月よりの使者について書こうと思ったけど次回に持ち越しです。
このところ、このブログのタイトルに番号が降ってあると思ってる人がいるみたいですが、これはアルバム「コヨーテとUFO」の曲紹介文(ライナーノーツというのですが)の曲順です。
竹鶴 PURE MOLT 21year oldがパソコンの前で威張ってる。






2014年5月20日火曜日

4 僕はあの時の僕に同情する


天気にひっぱり出されて11時半。
元気なブランコがある所は、9条から河原のサイクリングロードに降り、豊平橋、一条橋、東橋、鉄橋くぐり、元町大橋?(このあたりからもう橋の名前はわからない)さらに川を下ってイーオンを通り過ぎ、橋をくぐり、その先にある。
ここには人はあまり来ないだろうと思われる所に両手を広げ、ブランコを持ち上げている。
雲がこんな風に流れて、青空が少し滲んで、誰もいないこんな所で案山子みたいに踏ん張っている。
いい了見だ。
高圧線もかっこいいラインで風景輪切っちゃって。
僕は久しぶりに健康のことを思いながらペダルを漕ぐ。
いくら頑張ったって筋肉がもりもり付いて、肌が陽の照り返しを受けてピカピカすることなんてないんだけど、こいつの姿には励まされた。
合計4枚写真にした。
かなりいい写真だと思う。

「倒れるなら、もう一歩前に進んでからにしよう、every-body!」
世の中、励まされたがっている人がそんなに多いか?というくらい元気であることを標榜する歌があふれているかもしれない。様な気がする。
ペダル漕ぎながら「倒れるなら、もう一歩前に進んでから倒れよう、every-body!」と
唐突に浮かんできた。
その時には、素晴らしいフレーズが出てきた、と思ったんだけど、天気のせいだった。
でも、せめてもう一歩くらいは前に出られそうの気合いは今時の自分たちには必要なのかもしれないね。

本当は若い時の自分に同情なんか出来ないんだけど、若い時の自分は若い時の自分なりに馬鹿満載で生きていて、63歳の自分にまさか同情されるはめになるなんて想像すらしていない。未来の話だから。
こんな天気の日にブランコを両腕で抱えもってふうふういってるこいつによく似ている。
元気があれば同情される筋合いは何処にもない。

もしかしたら、今の僕があの時の僕に同情されているのかもしれない。
「おっさん、やきがまわったね。」って。
でも、よく出来ている詩です。

今日これから、ラジオカロスに行く。
音楽処の石川さんの番組で10時の生です。

6時48分だ。





2014年5月13日火曜日

3 One day


札幌、のや、のライブ。
トール、哲治、西岡君、古館君、安斉、
ギター、ベース、ミュートトランペット、ギター、ピアノ
こういうアルバムなんだ、というのがはっきりとわかるライブでした。
楽器がせっせと道を作り、おいらはただ唄うだけ。
時々、各楽器のパートがひらひらと舞い上がり、唄を後押ししたり、蹴り上げたり、引っ張ったりしてくれました。
一度しか出ない音、ロマンティックに言うとそういうことなんですが、生きてる限りは何でも一度しか、ということです。
新しい組み合わせのメンバーでしたが、ものすごく刺激的な体験をさせてもらいました。
分母の大きい感覚。
いろんな人が音楽をやっています。


旭川の前に山木君と麻雀をしました。
新解釈、超法規的4次元麻雀。
動画を撮って配信したかったです。
僕等にとって最早、世間的な束縛というのはないに等しい。
みんな河なんて誰も見てはいない。
出来ればまた、一年経ってやりたい。
惚けにもますます拍車がかかって、4人という人数も必要ないかもしれません。
so fan

旭川がまた楽しかったです。
僕は江別で喉に風邪を引き、たらふく喉を治療してアーリータイムズ。
年季の入ったライブハウス。
控え室は二階になっていて、出番まで三回梁に額をぶつける。
次ぎに来る時は多分、もっと多くの回数ぶつけるだろう。
いつか額から血を流しながら唄う日が来るような気がする。
いろんな人がMCに答えてくれます。
話かけるんじゃないと言っても、自然に答えてくれます。
旭川はファンキーになりつつあります。
一人で唄っててこんなにさみしくないライブハウスはないかもしれません。
長い友達がたくさんいる街です。
次は秋。から冬です。

母親も父親も子供に対して定番の話があって、僕の場合は、バス停で夜、仕事帰りの母親を待っていた子供だった、でした。
One day
寒い冬の日を歌ってるのに、オケが南国というのがすごくいいですね。 

おわり




2014年4月22日火曜日

旅の始まり

 熊野古道は、一回行ってどうなる所ではなかった。
もともと僕は旅先で、あっちこっち動く方じゃなく、じっと同じ所に居るのが好きなのでほとんど観光にはならない。
それでも、泉さんの計画的な引き回しがなかったら、暖かい和歌山の熊野古道まで来て、一日中七越しの峰でぼんやりしていたような気がする。(下の写真)
熊野本宮大社の社に入り「コヨーテとUFO」の「ヒット祈願」をしてもらい(宮司さんが「こよーーてーーとーー、ゆーーーーほーーーのーー、ひっとーーーーーをねえがあいーーたてまあつ^ーーりいーー」云々を聞いたときに、真面目なタイトルを付ければ良かったなあと、つくずく済みませんと謝っちゃった。)、次の日には例大祭の参加、渡御祭、斎灯大護摩まで一日中祭というのを追いかけさせてもらった。
おかげで顔が真っ黒に日焼けして、帰って来て肝臓が悪いのかと聞かれる始末だった。
各地から熊野本宮に向かって道が向かっている。
古道というだけあって山の中を縦横に走っている。
奈良、三重、大阪、京都から人が参拝するために繋がっている。
一度どこかの道を走破したいと思うけど、あの山道、道を見失ったら日の目を見ることはないだろう。修験者は平気で山に入り込んだんだし、普通の人たちもそこを登ったり降りたり、野たれ死んだり、追いはぎに会ったり、人さらいに攫われたり、山々を観ていると簡単に想像でき、簡単にひるむ。昔の人はこうだったんだろう。簡単に恐れ、簡単に憧憬をもち、簡単に森羅万象を身に入れ籠み、神様、仏様、樹木を信仰したんだろうなあ。
上で一緒に映ってる地元のシンガーソングライターの丸石輝正君は「この土地に居て、まだ一度も古道を歩いたことがないので、近々どこかの道を歩こうと思っています。なにも知らないのも、どうなんだろうと思うので。」と言ってたけど、是非やって欲しい。
石巻の田舎に帰ったようなしみじみと柔かい気持ちになれた。
川の砂州にこんもりと樹木の生い茂っている所が元々あった本宮で、氾濫で流されて右端の真ん中に見える本宮大社に移動したそうだ。
僕が唯一歩いたのがここで、ここから左に山を下りて行き、ぐるっと迂回して左の森の真ん中から見切れている所に出て、道なりに本宮。

道内の旅がスタート。
帯広、ホーリーズ。
久しぶりに帯広。店も場所が変わっていて、前の店よりも少しすっきりして、日の光が似合う店になっていた。
堀越さんは相変わらず不思議なオーラを出していて、僕にはとてもいい波長が伝わってくる。
お客さんがリラックスしているのをこのごろ良く感じる。
こっちの問題なんだろうなあ、この感じがもっと広げられればいいね。
上々のスタートがきれました。

次は、伊達のカンジー。4月27日。

2014年4月11日金曜日

2 she is a music


she is a musicとshe is the music
昨日と今日
君と僕
みんな似てるけど、それぞれきちんと違う
悲しいような幸せなような
人の何が、
何処が、どうしても、嬉しいような、気後れするような
そこを踏み越えると、一つだけ頷くとしたら
そんな野方図に優しくしても、それって駆け引き
風がびゅうびゅう吹く日に洗濯して
その言い方、初めて聞くような
右手と左手はお互いハンディキャップもって動く
声は多分、相当な時間が経っても憶えてられるように、脳の真ん中から少し寄った所で記憶されている
ネコは毎日ニャーニャー鳴く
黙って一日を過ごさない
要求は必ず通るまで意思をがんばる
僕は窓しかない透明な建物から、3階くらいの窓越しに外を見ている
雨は降ってるけれど、別に、それはどうでもいい
五線譜みたいな風が吹いてるけど、通りすがりの人にはさして重要じゃない
主人公は果たして誰なんだろう
恋の歌は

杉田さんのヴァイオリンと賢治君のアレンジが脳みそをギュッと絞ってくれる。いい。

僕は明日から和歌山に行く
もうじきCD出るっちゅうのに
気の向くままというのか?
よくわからないけど、歌も唄うけど、旅
古いふるい山に行く
何に会えるかかわからないけど、会えるといいなあという気持ちで一杯だ

明日香の本が出た。
いろいろ聞きたいことがたくさん出てくる
人は、居なくなると質問が増えるものです
「生きて、ありがとう」 発行者 ゆいぽーと 発売 KTC中央出版

ミュージックショップ「音楽処」の石川さんに4月9日の道新夕刊でCD褒めてもらった
石川さんも長い付き合いになるけど、いつも会うとニコニコと笑ってくれる可愛い人だけれどきちんと話をしたことがない
先日のラジオの河原さんもそうだけど、話をする機会というのはないもので、作りたいです

来週からいよいよライブ月間になる
ライブの所を参照してくだされ
レッツ ゴ

写真はばか松監督






2014年4月6日日曜日


今日と来週、夜9時からHBC、河原さんの「多恵子の今夜もふたり言」にお話しに行ってきました。アルバムの話を中心にこれからあっちこちで話してこようと思っています。
いろいろ話したいことが思いの外あって、自分でもなかなかまとまらない。
河原さんはものすごく丁寧に今回のアルバムを聞いてくださっていて、こっちが恐縮してしまうくらいでした。
まだ、多くのことを教えてくださる方がいるというのは本当にありがたいことで、とてもいい時間を過ごさせていただきました。
僕は相変わらず早口で喋り、今はまた、ゆっくりと話す心がけでマイクの前に向かおうと心新たにしています。
河原さんはラジオレデイでした。

カロスの深澤君2時間まるまる、三角山の大野さん一時間まるまるもありがとうございました。勇気凛々でした。
やっぱりラジオは楽しいね。
これから、ラジオを回ります。

5月4日 札幌 のや 決定しました。
もうひと月ないのに、こんなぎりぎりにライブ決めちゃっていいのか?という若干の疑問があるけど、レコーディングメンバー(安斉、古館、工藤、トール、+?)がこの日辺りじゃないと集まらないということもあって、それと一度ライブの音を聞きたいという無理矢理な個人希望による強引押しです。




2014年4月2日水曜日

円山市場6月、7月



時間はカチカチと音を立てて進んでいく。
白石に15年以上住んでいて、環状線を跨ぐようにサイクリンロードのアーチの向こうに藻岩山が遠くに見えた。
パチンコ屋、イタリアンレストラン、中華料理屋、レンタルビデオ、モスバーガー、通りを渡って今はもうないパル、ケンタッキー、カラオケスナック、もう一度渡って美容院、歯医者、胃腸科病院、コンビニ、青信号についていくとロイヤルホスト、薬屋、フードセンター、古本屋、靴の流通センター、もう少し行くと、きのとや、バスセンター、シーウィンド、ラーメン屋、自転車の駐輪場などなど、ごちゃごちゃ。
今僕は藻岩山を背中に背負う場所。
白石はけたたましい場所だった。
このところ思うのは、僕はけたたましい場所の方が好きみたいだ。

今の場所から円山市場に行くには結構な距離がある。
環状通りを北に向かって行くと寺があり、墓地が有り、六花亭を右に見て、神宮の公園入り口を右に曲がって信号3つ4つやり過ごし、フードセンター左に曲がると一丁も行くと円山市場がある。
今はこじんまりとした市場になってしまったけど、数年前は二階まであったオールドスタイルのにぎやかだったろうと往時を偲ばせる雰囲気が十分残っていた。
市場自体が珍しい場所になってしまった。
札幌ももう、そんなに残っていない、個人の店が立ち行かないこの時代、市場がもつ訳もなく、行く人はひたすら長いこと建っていて欲しいなあという祈りをもって行く、というと大仰なのだが、大体そうかな?
時間は今日もカチカチと音を立てて進んでいく。

古館君のアコースティックギターは時間の流れに抗うかのように攻撃的なリードを弾いていて、最初聞いたときに「ふーん。」と思い、そういうもんかと納得して、その中身を聞かないままテイクにオーケーが出た。でも、この強さが魚の釣り針みたいに食いつくと外れない仕掛けになっている。
で、最後に出てくるチェロが大見得きって、歌舞伎みたいでいいなあ。

みんなそれぞれ違う時を感じて、経過して行く時間と世間を取りまとめてみても同じにはならない。当たり前だけど。
市場に一番似合う時期。
6月、7月。
川を跨いできた雲が街に影を映してゆっくり流れる。
じわじわと神宮の木々がゆれゆれ揺れる。
クラクションがパーンと鳴ってね。
水彩画みたいな青春がひらひらしちゃって。

             2014、4月3日

5月4日、のやで札幌のライブ。いつやるか迷ってもうひと月しかない。

やることが多すぎて自分のキャパシティを超えそうだぜ。

写真は真駒内公園と自転車。



2014年3月20日木曜日

書き割りみたいな町並みと電信柱


「戦中派不戦日記」山田風太郎、「心理学的にありえない」A・ファウアーを買う。キングの新作があまりにも良かったのと、久しぶりにまだまだ長くてもいい、もっとここに居たいと思って長尺もの「ザ・スタンド」を読み返してみたけど、今はバイオハザードの気分じゃないので途中でやめた。それでも他の小説が頭に入って行かないので、気になっていた「安部公房とわたし」にいく。
書くのに苦労するだろうなとつくづく思った。
実際は何も書いていないんだけど、その辺りが面白い。

「数学的にありえない」が良かったので、勢いで買う。
このところちょっと疲れがあるので、予定を一つ飛ばして昼寝をする。「キングコングとゴジラ」をケーブルで録っておいたので、ソファに横になりながら観る。子供の頃、何故か縁がなく、ぼんやりと通り過ぎた映画を63歳になって観る。当然なんだけど昭和の映画でそれも子供向け、いい大人が、みんなが働いてるときに観るには贅沢すぎる。
緩やかに落ちてゆく。
昼寝の醍醐味。
ギャーーオーー、と遠くで咆哮、バンぼこぼこ、キングコングが胸板叩いている。
こんな平和な時間はこのところなかったかもしれない。

久しぶりの昼寝。
最近の話によると、昼寝はどうも、そんなに健康には寄与しないらしい。つぎからつぎか異説がわき上がって来て油断ならない。

アルバムのジャケット裏面が上の絵。(写真があるとこんなに便利なんだなあ)
ペーパーバックの表紙みたいな仕上がりで、めちゃくちゃアメリカン。
書き割りみたいな町並みと、十字架みたいな電信柱に埃は舞ってるのに人の気配がなく、夢みたいなドライな景色。
「コヨーテとUFO」のイメージ、表と裏で対になっている。
僕よりももっと具体的なイメージを彼は持ってる。この歌に。
片山竜二。
アクリル画家。
一番早くあがって来たのが彼の絵だった。
「コヨーテの顔を見てわたしゃ、泣けましたよ。これで行きます。これ以外に何もいりません、ジャケットの表は。」とデザイン担当のはっしーはきっぱりだった。
第一印象は多分、アルバムを手にした皆さんとそんなに違う感想じゃなかったと思う。
不思議な絵だった。
アルバムタイトル自体がエキセントリックだったので、この絵に出会ったときは「イェーイ」と思ったけど、ここまでいって果たしていいのだろうか?の疑問符が結構付いた。

でも、見れば見るほどこの二枚は深みにはまって行く。

なんたって、僕の歌をハンマー投げのハンマーみたいに遠くに飛ばせてくれる。
片山君にはまだ会っていない。
打ち上げがあったら声をかけて欲しいと言われてる、おそらく、僕よりは人見知りしないみたいだ。
アクリル絵の具と筆で描く。らしい。

おわり





2014年3月13日木曜日

先行販売

明日の新札幌、サンピアザ劇場2014年、春のコンサートでアルバム披露です。
思いの外時間がかかりました。
まずは久しぶりに興奮してます。
エキセントリックなジャケットですが、中も負けていない。



2014年3月12日水曜日

3月12日


3月12日、

     アルバムも出来たことだし、今まで文章だけのブログから少し、
     自分の周りの景色も伝えたいと思い、新装開店することにしました。
     いつものようにタラタラと書いていきます。
     先々週までレコーディングをやっていて、息をつく間もなくコンサート
     のリハーサルと、諸々を背負って走り出しました。
     下の写真はレコーディングが始まった頃の、pianoを録り込む際の仮歌入れ。
     あさっては新さっぽろサンピアザ劇場の本番日です。