2021年7月27日火曜日

ようやく雨が、パラパラと。


 夕張と鵡川の間の高速道がワンボックスカー炎上で10キロの渋滞だと表示板に点灯していた。帯広に向かう道はこの高速か下を走る夕張抜けて日高に出る道しかないので、そのまま高速の乗り続けることにした。うん、ミス。11キロの渋滞に変化なし、もう歩いているスピードか匍匐前進化のスピードしか出せない。この道は結構事故の多いところで何かあったら必ず通行止めか、下走りなさい表示しかない。

いくら渋滞しようが事故処理が終わるまでただ忍耐強く待ち、遅れた分は気を使うわけでもなく料金所で正規の料金を取られる。こういうことに文句を言われないようにETCには人がいない。

1時間後にようやく抜けられそうになり、炎上したというワンボックスカーを道端に探したけど事故現場の後も事故処理の喧騒も何もない、向かいの下りの本線をパトカーがパラパラと帰っていく。なんだかよくわからない道路封鎖だった。せっかく早く家を出てオボヒロの知り合いの農家を訪ねようとしたのだがトンボ帰りになってしまった。

それにしても炎天下の帯広。コロナで浮き足立ってる気配は微塵もない。

帯広はいい街だね、特に街を出て郊外走るとまっすぐな道、たくさんの弧でできた畑、林、丘、遠くの連峰、一時停止のない交差する農道、道道、もうすぐ刈られる乾燥して倒れている小麦の群。結構通っていたのにこの2年山を越えて来なかった。

ハンバーグナポリタン、お子様ランチみたいなものを頼んだ。昭和45年の味がする。懐かしいなあ、ファニー、大学の近所の喫茶店で金があるときに頼んだナポリタン。あしたのジョーがホセメンドーサと戦い終わって葉子にボクシンググラブを受け取ってくれと行った頃の味だね。めむろコーンチャーハンというのもいってみたかったけど。そんなに食えない。

此を書いてる間に大阪なおみさんが負けてしまった、3回戦敗退。なんか覇気がなかった様に見えた。勝つか負けるかのためだけに大勢が集まるイベントはオリンピックしかない。

そうこうするうちにバスケットボール3×3予選リーグ突破。

卓球男女複合のドイツ戦、今までのところベストマッチだった。

柔道、大野さん素晴らしい試合だった。

すみません、急いでいるので。今日はここまで。

サーフィンいくか卓球にくか。

 

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BOOKENDS2 7月18日の日記原稿です。放送は日曜日27:30から28:00

HBCラジオです、アプリのラジコだと1週間タイムフリーで聞くことができます。









2021年7月16日金曜日

楽しいなあ、暑くて。



 橋本さんが「久しぶりにラジオをやりたいので”雨ふり”に集合です。

コロナに遠慮して半年が過ぎた「アヤコフスキー 日々是”口実”」。まるで普段の会話をそのまま時間も決めずに垂れ流したいという欲求のもと始めた相当アナーキーな番組を不定期にネットでやっている。主催者はアルバムやコンサートフライヤのデザインをずっとやってくれているSWITCHの橋本亜矢。僕には拒否権がないので粛々と従う。静かに笑って相槌を打つ係。時々ひどいこと言うのでそこはかとなくたしなめる効きの悪いブレーキの役。彼女はいつも後半になると憶えていないと言う。ワインが時間経つにつれて効いてきて、記憶中枢ぶっ壊すらしい。勇者だ。去年までは僕のサイトにもこの番組貼ってあったんだけど、今年はやらないみたいだ。

今回はプラス西岡君で僕のアルバムスタッフで開催された。

いよいよ後1週間でオリンピック始まる。想像した通りにテレビは盛り上げ始めた。最初からやると言うことに決めていたのである意味ぶれない東京都と日本国。文句垂れるのも面倒くさいから黙って、始まったら見ることにする。東京都がやると言っても国家事業だべ此は。

後始末がどうなっても対策は立ってるのだろう。そうじゃなければただの杜撰という言い方ででおしまいだろう。

玉ねぎが順調に育っている。

「のや」がなくなったので、苗穂のプー横丁に行ったら店の隣に玉ねぎが育っていて、それも結構な大きさになっていた。この畑の隣に集積所があり秋になるとそこで30キロくらいの大袋を即売している。放っておけば育ってるように見えるけどどこかで手塩がかかってるんだと思う。この辺りは昔はもっと玉ねぎ畑が多く、さらに北にまで畑が伸びていた。今はもう周りがっ住宅地になってしまったけどそれこそ「花咲く曲がり角」の歌詞になっている。


埃の向こうにバスが来る 担いだギターに雲が立つ

夏がぼんやり 立ち止まる 電線の向こうで立ち止まる

道に転がるコーラの瓶も 風流に赤を滲ませる

唄を歌ってタマネギ畑 あの季節果たして色は何?

噂通りの大人になってはみたが 過ぎた時ほど変わっちゃいない

昔の街に花が咲き 風はほんのり黄土色 此処でようやく気がついた この人生俺のもの♪


今日は30度を越して真夏がやってきた。どうか長続きしますように。


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BOOKENDS 2  7月11日放送分(HBC 日曜日27:30)















2021年7月9日金曜日

泣きたくなったら此処へおいで、はそういう訳でいいタイトルです。

 


みのや雅彦「泣きたくなったら此処へおいで」2021.6.23 ON SALE

みのや雅彦40周年記念アルバム。

みのや君も40年、長いことこの世界に住んで順調にライブをやってコンサートも打って活動を続けたこの日までの集大成のアルバムがリリースされた。

北海道は偉大な地でたくさんの音楽家を育ててくれる地だ。会った頃はプロレスラーみたいにステージの上で水を吹いていた。それもいつのまにかやめていた、もう水吐かなくてもこの地では大丈夫だ、と思ったかどうか知らないが言葉を吐き出すことでステージが十分に成立するという確信に変わっていた。それぞれ一人ずつそれぞれの場所を確保し365日歌ってきた。

「泣きたくなったら此処へおいで」というアルバムタイトルは最初聞いた時、自信満々のタイトルだと思ったけど、本当に的確なタイトルで、人は泣きたい時励まして欲しい時にはそこに行くのである。これは自信満々じゃなく40年やってきた男のファンとの契約のアジテーションなのだ。

おめでとう、みのや雅彦40周年。

珍しくみのやからメールが来て「白盤で恐縮ですが聴いていただけると幸いです。」と書いてあった。自信作だったんじゃねえか、おめえ。何回か聴かせてもらったけど非常に整理整頓された会心の一作です。   みのや雅彦オフィシャルサイト http://www.mminoya.net/


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今日は午前中にラジオの収録。始める前に録音しておいた佐々木さんユキオさんの2曲を確認のため聴いてみる。うーん、ヴォーカルが少し荒っぽすぎるかもしれない。今度から歌入れを別録りにしようかなあ、とも思ったけど、それじゃただのレコーディング状態だし、凸凹があってのライブ感だし、とりあえずオーケーということで収録始める。


ダルビッシュ滅多打ちの日だった。まあ、そういう日もあるね。頑張れーダル。


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7月4日分のHBC BOOKENDS 2の日記原稿です。


6月1日(火)大晴れ 14:04 今日の天気は昨日から約束されていた大快晴、朝から出かけることは決めていて、いつものように9条通りを上って電停まで歩く。(2キロくらいか)途中振り返って藻岩山を見ると相変わらずロープウェイは止まったままだ。札幌市はどうして止めたままでいるのだろう。動かない街に動いているものを止めることの閉塞感が分かっているのだろうか?なんて、僕は遠くを見るぶんには目がいいからどこからでもロープウェイの動きは見える。山はもともと動かないものだけど、あの小さな箱は山を動かし景色に活動を与えている。


普段だと春から冬までずっと動いている。今の人々の不安はものが止まり、人や街が黙り込むことへの不安である。どこかで電車が海から街に動く、バスが街から街に動く、飛行機が静かに青空の中を飛んでいる、そういう日常を体感できなくなるとさらに街は淀む。東京のライブ、バック イン タウン25、26日の剣をどうするか決定しないといけない。ライブやコンサートをどうするかというのをこの1年半ずっと悩まされ続けている。コンサートを1回飛ばし、2回目は無事着陸したけれど、毎回終わってから緊張する。2週間の安否宣告を待っているのも結構きつい。この対応や対処は間違ってるなあ。大変だ。

2021年7月2日金曜日

元気だった、みんな。


 久しぶりにみなさんの顔が見られてただ、ただ嬉しかった。

東京、新宿の交差点夜8時は驚くばかりの人で溢れかえり、僕と目黒さんは1日目を終えた車の中から「うん、これはやばいかもしれない、早々にホテルに帰って明日に備えよう。」、コロナのステージはいよいよ混沌としてきたかもしれない。

しばらくソロ、それもフルサイズのライブをやっていない身にとって二日間はちょっと重いかもしれないと思ってた。

バック イン タウンの除菌防御システムはほぼ完璧に近かったと思います。

見る側からするとちょっと観づらかったかもしれませんが、優先順位は今はこれが一番なのでしょう、ごめんなさい、ごめんなさい。

いつも僕らはこんな風にライブをやっていて、コロナの前はなんて自由だったんだ、と感じることもこの瞬間にはなく、集まって来てくれた人たちは1年半前と変わらず、目の前にぶら下がるアクルルの衝立さえなければ昨日と同じライブの風景があった。みんな大人の人で本当に良かった。

素晴らしい時間を作ってくれた皆さんに本当に感謝しています。

このコロナの中、ある程度のルールができあがり、その中で暮らしていかなければならないならばもう、何かにつけてエクスキューズする必要はないのだと思います。

長いこと付き合ってくれた皆さんに会ってそのことをつくづく感じました。

東京のバック イン タウン、演奏が終わって階段を登って通りに出る時の感覚、ああ、東京やっぱりいいなあ、と思います。店の前の風景もずいぶん変わったんだと思う。不思議と雨が降らない。いつも天気がいい、夜。もう17年くらいになる、ここでやるようになってから。

また会いましょう。


9月25日に「オホーツクフォークまつり」が延期開催となりました。

これはフォークまつりでもあり哲学、意気地でもあります。

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6月27日、Bookends 28(HBCラジオ、日曜日27:30〜28:00放送)の日記です。

FMフォークキッズ、AIRG,毎月第一日曜日ゲストで。っつうか、このところ川柳人で出ていますのでそっちの方も。





ドネアの試合が終わり、時間が余ったのかホリィフィールドとタイソンの因縁の耳噛み事件の顛末をドキュメントで放送していた。なぜタイソンはホリィフィールドの耳を噛んだのか?ホリィフィールド談。「彼はあの場所から逃げたかった。試合を進めることは勇気のいることで、彼はそこから降りたくなっていた。自分の負けも無くなるし、相手を倒さなかったことを言い訳にしなくてもいい。試合が反則負けで終われば、全てから解放されると思ったのだろうと。」



ホリィフィールドは対戦前の記者会見で、今度の対戦は5年経っているけど何が変わったか、t聞かれ、「5年前と違うのは知識だ。」と答えている。試合前のオッズは25対1で圧倒的に不利な掛け率で直前で6対1にまで下がった。映画ではそこのところには触れていないが多分、当時の空気としてタイソンの仕上がりが思いの外悪かったのか、それともホリィフィールドの言葉に影響を受けたのかはっきりとはしていない。


試合が始まる前にホリィフィールドが見たタイソンの表情は「俺はなんでこんなところにいるんだ?」と言ってるように見えたというからその通りだったんだろう。戦って見て思うに任せないタイソンは焦りイラつき、右耳に2回噛み付いて試合は終了した。ホリィフィールド戦う場所に自分はいたという言葉で幕が降りる。結構長い時間ボクシングを見た日だった。井上尚弥の試合も今月ある。ドネア、井上再戦あるのかなあ。