2023年8月21日月曜日

2023年のセプテンバー




 今日も今日とて朝から30度超えている。

もう2週間以上か3週間毎日毎日30度超えている、寒いより暑い方が好きだと世間に向けていってたけど、さすがにこれはないな。眠るのも大変だし、3時間くらいの睡眠が続いていいていい加減ヘトヘトになってきた。まだ気合が少し残っているから夏バテの症状は出てきてないけど、降参しようかな、白旗あげて何もしないでぐったりしようかな、とさえ思えてくる。

札幌ももうクーラー必要なのかもなあ。この3、4年に買っておかないとそのあとはさらに茹って生きていけない土地になるかもしれないし、東京や大阪、本州の状況を見てるとシャレになんないところに来ていそうな気がする。太陽と地球の話し合いだから我々が口挟めるところはどこにもない、このまま気温のメモリがズルズル上がり続け日本の人はじわじわと北に向かい始める、北の土地の値段がどんどん上がって、本州は砂漠に変わる。安いSFが結構早く見られるのかもしれない。

いづみちゃんから9月のアレンジが上がって来て個人練習に入っている。窓開けて大きな声でやりたいんだけど、隣近所にむやみに聴かせられない。僕が何をしているかは薄々知ってるみたいなのでうっかり聞かれ、各家庭で点数つけるという行為を避けるためにも完全に戸を閉めてやる。それがこの気候、4、5曲歌うと簡単に汗まみれになる、古いマーチンを引こうものなら塗装の隙間から汗がギターの側板を伝い、体の塩分が塗膜のようになかなかの模様になる。コンサート別に9月じゃなくてもいいんじゃないか、10月に伸ばしても問題があるように思われ、タイトルも別に「セプテンバー・・・」じゃなくてもいいし「オクトーバー ソング」「ノーベンバー、もう直ぐ12月」でもいいんじゃないかとさえ思える。


「セプテンバー ヴァレンタイン コンサート」を迎える頃にはまた一年年取って73歳になっている。この秋のシリーズは始まった時はあまり思わなかったんだけど、何年か前から誕生日迎えて最初のライブがこれ、ふと去年の自分の状態や体調、メンタリティ、世の中や人との関わり方の変化などを自問してみると明らかにその変化がはっきりわかる。

劣化しているとかそういうことじゃなく、気のせいも含めて動いている感覚がある。フォーカス癖がついたのか、フォーカスしないとものが見えなくなったのかはわからないけど、ある意味はっきりと違いが見える。

一年ぶりに会える人がたくさんる。久しぶりに会えるのはとても嬉しいし、僕は昔よりその嬉しさを顔で表現できるようになった。抜かしの僕は仏頂面がいつもとは言わないがかなりの時間を怖い顔で過ごしていたらしい。本人にはその感覚はない、いつも明るく、愛想も良く、人付き合いも良いと思っていたのだから感覚なんかいい加減なものだ。一緒にやるメンバーでも一年ぶりの人がいる、嬉しい。このコンサートにしか来ない人がいる、それも嬉しいし。ふと気がついてやって来る人もいる、それだってとても嬉しい。人は少しずつ疎遠になっていく、人は意識しないと会えない。自分たちが生きていたある時代、濃密な時代にひっきりなしにいた人たち、そういう人達に唐突に出会う、それだって本当に嬉しい。ただひたすら優しい気持ちだけを持って会えるならばそれに越したことはないな。

今メールが来た。

とーるからのメールで今やっているロケットとの競合作品のミックス音源が来た。これはコンサートとは関係なく、別の楽しみ。昨日第1稿がやって来て、大筋では正解だと思うんだけど、イントロからAメロに入るところでギターが2本になってるんだけどもう少し空間が欲しいのでいづみちゃんのエレピを軸にアコギ1本で進んで欲しいとオーダーを出したものの返信メール。今これを書いているのでまだメールは開いていない。と言ってるももなく第3稿が来た。とーるもクーラーのない自分の部屋で窓を閉め切りミックスやってる。気の毒だけど偉いなあ。

13時15分、いまひとつギター弾く気にならない。30度。ぶどうアイスとアイスモナカあるんだ。

2023年8月6日日曜日

何か変わったところはどこでしょう?


 暑中お見舞いなりー。

7月9日、武田君のところ、「CO-JACK」でのwithロケット姉妹との周年記念ライブが終わってもうひと月。こんなに暑い夏が続いている。

ロケットの二人はいつも淡々と品位を保ちながら時間の間を涼しげに通過していくように見える。アコーディオンが鳴り、ギターが後についていき、その説明をするように言葉とメロディがふわふわ飛び交う。それぞれが普段やっているステージはみんながみんな違う。本来、主義主張、趣味嗜好、作る和声、抑揚を整理整頓して人前に挙げる。一朝一夕には整うわけがない二つの塊が強調しようとして折り合い、へし合い、音楽の道徳の中で組み合う。

かれこれ半年以上ロケットとスタジオで音を録っている。

合わせようという気持ちと、それだけじゃつまらないから外にはみ出よう、いつもとは同じにならないものを生み出したい、相乗効果になるか逆効果になるか、たかだか3人の人数でも人は一人としていきている、微妙な危険因子を孕んでスタジオは進んでいる。それと自分たちは幾分歳をとり、優しくなってもいるし、頑固にもなっている、20歳の頃の温度を未だ持ち越していたら早々に空中分解して、ここで遭ったが100年目、うどん粉のはな、になってるかもしれない。僕らは普段どれだけ力みかえっていきて生きているのかがわかる。たくさんの音楽や生活や、知識、日常の澱みたいなものを時々駆虫に漂わせながら録音が進む。これが楽しくないわけはない。先週からいづみちゃんもピアノで参戦。ピアノのソロを1曲と歌が入っているもの2曲付き合ってもらった。これが普段のタッチと全くと言っていいくらい違っていて素晴らしかった。みんな本当に自分の姿の30パーセントくらいしか晒さないでやりくりしているんだってつくづく思い知らされた。そのことは楽しいし素敵な発見だね。もう少しで音楽録りは終わる。ナレーション原稿は書き直しも含めてなかなか進まなかったけれど、ようやくここに行くならばというところに合流できた。



大通り公園でビール祭りが開催中。僕は昼日中からビール飲んでありがたくなりたいなあ、と思い続けて何十年、飲んだ片っ端から顔に出る体質で、アルコール飲酒メーターみたいにどのくらい飲んだかが顔の色でわかるくらい、夜の暗い店以外ではおいそれとは飲めない。高校生の時にウイスキーを初めて飲んだ時に、この兆候があり、一生こんな顔で大人になるんだと覚悟はできていた。周りはとにかく下戸というのがいない世界。誰もかれもが大兄酒呑童子に退治されればいいのにというくらいウワバミだらけの環境。ずっと肩身の狭い思いをして来た。今だって狭いには狭いんだけど、別に酒飲めたからって賞金が出るわけでも、ドラゴンの鎧がもらえるわけでもないし、健康になるわけでもないと思えるようになったからいいんだけど、忸怩たるものはある。悔しい、酒飲んで管巻いて、愚痴言って、人の悪口散々言って、朝起きたら覚えていない人になりたかった。10のお願いを神様が聞いてくれたら9番目くらいに酒が飲める男になりたいを入れとこうと思う。

後の写真はこんなことを書くために書いたんじゃなく、ビール祭りが始まる少し前、大通り公園のベンチに歩き疲れたので座っていたら、鳩が近づいて来てベンチの周りをぐるぐる回る。よく見ると片足でぴょんぴょん飛びながら地べたに落ちているかもしれない食い物を探しているように見えた。「片足の鳩かあ、この競争の激しい大通り公園の片隅で餌を探す日々は大変だろうに、こんなにきちんと太っているところを見るとさぞや餌探しがうまいか、どこかに秘密の餌場でもあるのか、どうなんだろう?」と思い、珍しいから写真でも撮ろうかと思い携帯を向けても逃げる気配もない。ぴょんぴょん、本当に器用にあっちこっち移動する、ベンチの背もたれにのぼったり、飛び降りて花壇のレンガに飛び移ったり、足元によって来たりと頻繁に動き回る、まあ、もともとあまりじっとして余裕かましている鳥ではないんだけどめまぐるしく動き回る。突然、2本の足で歩き始めた。どういうわけかはわからないけど、あいつは足をカラスや猫に食いちぎられたわけじゃなく、「もう、今日はこれくらいでいいか」という感じでヒョコヒョコ歩いて地面漁りを続ける。ビール祭りのはなしからここにたどり着くまで結構書いたけど、知ってるけど大した話じゃない。まして普段まともに書いていないここに書くことでもないと思うんだけど、携帯の写真を見たらつい、出来心で。すみません。



9月14日、ふきのとうホールでのセプテンバーセプテンバーヴァレンタインコンサート、まで40日となりました。

コロナは相変わらず世の中の低音域担当みたいにのたうってますが、人々の生きて行く、自分の人生、コロナの顔を窺って息するのは本意ではないと決心した人も相当数います。今年、上半期歌っててそのことを一番強く感じ、揺れない木があったら揺すってでも盛り上がってやる(変な例えだけど)決起盛んなものを煽りとしてもらった。

14日がどういう日になるかは蓋を開けて見なければわからないですが、去年の一年と今年の一年には明らかに違うものがあります。時間、が日々、年々大きくなっていきます。日常そのことを意識するかといえばそんなことはないのですが、時間は物理ではなく宗教の領域に突入しているような気さえします。

上の写真は去年の僕らの瞬間です。

何か変わったところがありますさてどこでしょう?という謎解きかもしれません。

ぜひそれを見においでください。