2023年12月2日土曜日

12月は普通はやさでやって来た。


 この歌うという仕事に携わって早47年になろうとしていて、渋谷のエピキュラススタジオで初めてのレコーディングが東京への道が開いた渋谷もまだ雑然としながら、まだひっそりと人が住んでいる実態がまだあった。

人が歌うとそこには聴いてくれる人が現れ、時々励ましてくれる人もいて、過激な人はライブの感想などを容赦なく感想を述べる人も出てくる、おおよその人は胸の中に数多くの感想を持ちながらも容認してくれる。時として客と演者という関係性がわからなくなりお互いに何を求めているかすらわからないまま遠ざかる人は去っていき、それでも奇跡的にそこを通り抜けて長い付き合いが始まる人たちがいる。奇跡という言葉を使ったけれど47年間という時間の中で自分のこの仕事を続けるにはその言葉がないと説明がつかなくなることが多々あった。そのことに期待をするのはこっち側で、客、聴衆はそんなことはおそらく斟酌したことはないだろうし考えもしなかったかもしれないけど、ゆっくりと考えると僕ら演者はそのことをどこかで夢見ている。

時が経ち僕らは少しずつ年を取ってゆく。時代も少しずつ変わってゆき、自分たちが若者とか青春という時間から緩やかに逸れていく、そのことは別にどうということはない、言ってみればメインディッシュを終え、さてケーキでも食べようかという頃合い。楽しいことはまだ残っている。むしろ余裕さえあるかもしれない。

この僕のブログを覗きに来てくれるみなさんはおそらく間違いなく僕のことは知っているし、ある程度乱暴なことや横暴なこと、鼻持ちならないこと、間違った見識、を書き散らそうが誰も馬鹿野郎という人はいないと思います。長いことコンサートやライブ、それに準ずるもので顔を合わせている人たち。長い時間一緒に時間を作って来てくれた盟友、仲間、友人、その他諸々の共犯の方々。ありがとう。

今年ももうひと月で今年が終わります。もう、一年が早くってつ言葉もやめようと思います、その感覚にもなれたので、時間は僕達を待ってくれないし、思いの外せっかちなやつだからそのまま認め、話題にしないことにしました。

本当に長い付き合いにないますがこれからも続くことを願ってやみません。

長い間本当にお世話になりました、そしていつも力をもらいました。50年目もお祝いに付き合ってもらいかったですが、とりあえずそこを目指して歌い続けるつもりです。

僕は今日も元気です。

みんなもくれぐれも健康に注意してね。


2023年10月25日水曜日

10月はたそがれの国、入り口はここだったな。




 10月1日、バック イン タウン、ロケット姉妹との合体ライブ。

もうひと月前のことであまり詳しいことは覚えていないけど、初めての東京でのライブ。

このブログやfacebookなどでは知っていたことと思うけど、実際目にするのは初めてだったと思います。札幌では結構数多くやって来てるんだけど東京初披露、終わってからの感想が良かった、素晴らしかったということを聞いてはるばるやって来てただただ、良かったと一同思っていました。ロケットも結成してもう10年は経っていて、ますます円熟期に入っているのが最近とみに感じます。ゆきちゃんの豊かなアコーディオンの表情と演奏の時の顔、マルカートというソロでの実績、揺るぎない自信みたいなものが溢れていて素晴らしかったです。それと扇柳トールの人当たりがいいというか穏やかな春の日陰みたいな、神経質な、時には放心したような、いつフェントかけられても対応するぞ的な用心深さも兼ね備えた演奏形態は哲学的でもあります。ロケット姉妹を推そう!

機会があったら、また東京やりたいと思いますのでパート2を期待していてください。合同演奏はいつもどんな問いでも楽しいいです。



細坪君の50周年記念は息長く、自信と信念とたくさんのプレッシャーをはねのけ、自分の声を信じてここまでたどり着いた一つの区切りとして行われている。ふきのとうの時代よりもさらに長く、ひたすら一人でここまでたどり着いた50年。ふきのとうの頃は札幌の音楽シーンの後輩というしがらみみたいなものがあったかもしれないが、細坪基佳になって、もう誰に気兼ねすることなく細坪街道まっしぐら、厳密にいうと自分の方がこの世界では「細坪さん」という先輩になる。この写真を見てもこの道をひた走って来た先輩、細坪基佳さん、50年お疲れさんです。あとを追いかけて行きます。怪我や病気もせいぜい骨折で収めてくださいな。何と言ってもふきのとうは北海道の先駆け、先駆者だから。長生きしてください。いつか誰かに言って見たかった言葉だす。


アンコールで五十嵐浩晃君がう値に来ていて、出番待ちの時に新曲を披露してくれている時の写真です。なんか楽しそうなので載せました。相変わらず毎日の演奏のルーティーンを欠かさずやっている五十嵐君はこのところ鑑です。五十嵐にも書いておこうっと、長生きしてください。


下に11月と12月の告知を貼っておきます。雨に敗れかけた〜 街角のポスターに〜


11月4日(土)。佐々木・倉橋・みのやジョイントコンサート。

久しぶりの紋別で、久しぶりのみのや君、ルイ子ちゃん。それにしても北海道のミュージシャンしぶとく歌ってる、なんか小さい頃から知ってるな仲間みたいになってきました。

11月10日(金)LOGライブ、久しぶりのLOGでのソロライブです。

11月23日(木)星の瞬く夜に 〜第二夜〜 カバー主体の若者ユニットに参加

12月9日(土)旭川 佐々木幸男ライブ &(アンド)12周年記念











2023年8月21日月曜日

2023年のセプテンバー




 今日も今日とて朝から30度超えている。

もう2週間以上か3週間毎日毎日30度超えている、寒いより暑い方が好きだと世間に向けていってたけど、さすがにこれはないな。眠るのも大変だし、3時間くらいの睡眠が続いていいていい加減ヘトヘトになってきた。まだ気合が少し残っているから夏バテの症状は出てきてないけど、降参しようかな、白旗あげて何もしないでぐったりしようかな、とさえ思えてくる。

札幌ももうクーラー必要なのかもなあ。この3、4年に買っておかないとそのあとはさらに茹って生きていけない土地になるかもしれないし、東京や大阪、本州の状況を見てるとシャレになんないところに来ていそうな気がする。太陽と地球の話し合いだから我々が口挟めるところはどこにもない、このまま気温のメモリがズルズル上がり続け日本の人はじわじわと北に向かい始める、北の土地の値段がどんどん上がって、本州は砂漠に変わる。安いSFが結構早く見られるのかもしれない。

いづみちゃんから9月のアレンジが上がって来て個人練習に入っている。窓開けて大きな声でやりたいんだけど、隣近所にむやみに聴かせられない。僕が何をしているかは薄々知ってるみたいなのでうっかり聞かれ、各家庭で点数つけるという行為を避けるためにも完全に戸を閉めてやる。それがこの気候、4、5曲歌うと簡単に汗まみれになる、古いマーチンを引こうものなら塗装の隙間から汗がギターの側板を伝い、体の塩分が塗膜のようになかなかの模様になる。コンサート別に9月じゃなくてもいいんじゃないか、10月に伸ばしても問題があるように思われ、タイトルも別に「セプテンバー・・・」じゃなくてもいいし「オクトーバー ソング」「ノーベンバー、もう直ぐ12月」でもいいんじゃないかとさえ思える。


「セプテンバー ヴァレンタイン コンサート」を迎える頃にはまた一年年取って73歳になっている。この秋のシリーズは始まった時はあまり思わなかったんだけど、何年か前から誕生日迎えて最初のライブがこれ、ふと去年の自分の状態や体調、メンタリティ、世の中や人との関わり方の変化などを自問してみると明らかにその変化がはっきりわかる。

劣化しているとかそういうことじゃなく、気のせいも含めて動いている感覚がある。フォーカス癖がついたのか、フォーカスしないとものが見えなくなったのかはわからないけど、ある意味はっきりと違いが見える。

一年ぶりに会える人がたくさんる。久しぶりに会えるのはとても嬉しいし、僕は昔よりその嬉しさを顔で表現できるようになった。抜かしの僕は仏頂面がいつもとは言わないがかなりの時間を怖い顔で過ごしていたらしい。本人にはその感覚はない、いつも明るく、愛想も良く、人付き合いも良いと思っていたのだから感覚なんかいい加減なものだ。一緒にやるメンバーでも一年ぶりの人がいる、嬉しい。このコンサートにしか来ない人がいる、それも嬉しいし。ふと気がついてやって来る人もいる、それだってとても嬉しい。人は少しずつ疎遠になっていく、人は意識しないと会えない。自分たちが生きていたある時代、濃密な時代にひっきりなしにいた人たち、そういう人達に唐突に出会う、それだって本当に嬉しい。ただひたすら優しい気持ちだけを持って会えるならばそれに越したことはないな。

今メールが来た。

とーるからのメールで今やっているロケットとの競合作品のミックス音源が来た。これはコンサートとは関係なく、別の楽しみ。昨日第1稿がやって来て、大筋では正解だと思うんだけど、イントロからAメロに入るところでギターが2本になってるんだけどもう少し空間が欲しいのでいづみちゃんのエレピを軸にアコギ1本で進んで欲しいとオーダーを出したものの返信メール。今これを書いているのでまだメールは開いていない。と言ってるももなく第3稿が来た。とーるもクーラーのない自分の部屋で窓を閉め切りミックスやってる。気の毒だけど偉いなあ。

13時15分、いまひとつギター弾く気にならない。30度。ぶどうアイスとアイスモナカあるんだ。

2023年8月6日日曜日

何か変わったところはどこでしょう?


 暑中お見舞いなりー。

7月9日、武田君のところ、「CO-JACK」でのwithロケット姉妹との周年記念ライブが終わってもうひと月。こんなに暑い夏が続いている。

ロケットの二人はいつも淡々と品位を保ちながら時間の間を涼しげに通過していくように見える。アコーディオンが鳴り、ギターが後についていき、その説明をするように言葉とメロディがふわふわ飛び交う。それぞれが普段やっているステージはみんながみんな違う。本来、主義主張、趣味嗜好、作る和声、抑揚を整理整頓して人前に挙げる。一朝一夕には整うわけがない二つの塊が強調しようとして折り合い、へし合い、音楽の道徳の中で組み合う。

かれこれ半年以上ロケットとスタジオで音を録っている。

合わせようという気持ちと、それだけじゃつまらないから外にはみ出よう、いつもとは同じにならないものを生み出したい、相乗効果になるか逆効果になるか、たかだか3人の人数でも人は一人としていきている、微妙な危険因子を孕んでスタジオは進んでいる。それと自分たちは幾分歳をとり、優しくなってもいるし、頑固にもなっている、20歳の頃の温度を未だ持ち越していたら早々に空中分解して、ここで遭ったが100年目、うどん粉のはな、になってるかもしれない。僕らは普段どれだけ力みかえっていきて生きているのかがわかる。たくさんの音楽や生活や、知識、日常の澱みたいなものを時々駆虫に漂わせながら録音が進む。これが楽しくないわけはない。先週からいづみちゃんもピアノで参戦。ピアノのソロを1曲と歌が入っているもの2曲付き合ってもらった。これが普段のタッチと全くと言っていいくらい違っていて素晴らしかった。みんな本当に自分の姿の30パーセントくらいしか晒さないでやりくりしているんだってつくづく思い知らされた。そのことは楽しいし素敵な発見だね。もう少しで音楽録りは終わる。ナレーション原稿は書き直しも含めてなかなか進まなかったけれど、ようやくここに行くならばというところに合流できた。



大通り公園でビール祭りが開催中。僕は昼日中からビール飲んでありがたくなりたいなあ、と思い続けて何十年、飲んだ片っ端から顔に出る体質で、アルコール飲酒メーターみたいにどのくらい飲んだかが顔の色でわかるくらい、夜の暗い店以外ではおいそれとは飲めない。高校生の時にウイスキーを初めて飲んだ時に、この兆候があり、一生こんな顔で大人になるんだと覚悟はできていた。周りはとにかく下戸というのがいない世界。誰もかれもが大兄酒呑童子に退治されればいいのにというくらいウワバミだらけの環境。ずっと肩身の狭い思いをして来た。今だって狭いには狭いんだけど、別に酒飲めたからって賞金が出るわけでも、ドラゴンの鎧がもらえるわけでもないし、健康になるわけでもないと思えるようになったからいいんだけど、忸怩たるものはある。悔しい、酒飲んで管巻いて、愚痴言って、人の悪口散々言って、朝起きたら覚えていない人になりたかった。10のお願いを神様が聞いてくれたら9番目くらいに酒が飲める男になりたいを入れとこうと思う。

後の写真はこんなことを書くために書いたんじゃなく、ビール祭りが始まる少し前、大通り公園のベンチに歩き疲れたので座っていたら、鳩が近づいて来てベンチの周りをぐるぐる回る。よく見ると片足でぴょんぴょん飛びながら地べたに落ちているかもしれない食い物を探しているように見えた。「片足の鳩かあ、この競争の激しい大通り公園の片隅で餌を探す日々は大変だろうに、こんなにきちんと太っているところを見るとさぞや餌探しがうまいか、どこかに秘密の餌場でもあるのか、どうなんだろう?」と思い、珍しいから写真でも撮ろうかと思い携帯を向けても逃げる気配もない。ぴょんぴょん、本当に器用にあっちこっち移動する、ベンチの背もたれにのぼったり、飛び降りて花壇のレンガに飛び移ったり、足元によって来たりと頻繁に動き回る、まあ、もともとあまりじっとして余裕かましている鳥ではないんだけどめまぐるしく動き回る。突然、2本の足で歩き始めた。どういうわけかはわからないけど、あいつは足をカラスや猫に食いちぎられたわけじゃなく、「もう、今日はこれくらいでいいか」という感じでヒョコヒョコ歩いて地面漁りを続ける。ビール祭りのはなしからここにたどり着くまで結構書いたけど、知ってるけど大した話じゃない。まして普段まともに書いていないここに書くことでもないと思うんだけど、携帯の写真を見たらつい、出来心で。すみません。



9月14日、ふきのとうホールでのセプテンバーセプテンバーヴァレンタインコンサート、まで40日となりました。

コロナは相変わらず世の中の低音域担当みたいにのたうってますが、人々の生きて行く、自分の人生、コロナの顔を窺って息するのは本意ではないと決心した人も相当数います。今年、上半期歌っててそのことを一番強く感じ、揺れない木があったら揺すってでも盛り上がってやる(変な例えだけど)決起盛んなものを煽りとしてもらった。

14日がどういう日になるかは蓋を開けて見なければわからないですが、去年の一年と今年の一年には明らかに違うものがあります。時間、が日々、年々大きくなっていきます。日常そのことを意識するかといえばそんなことはないのですが、時間は物理ではなく宗教の領域に突入しているような気さえします。

上の写真は去年の僕らの瞬間です。

何か変わったところがありますさてどこでしょう?という謎解きかもしれません。

ぜひそれを見においでください。

2023年6月29日木曜日

そいで、ライブを粛々とやるっつうのはどうですか?



7/9(日)佐々木幸男withロケット姉妹ライブ@Co-Jack 旭川 sold outd

 武田君のCo-Jackがオープンして8年になる。コロナも凌ぎきってこれからまた通常に戻るだろうを願って、去年に引き続き行って来ます。「旭川に飲みに来ませんか?そいで、ライブを粛々とやるっつうのはどうですか?」武田君の誘い文句。ライブにはそれぞれのスタイルがあっていいと思う。

小樽でやった「ありがとう」での扇柳、深川セット。旧「一匹長屋」、長いことやって来た下村さんとの本当にお世話になり、ありがとうの気持ちもあったライブ。付き合ってくれたお客さんも同じ気持ちの中で進んだ時間、僕らにはこういうこともこれから多々あるんだという確認も含めての共有感。少しずつライブが本当にリアルな日々の時間からの脱却、長いこと、同じ時間、同じ空間、同じ記憶を足してみると、もう写真のように止まった映像じゃなく映像にまでなってるのが素晴らしい。

「星の瞬く夜に」マスジがこれから続けていくだろうライブの1回目の歌い手として参加した。あえて歌い手と書いたのは自分が歌い手として、意識しながら歌うことをアプローチした所以なので。ジュリーの「時の過ぎゆくまま」を奥山君が選んでくれた。好きで歌う歌は体に入っている年季が違う。自分が書けないことを歌わせてくれる快感があった。そしてたくさんの好きな歌があることに改めて教えてもらった気がする。それと職業作家が書くものの見事なフォルムを本当に実感した。もし質問することが可能なら、聞きたいことがふんだんにあることも知った。

僕は毎日歌ってる。

昔は歌う日がなくても本を読んでいた。今、その昔読んだ本を改めて読み返している。もう新しい本は要らない。「白痴」から「罪と罰」、あいだに今読まれている本を挟み、「嵐が丘」がこんなに重量感があり楽しい読み物だったって思ってなかった若い頃の自分の活字を読むのが趣味だった時代をしみじみ思う感覚。ディケンズの「二都物語」10日前に読了。古い本だから話も古いんだけど、作家の力というのは古い新しいは関係なくただただ感心するだけ。今週は田中小実昌「ひるは映画館、よるは酒」、タイトル通りの内容でもう遭遇することのない映画館とそこで上映されていた映画の数々、こんなに楽しい日々を送っていた人が世の中にたくさんいたというだけでも嬉しくなる。次は「白鯨」かうウェルズ。

僕は毎日歌ってる。

本を読むみたいに毎日隙をみては歌ってる。体がどういう風に歌を変えていくのかがよくわかる。今までのアプローチから少し変えていくのかもしれない。腕をぐるぐる回しても可動域が小さくなっていくように声帯も使えるところと、そこはどうなんだろう?そこの足りない文をこっちから持って来て、あっちに割り振りし、録音を録ってみて全体を見渡したり、なんだか考えようによっては愉しい。毎日歌っていて思ったことは、まだ拗れているものは何もない。それともう人と比べてどうの、ということにも何も意味はないということがよくわかった。

久しぶりに雨がザワザワ降ってる。不眠気味の最近には絶好の雨音。もう寝ちゃおうかな。

7月前に書いておかないと思ってパソコンの前に座った。よくわからないけどアリバイ工作という言葉が目の前でチラチラ。何に対するアリバイよ?

上の写真は富良野の六花亭の広々テラスです。

小玉家、梅とじ天ぷらそば、このところの推し。








 

2023年5月17日水曜日

大谷くん今日はノーヒット。残念!


 録音したりリハーサルやったり、人に会ったり、映画見たり本読んだり、猫のトイレ替えたり、電車乗ったり、細いボールペン買いに行ったり、おねえさんの店にパイ買いに並んだり、後何年こんな風に調子よく歌ったりできるんだろうと思ったり、さすがにギターを弾き続けると腕の腱が炎症起こすようになったり、肝心要の人が何人もあっちの世界に行ってしまって困るなあと感想述べたり、松の炬燵もういい加減しまおうかと算段したり、それでも人の暮らしは、それらのことをきちんと管理し、混沌となんらないように円滑に進んでいくから立派なもんだ。

まず、6月9日の円山夜想(ノクターン)でのライブが当面喫緊の課題だす。

6月5日がデビューのの日ということで去年から毎年やろうか?とぼんやり呟いたらマジな話になってしまった。もともと僕は記念日とかなんとかの日というものにほぼ関心がない。でも世の中の大体はそうじゃなく、一応けじめをつけながら次のイニングに向かっていくというのが常道なのだ。何も旗の立たない荒野をふらふらと歩いていくのはいい大人のすることじゃないらしい。忘れていた古い記憶を何かの拍子にもい出すかもしれない。振り返っても下手すると首に支障を起こすかもしれない、恥かしさも込み上げてくるかもしれない。うん、まあ、それもいいかということでの円山夜想。元気な姿を見に来てください。

ロケット姉妹との録音が続いている。藤野にある奥寺くんのスタジオNOOK(ヌーク)で週一ペースでゆったりとやっている。札幌市なんだけど札幌市南山の中区熊の里字狐村みたいな辺鄙なところ、スタジオ名にもなっている辺鄙なところに毎週出かけていく。奥寺氏は手助けしてくれている上にさらに毎回お菓子とコーヒーを用意してくれていて、本人は踏んだり蹴られたり状態。ただひらすら感謝するしかない。ゆきちゃんは嬉々としてアフタヌーンティ状態。

ロケットに自分が加わる状況はロケットにされることになりかねない。できるだけロケットを残しながらも3人の化学反応というか別の飛行隊になりたい。そういう出し入れが音楽になるんだと思うし、そうじゃないとつまらないので出来るだけ壊したい欲求を優先させることにしてるが、ロケットはロケットで培って来た歴史みたいなものもある。それと僕らは年々頑固になっていくと、前にもここで書いたように、その頑固さとの戦いでもある。もう少しこの作業は続く。先日、昔のメンバー、第1巻第100章の伴さんにフルートを吹いてもらった。52年経っても変わらず伴さんは伴さんだった。久しぶりに真面目で一本気のフルートを聞いた。



1年半くらい前に曲の依頼があって、その話が動き出したのが去年、60年代のアメリカのガールズグループが歌っていたような1曲とJ.Dサウザーみたいな感じの曲調で1曲、というざっくりとした希望を言われた。当然最初はその方向で作り出すんだけど、途中から自分の本来の趣味嗜好が満載に溢れて来て最後はなんとか手綱をできるだけ絞って完成させて渡した。境長生氏とみのや雅彦の3人が楽曲作者になり、女子3名がいわゆる歌い手。いくもまり、土生ひなの、かとうなおの3方。とにかく、この御三方の歌がとても素晴らしいのです。僕は面識がないのである意味突然目の前に現れて歌を聞いた感じだった。こんなにまとまったオムニバスの構成を聴いたのはあまりなかったので、しばらく聴き続けました。本当に彼女たちの余分な感情を排除した、歌い方、それとそれぞれのVOICEがとても良いです。配信でも聴けますし、札幌の音学処でも購入できます。



 「星の瞬く夜に⭐︎⭐︎ 〜第一夜〜」6月17日(土) ル・ケレス南円山ミュージアムホール

新しいセッションで何かやりたいなあ、と思っていたら、飛び込んで来たイベントです。今はもう星の瞬きなんぞは町の中では見られなくなったけど、あると仮定してその星空の下普段歌わない歌などを集めてやりませんかという趣旨のコンサートライブです。多分。マスジが指揮を取ってくれるということなので僕は好きな歌を好きなように歌わせてもらうという、そして久しぶりの古館くんとのセッションも楽しみです。いつもとはちょっと若いセッションメンバーです。さてみんなちゃんと構ってくれるか?


僕はこれから、宮の森珈琲に武田くんに会いに行って来ます。そろそろナレーション録りも視野に入れないと先が見えないので。頭の中にあるものを見えるようにしていく作業の始まりだ。

電動歯ブラシ最新版を買った。歯磨きをいちいち評価される。今のところ合格点をもらったのは一回だけ、あとは怒られっぱなし。面倒臭い世の中になったなあ。その代わり磨いた後は歯医者でクリーニングしてもらったみたいな爽快感がある、けど、勧めない。誰かの評価で生きていく人生は送るべきじゃないから。ハイホー!

2023年2月28日火曜日

3月14日、札幌。4月10日、東京。4月22日、小樽。その間はずっと録音。と猫可愛がり。


 取り急ぎ決定したことをお知らせします。

 4月22日、小樽、旧「一匹長屋」こと現在「ありがとう」でライブをやることに決定しました。下村さんがいなくなって、何かしら踏みとどまってた感のあった場所ですが、一度詣の気持ちもありつつの決心でした。昔と同じ扇柳トール、深川忠義のセットでやりますので、7年のみんなの時間の経過を確認とあの花園界隈を訪ねてみようと思う方々で楽しみたいと思います。ぜひ3月14日の札幌共々よろしくお願いします。もうずいぶん経ちました。

さっき、小樽の岡西さんから「やるんですか?仕事のシフトの関係上是非早めに教えてください。」というメールをもらったので、急ぎここに書き上げた次第です。

と言いながら、3月のベーカーとのリハーサルも佳境に入りつつあります。ピアノの井上大介以外はみんな同学年。体調もそれぞれ絶不調。ここまでくるとただ人生を深く考えるというより、自分たちにあてがわれたこの生活環境、肉体環境、数々の後退感、それら共々引き受け、ガッツある空中浮揚を行う以外道はなし。と行った感じでとてもブルージーな僕ら。

今回の3月14日の春のコンサートは僕らがこれからどうやって音楽を羽交い締めしていくかがわかるとても今日に深いイベントになっています。

去年の8月だったか、9月だったか目黒さんと「さて、来年の春、どうしょうか?前回はバンド、大人数で舞台に上げられるだけあげて賑やかにやったけど、来年はさて、何か考えある?」と聞いたら目黒さんが「久しぶりにベーカーと、どうですか?みんな歳だし。」「なんだよ、それ、みんな歳って、それってみて面白い?」「面白いかどうかはさておき、70超えたおっさんバンド、それも現役バリバリの匂い漂うバンドなんてそう見れないから、いいと思いますけど。」そうか、そうか、目黒さん責任取るんだったら僕にはなんの異論もない。その瞬間に懐かしい匂いがしてきた。下手したらみんなもう50年以上音楽やってきた人たち。澤内あきらの元に結集してきたバンド。この街でバンド一筋50年のおっさん達。これ以上の意味はいらんべ。んなこんなで僕らはただいま鋭意リハーサル中。気合だけは入ってる。ような気がする。いかんせん反応がよくわからん。ただ、のりさん(鈴木のりさん)はやむなく出られない。



2月3日のコッキーコンサート、ここもたくさんの年季入った人ばかりが集まったコンサートだった。僕がヤマハにいた時よりも圧倒的にスムーズに話ができるようになり、プロに育った人のきちんとした仕事っぷりを舞台の袖で見させてもらった。70年第80年代ではわからなかった自分たちのいた場所、それが今ははっきりと意識できたコンサートだった。聞いてる人が自分が一番気に入ってた時代に戻る手助けができるなら、それは他の人にはできないことで、自分たちがそのナビッゲートできるなら何も抵抗する理屈はないのだろうね。

またいつか、と行って別れの挨拶が交わせるのはまだ先があるからできることで、それだけでも僕らは幸せなんだろう。というようなことが言えるようになったのにもこれだけ時間がかかった。はあー。


今やってるのがこれで、一昨年から奥寺くんのスタジオで始めた録音の一環。
1枚目はBOOKENS2というラジオ番組で流す弾き語りをとって強引に CDにまでした。
これが通し番号00番。
これからやっていこうと思っているのが01、02、03、と続くもの。それも相当まとまったもの、音楽と何かの合体、その他諸々の今まで面倒で誰も手を出さなかったもの。出来上がって見てようやく説明ができると行ったものになること。
最初に登場してもらっているのがロケット姉妹。ロケットとは去年結構ライブを一緒にやって、できたら何かまとまったものを作ってみようかという空手形は去年のうちに出しておいて、今年になって「さあ、スタートだ!」でいきなり録音が始まった。今3曲。
考えられることは全部この進行の中に取り込んでいこうと思っているので、頭の中はまだアイディアで煮立っている。それとできるだけたくさんの人に登場してもらいたいと思っているので、色々声をかけたいと思っています。写真のおじさんは扇柳トールです。ギターを弾いてる最中で、写真に取られそうになってるので内心焦ってるところです。

2023年1月30日月曜日

寒いぜ札幌!でもこれはこれでいい!!


 「女と男のいる舗道」1963年、中学1年のときの映画で、ガキの観る映画ではなく、ハードルの高めに設定されたものだった、と思う。フランス映画嫌いはこのころのイメージ拠るところが大きい。大人になってもその感覚は抜けず、明らかにトラウマになっている。

何かに傷つけられたり、ひどい目にあったわけではないが黒沢の映画が嫌いというのに多分よく似てる。今でも加藤に評価されているんじゃないかといういちゃもんみたいな評価が自分の中に頑としてあり、そこから一歩も前に進めない。

それでもようやくこの年になり見ようという気になった。

でもやっぱりピンとこないし、映画を見るという高揚感が全くなく、何かしら映画から溢れ出る優越感や人種差別みたいなものが、これはこっちのいわれのない言いがかりだかR弁解の余地はないが、好きになれない、”お前嫌いだ”という頭からの一言がこぼれ出る。

途中「人と人が話しをする」ということを主人公の娼婦と老人が話す場面があった。

その場面が素敵なのだ、そう言いながらも。


♀ 人は物言わずに生きるべきだ。話しても無意味だわ。

♂ 本当にそうかね。人は離さないで生きられるだろうか?そうできたらいいのに。言葉は愛同じだ。それなしには生きられない。

♀ なぜ?言葉は意味を伝えるものなのに。人間を裏切るから?

♂ 人間も言葉を裏切る。書くようには話せないから。だがプラトンの言葉も私たちは理解できる。それだけでも素晴らしいことだ。2500年前にギリシャ語で書かれたのに。誰もその時代の言葉が正確には知らない。でも何かが通じ合う。表現は大事なことだ。必要なのだ。

♀ なぜ表現するの?理解し合うため?

♂ そう、考えるため、考えるために話をする。それしかない、言葉で考えるを伝えるのが人間だ。

♀ むずかしいことなのね。人生はもっと簡単なはずよ。

♂ 人生を諦めた方が上手く話せるのだ。人生の代償

♀ 命がけなのね

♂ 話すことはもう一つの人生だ。別の生き方だ。話すことはーー離さずにいる人生の死を意味する。上手く説明できたかな?話すためには一種の苦行が必要なんだ。


人生を利害なしに切ること、でも毎日の生活にはむりよ。だから人間は揺れる、言葉と沈黙の間を。

♀ 考えることと話すことは同じ?

♂ そう言葉は魂だと。

僕の家のテレビは白黒映画を写してるはずなのにこんなパープルに映る。去年の秋口からこじれてきて基盤修理でなんとかしてきたけど、さすがにこれはもう自分の視覚と脳みそをごまかすのに限界がきた。買い換えたらつまんない普通のテレビになってしまった。結構アートでサイケデリックだったんだけどなあ。

この映画、最後まではまだ見終わっていないで栞挟んで休んでる。主題曲が当時好きだったんんで最後を見届けるだろうなあ。場面場面が今見てもおしゃれで雑誌のグラビアみたい、それでも入れないのはこっちにも責任が十分ある。なんかすっきりしないなあ。

若者の中に無理やり突進している齟齬っていうやつかもしかしたら?


新年の挨拶も今年はしないままに2月を迎えんとしている。

先週、境長生くんとエルマンゴ。非常に感じのいいライブを行ってきました。今年も元気に行けそうです。

開けて2月3日、東京コッキーポップコンサートに一平さんと乗り込んでいきます。東京近郊の皆さん是非おいでください。僕らまだ結構すごいから。