2022年12月31日土曜日

みんなを連れて、来年に行きます。Thank you very much!


 野沢さんとのきっかけは南さんがアーリーに連れて入ってくれて付き合いが始まった。

人と出会ったきっかけや瞬間を大抵覚えていない。そしてその後の付き合っていく過程などはさらに想像もつかない。

62歳で人生を全うしたことについては、病気と闘ってる時間が長すぎて僕の年齢にまで到達することはまずないだろうと思っていたし、野沢さん自身も多分ある程度の覚悟はしていただろう。人生を長生きすることに全霊を賭ける人でもないように見えた。ただこればかりはあれだけ一生懸命病と戦った人だからまだまだ生き続けようと思ったのかもしれないし、そこのところについては酒を飲み続け、タバコを離さなかったところを見てもよくわからない。

ライブハウスの経営者としては相当癖の強い、相当タフな、一見すると武闘派のライブハウスプロデューサーとしてずっと記憶に残る人になった。これから先こういう店はそう多くは出てこない。昭和のある時期から石化が始まり少しずつ店に時間が降り積もり始め、この店にしかない空気をまとい、演者と客の連帯感、信頼感が強く醸し出されていった。だからと言って音楽を戦う場だとは微塵も考えていない、本当に平和的に穏やかに、優しくそこに集まった人と共犯幻想を持つことを主義としていた。と書くと野澤さんは「何言ってんですか?僕は単なる好きな音楽の蒐集家だけですから。」とも言わないけどそれに近いことは言っただろう。

1年に2回、旭川でやるようになったのは打ち上げの何かの会話がきっかけで、どうせだったら次のライブのにってを決めましょうかということになり、野澤さんが予定表を持ってきて大体の日にちをリストアップして本決まりの日を決める。これを書いていると打ち上げの案時間が浮かび上がってきてしみじみ悲しい。人は必ずいつか空に昇っていくんだけど、どうせならこんな記憶が残るといいなあ。断片的にしか記憶は起き上がってこないけど、アーリータイムズという店が言葉にのぼるときは野澤尚司とセットになる。野澤さんが最後にセットしたのが12月3日の僕のライブだったというのをタカちゃんと話してた時に、なんか光栄だったなあと思った。僕はその日、もう野澤さんには会えないだろうなと思いながら歌ってた。

野沢さんはとにかくライブが終わった後の弛緩する時間が好きだった。自分の文の酒を持ってきて静かに音楽の話あれやこれや話す。あの時の顔が好きだったよ、穏やかでさ。

やれやれようやく酒が飲めると。がんばったねえ、野澤さん。


今年の文はここで終わりです。

来年は必ずくるというところまで来ました。断定してもいい、後9時間、2023年だ。

超えられなかった人もたくさんいただろうけど、こうやって新年を迎える僕ら。生きていくということはこういうことなんなんだな。

皆さんのおかげで僕は生かされています。くれぐれも気合を見せてください。

ありがとうございました!よいお年を!!!


2022年11月3日木曜日

何かが道をやってくる


10月26日、発症日。

10月28日、発熱外来。陽性認定。

37、1度から38、5度を3日間やり過ごし、その後は熱も通常に戻り、咳もなく、痰もなし、味覚障害も特になく、食欲も普段と変わらず、喉の痛みも浮かび上がることなく、ただ部屋に閉じこもったままひたすら寝ていただけ。めったにこんなに横になることないから何年かぶりに寝たきりの人になってみた。1日一回保健所から(二日に渡って)健康観察の電話が来る。なんか知らんけどやたら明るい人で、どうも完全に爺さんだと思って対応しているみたいで一瞬むかっときたが、どう考えても向こうが正しい。これから先72歳の人は平気で爺さんカテゴリーに入れられ、対応も年齢の入った人くくりで子供と中学生くらいの感じで話しかけられるのだろう。うん、面倒くせえ。

それにしても新薬というのが出ていてウィルスを駆逐するものだそうだ。カプセルを朝夕4錠ずつ5日間、完全に飲みきってくださいの注意の元配布される。一種の老人アドバンテージと考えていいのか?貰っておきながらだけど病院の領収書内訳をみると相当高い。自分が別次元でコロナにかかったとしてもこれは払えないというか払わないだろうという金額が記載されている。大丈夫か?日本。こんなに年寄りを優遇して。はっきりいうけど老人はそこまでされなくてもいいと思う。自分がその中にいるからいうんだけど、誰もかれもが社会の一員だと考えればこれはこれで問題を含んでいるような気がする。

これを誰か保健所関係の人が読んで、今度あいつがかかったらもう何もやらないと決められるのも困るからあまり積極的に文句は垂れないけど、これからますます国に世話になる人が増えていく老人問題なんだけど、究極の始末の付け方から穏やかな老後人生について止まらずに解決策は模索続けていかなければいけないんだろうなあ。コロナにかかって世話になっておきながら感謝知らずの自分を反省しつつも、あまりにも何もしないでただ布団の上でニュートラルになってる自分を戒めています。医療関係の皆様お世話になりました。これから先何かお役に立つことができる機会がありましたら積極的に参加したいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

読んでいただいた通り、無事に抜けられそうです。いつかは必ずかかるだろうと覚悟してきましたが、いざその時になって「陽性です」と言われると遠くで「ガーーンーーー」というのは聞こえるし、さてこじれたらどうしようという不安もありました。日に日にコロナの対策治療は最初の頃から比べると雲泥の差だと思います。たくさんの関係者の方々のおかげでここまできたものだと本当に思います。

皆さんもこれからもその危険が減っているわけではないので、くれぐれも油断なさらずお元気でお過ごしください。

報告方々。

写真は松に「大丈夫か?お前?」と言われている図です。

2022年10月27日木曜日

着々と山が低くなる 9月14日 part2



丸山は赤く色づく木の葉がないので、全体的には炊き込みご飯みたいな色合いになってしまい深く感心することはないけど、それでも一応秋最後の秋らしく醤油色になっていて、それはそれで趣はあるかな。これが枯葉になって落ちきる前あたりに雪がうっすらとつもり、いよいよ本気の冬が始まる。前回のPart2を書こうと思ったらもう11月が目の前に迫っていて一瞬もういいかとも感じた。

先週まで北海道を廻るツアーに出ていて浮かれ騒いでいた。普段の単位が一人とか二人とかなので大勢であっちの街、こっちの街を廻るとつい浮かれる。そういえば昔やっていたツアーというのはこんな感じだったというのをしみじみ思い出し、ついでに俺たちやっぱり若かったんだなあというのもついてくる。それでも函館も室蘭も苫小牧も。小樽も帯広も街は変われどそこにずっとあってたどり着くと同じ街があった。市民会館なんていうのはどこも年季が入ってただ古くなっただけで何も変わっていない。懐かしさだけ。くる人が変わっただけ。みんなも古くなっただけ。それがいいんだ。

その旅が終わってようやく時間ができて改めて9月14日の映像を見る。

なんかすごいことになっていた。ひと月以上が経ち、まだやった実感はあるんだけど、ディスクに残っている僕らのライブは今のこの時間に見た方がよりリアリティがあり、すごいことになっていた。

みんなのパフォーマンスもいいんだけど、弦のアレンジとカルテット4人のプレーが素晴らしい。チームのフォーメーションがどんなハプニングがあってもビクともしない力強いものになっていて、せめて守ってせめて守っての波のような連携が素晴らしい。ほんとバンドみたい。

玉川さんが登場するあたりからライブの波は高くなっていき、tea for two, my funny Valentineのストリングスは素晴らしく、September Valentineで僕の歌もすごいことになっている。完全に弦と玉川君に煽られている。そこから星影のワルツに至る道はもう流行歌の王道をまっしぐら。相当楽しそうに歌ってる。

続いてrocketのユキちゃん登場でまた風景が変わり、今度はアコーディオンと弦の共演。キャラクターの強い楽器でストリングスがどこに行こうが埋もれることなく、波間に浮かぶブイみたいにプカプカ楽器の中を浮かび時々ピカピカ光る。

今回のコンサートでハードルを上げてしまった感があるけど、また考えられることを実現させることに専念するだけかも。また地味な作業が待っているけどそれもまた良し!とお、思わないと。


リズム隊の土田君と大西君。大西君は本当にセンシティブなベースラインで前にせり出してくる音じゃなく、ふと見ると大西君のベースが聞こえてきて、それも正確な音を置いてきてくれるベーシストらしいベーシスト。本当に優しい人というのが後ろから聞こえてくる人だった。土田君は「コヨーテとUFO」からの付き合いで、パーカッショニストってリズムをコントロールするので音の落とし場所がそれぞれ違っていて、それぞれがそこの哲学というか主張が千差別れるミュージシャンなんだろうと思う。そこが融合するのかしないのかというのをいつも考えさせてくれる。

それにしても随分前の話というのも約束してなければ書かないね。お粗末さまでした。

昨日から咳が少し出て、喉がそこはかとなく痛くて、熱はないんだけど元気なんだ。

たぶん元気なんだな、ごほん、

スケーッジュールのところにまだ書ききれてないんだけど、12月3日旭川、アーリータイムズのライブがあります。いつもと同じ18時30分開場、19時00分開演。料金4、000円(1drink別)お問い合わせ先 0166−22−2461(アーリータイムズ)




 

2022年9月22日木曜日

2022年 秋 終わったよ。part 1


 二日間動けなかった。

2022年、と書き込むことにだんだん意味ができて来て、次来る年が2023年。

たくさんの人に今年のライブはすごかった、って言われ謙遜しようかどうしようかと思ったのだが、今年は特に出演した一人一人の演奏、歌唱がすごすぎて僕がへり下る筋合いじゃないと思えたのでありがたくその言葉を受け止めさせていただきました。

ライブでも話したんだけど、僕らには(いづみちゃん、杉田さん、聖子ちゃん、岩田さん、中川さん、トール、それと敬三さん、松、目黒さん、門馬、佐々木ちゃん、それとハッシー、須田さん)10年以上という時間と経験値の元にチームができていた、というのが一番大きな要因なんだろうというの身にしみて感じられた。なんの気負いもなく、ただ淡々と穏やかにコンサートを作って来た。そうはない関係なんだと思う。



終わって二日間動けなかった。

いづみちゃんが書いてたけど、「私はアレンジするけど細かいニュアンスについては譜面にほぼ書いていないんだけど、カルテットクオーク(杉田さん、聖子ちゃん、岩田さん、中川さん)のメンバーがそれをみんなで話し合って肉付けしてくれるのです。こんなクラシックのメンバーはまずいないと思う。」お姉さんたちはおやつを食べながら力強く譜面に書いてある音符をさらに力強く色をつけてくれる。特に今年のリハーサルの初日はすごかった。弦の音が出た瞬間から素晴らしいアンサンブルだった。こういうのを感じられる瞬間が一番楽しく嬉しい。「my funny valentine」と「tea for two」「便りに変えて」「恋抱きしめて」のグルーブ感最高だった。もう一回今すぐにでもやりたいなあ。

終わって二日間動けなかった。
誕生日迎えて一つ年取って、その年齢を迎えて一番最初の舞台が14日のvalentine concert。
一年ごとに体感するものが顕著に変わって行くのか、それともほんの少しの違いとして体感するのかを実感できる日になっていく。
今回は少し予想ついていたので、そんなにえっ?というのはなかった。

玉川健一郎君をゲストにしようというのはいづみちゃんの提案だった。聞くとジャズの人で間口が広くなんでもいけて楽しい人というのが推薦理由であり、その時はまだ何も決まっていなく、さて?どうやってジャズの人と接点持とう?というのが懸案事項で下手すると治りきるポイントが見えず、浮いたらどうしようというのがその頃の不安材料だった。
玉川君は中学生の頃僕の歌をラジオで聞いてた、という世代で基本接点になる部分はあまりなく、まずは好きな歌を確認しようということで喫茶店にでて来てもらって、お互いの好きな歌を披瀝し合うことから始めた。
結果は14日の本編に見事結実した。歌だけで生きている人。ギターも弾かない、曲も作らない、ただひたすら歌だけに対峙する人。ヴォーカリスト。その本質を客は多分そんなに意識も気づいてもいないだろうけど、本来は僕が何人束になってかかっていても敵うはずのなものをがっつりと持っている。本番ではの片鱗を見せてくれたけどどこまでも僕に合わせて寄り添ってくれた。僕が今の年齢じゃなかったら絶対側によらない。
ソロヴォーカリストは鬼だね。

写真はFIXE、須田守政氏によるものです。

パート1 終わり。


2022年8月24日水曜日

7月まで来た、東京 バック イン タウン。Part3


 今日もエンジェルズはぐずぐずと負けて行く。

沼に落ちて行くみたいにズブズブ沈んで行く。素人が見ていても策もなく、気力もなく思想もない野球を続けて行く。中継の解説者も悪口を言いたいのを我慢しているのがわかるような放送を続けて行く。気の毒としか言いようがない。大谷くんも昨日から胃腸炎になってモチベーションも潰れてしまいそうになってる。球団すら売却されそう、はは、野球どころじゃないよなあ。

「白痴」は人の出入りまとまらず、最後まで到達しなかった。20歳の頃の自分は体力も横溢していて難なく読みきっていたと思うと偉いなあとしか言えない。文学という言葉を聞かなくなって久しいので、文学っぽいものってなんだろうと思って大学時代に読みきったドストエフスキーを読み返そうと思ったのが3月頃か。白旗あげたのが7月。往生際が悪ことこの上ない。で、次に何やってるかと思えば、「罪と罰」。ならばもう一冊。と奮い立つ。さすがこれはポップだった。今の所厄介なとこはなく、母さんの息子への手紙、娘の婚約者にあわよくば助けてもらおうというところまで来た。それにしても、学生の頃このドストエフスキー全集というのを完読した。前にも書いたけど感動してむせび泣いたはずなのに、なんだったんだろう。「罪と罰」の次は「嵐が丘」に行く。ヒースクリフに会いたいし。しばらくは世界文学祭を開催する。


7月17日、東京新宿バック イン タウン

東京で暮らしている木谷くんに前回のバック イン タウンが終わってから次の東京ベース持って来て弾いて、と頼んでおいた。流石の東京、7月は痩せても枯れても東京、どこをどう歩いても暑い東京。その東京で何年も暮らしベース弾いて暮らして来た男はもはや札幌の男が持ち得ないひとかどの東京の人になっていたと感じさせるベースプレーヤーでした。僕の呼吸を見ているのではないのかと思えるくらい的確なタイミングで音符を落としてくれる。普段会ってもそんなに深い話してないけど北海道のアバウトさは無くなっていました。あの日の木谷くんのプレィを見られなかった人にもう一度また機会を作れるように頑張ります。10月頃に札幌に行くと言ってるのでとうとうにライブをやってもいいかなと返事はしました。

7月18日、東京バック イン タウン、2日目

ゲストの細坪くんとはもう5年くらい会っていない。打ち合わせはメールで大体済ませていて、細坪くんは細やかなサジェッションをさらにもらいました。細坪君はさらに東京暮らしが長く打ち合わせの進め方が東京スタイルでした。不思議なことなんだけど、打ち合わせさえもその土地柄というものがあるというのを度々感じていて、ある意味東京スタイルは非常にわかりやすく合理的に話が進んで行き、僕は好きです。

久保田君をバックに従えての今回のゲスト出演でしたが、人の舞台のゲストということもあり少しやりずらかったかもしれないけど、そこはあと少しで50年になんなんとする海千山千の強者、安定感は抜群です。歌うたい細坪基佳健在なりと言ったところです。一つだけ謝らなければならないことがあり、それは自分に起こっても結構きついことだったと思えるのだけど。

一緒にやった「September Valentine」なのだが、打ち合わせの段階でKeyをGに決定し、イントロからAメロ までは久保田君のギター1本で出たいのでそこのギターアレンジは久保田君にお願いできるかと言ったところ快諾を得、リハーサルも順調に済み、本番を迎える。さて細坪君を迎え「September Valentine」、僕はカポタストを2フレットに設置する。久保田君はぎょっとしてと思う。KeyがGでカポタストを2にしてFフォームで弾く人はあまりいないので、多分「あっ、Aでスタートするつもりでいる。げっ、どうしよう。あっ、行く気満々。もう知らねーっと。いけ^ーA」多分こんな心状態だったと思われる。さらに災難の人がもう一人。細坪君。「げっ!Key Aじゃねえか。まずい、トップのラの音は喉が裂ける〜ー、喉から血が出るー。オラ知らねー。」、おら知らねーという心の声を聞き取れるはずもなく、私は揚々とAKeyで出帆した。終わってから細坪君が「幸男さん、知っててやったっしょ?ウエェー?えっ?」と言われたけどおいらそんなに人が悪くないような気がする。自信ないけど。それでも細坪君久保田君両名、さすがとしか言いようのないドリフト走行、後輪回しながらの見事なターン。素晴らしかった。ハプニングもものともしない、経験値の披瀝。本当にありがとう、また一緒にやりたい。それこそこれからあと何度僕らは同じステージで歌えるかわからないけど。

細坪君、ありがとう。また会いましょう。

これで6月7月のライブの大まかな報告はおしまいです。たくさんの人に会い、仲間とのセッションも無事とは言えないながらも楽しく終了しました。コロナの馬鹿野郎は改心する気配がなく、僕らは大きく張ることはないけど幾分かの賭けに出ながらの覚悟のもと出演して行きます。はや、8月23日、もう9月がそばで騒ぎ出しました。

2022年8月22日月曜日

真駒内、カモカモギャラリー、旭川COJACK、東京バック イン タウンバック イン タウンへ。part 2


 今日8月22日。天候、晴れ。気温26度。天気としては申し分ない。

今日はこれから昼過ぎにFIXE(フィックス)にて五十嵐、西岡、目黒、ささきで10月の北海道の旅の打ち合わせ。打ち合わせばかりやって来たこの一年、ようやく実感の持てる頃合いになって来た。話が立ち上がったのがもう一昨年だからイベント地うのは結構時間がかかるもんです。その前に9月14日のSeptember Valentaine Concertがあって、その打ち合わせも年が明けてからぼんやりはじめ、今現在元のアレンジもあらかた終わり、いづみちゃんが最後の弦の譜面制作に大わらわで、その間に今回ゲストの玉川さんとの調整でリハーサルを3人でやり、それが終わって来週あたりからロケット姉妹と3人パートのリハーサルを何度かやり、それがすんで月末からストリングスのメンバー込みでの全体リハーサルが始まる。やれやれだ。

もう9月。季節の入り口に自分の大きなコンサートが待ってるのは本当に心強い限りです。
是非おいでください、今回もちょっといつもと違うコンサートになります。
だいぶ疲れて来ている世の中で一息もふた息つけるような場になればいいなあと思います。

7月2日、真駒内カモカモギャラリー。
畑江俊明氏とのコラボ企画。「a light」をテーマに絵と歌のお茶会。
一昨年、大学の後輩でグラフィックデザイナーの畑江氏にCDのジャケットを頼んだのがきっかけでこの7月のイベントまで続いた二人のこだわりでした。昔やったような大学の学祭みたいなノリで展示があって、畑江氏が焼いたクッキーと焙煎したコーヒーを本にが提供してくれて、こっちは隣でコーヒーを入れてる畑江氏に話しかけながら歌を進行して行くという普段やらない手法でやらせてもらった。
何よりも音楽環境のデザインにジョニーの力添えが大きかった。マイクスタンドやマイクを消したいという要求に親身になって協力してもらった。時々ギターまで弾いてもらって感謝感謝の嵐。ナイスセンスでした。
畑江氏はもともとシニカルな人で昔とほとんど変わっていないのが心強く、僕らはどうも世間でまともにぶつかりながら生きていけるタイプじゃないというのがわかったというのが面白く、激しく世の中に憤っている部分もさらにデフォルネして余生を過ごすんだな、分かりやすくいうと日に日に頑固ジジイに育って言ってるということ。これは大変だ。機会があったらまたやりたいな。ブツブツ言いながらデザイナー、ガサゴソしながらソングライター。
畑江氏は次のアルバム「a catもしくはcats」をやりたかったと言っていた。畑江氏も猫飼いの人なり。




7月10日、旭川、COJACK
武田くんはCOJACKのオーナーでその前の店がHI-JACK。その前がブーフーウーで付き合いはその頃からでかなり長い付き合いになる、ここまでくるともう死ぬまでの付き合いと言えるだろう。COJACKは7年になる。春先に「7周年の記念ライブをやりたいと思うんですが来てくれますか?」「うん、問題ないよ。コロナだけだね、問題は。」これ以上のことは何も話していないと思う。後で電話がきて「哲治も連れてきてくれますか?久しぶりに哲治のフレットレスの唸り聞いてみたいなあと思って。それと忠義(深川ー武田くんと深川くんはブーフーウー時代の音楽仲間)にも久しぶりに会いたいので、3人のセットが聴きたいです。」周年記念ということであればこっちに嫌も応もない。本番は哲二のベースは唸り、深川忠義の鼻はピーピーなって(忠義の鼻は気合が入ってくるとこっちにまで聞こえるくらいピーピー音がする。時々マイクに乗るから注意してねと言ってあるんだけど。)賑やかに楽しく終えることが出来た。旭川にはたくさんの知り合いがいて本当にリラックスできるところです。それもみんなとびっきりにいい人ばかりで、できることなら毎月でもやりたいくらいです。
そうそう、横ちゃんの店「フォークジャンボリー」も後3年で30周年を迎えると横ちゃんが言っていたので30周年には何が何でも参加させてくださいとお願いしておきました。スタートのプレーヤーは僕なのだ。
みんな力の限り生きている。頑張ろうぜ。

さて、11時31分。
天気、少し曇ってきた。気温29度。それでも家の中通り過ぎる風は少し冷たさも感じる。
昨日、amazon primeで「アリー」season1 episode-1を見てしまった。30年前にNHKで放送されていてどハマりしたのを忘れていた。止まらん。今episode11「銀の鐘」。次のエピソードでダンシング・ベービーが出るらしい。多分他に見なければいけないものがあるはずなのに。でも、脚本書く人セリフがうまいなあ。
昨日の鎌倉殿の13人、三谷さんもえげつない本書きで、本当に久しぶりに休むことなく最初から引っ張られ続けてる。アリーも鎌倉殿もキャラ立ちが素晴らしいなあ。

細坪くんのとこらまでまだたどり着かないけど、次の回は間違いなく17、18日のつ今日バック イン タウンにまで行き着くことでしょう。この項PART-3まで行きますね。

2022年8月2日火曜日

ロケット at 「くう」〜円山夜想、アーリータイムズ


 トールが前に座ってるお客さん越しにギターを弾いている。どっちかというとギターから距離を置くように弾いている。もう、抱え、抱きしめる時期は終わったと言わんばかりの邪険な姿勢で弾いている。

隣りでユキちゃんがゆらゆら揺れながらアコーディオンを弾いている。アコーディオンはしがみつく楽器で、しがみつかないと重くて下に落ちそうになるし、しがみつかないとどこか遠くに行ってしまいそうになる楽器でもあるんだろう。ユキちゃんはそれで健気に、アコーディオンを励ますように諭すように時にえい、このやろうーという表情も見せながら弾いている。世話のかかる楽器だ。

ロケット姉妹(しまい)は奇をてらった名前だろう。男、女のバンドユニット名としては姉妹じゃないだろうが、記憶にとどめさせることを目的とすればその役割は十分にはたす。阿佐ヶ谷姉妹みたいな、違うな多分。

久しぶりのロケット姉妹のライブat「くう」。もう8月なってしまったこの時期に終わってしまったライブを思い出しながらこれを書くというのあまり意味がないことだけど、上の行まで書いていて、しばらくサボり消すのも勿体無いし、しばらくぶりに書くブログのスタートとしては書きやすいので進める。ロケットはアベレージヒッターで安定したライブをしてくれる。それも普段行かない遠いところに行く夜行列車みたいに、一人ぼっちが快で、その居場所まで肯定してくれるところに連れてってくれる。二人の性格やポリシー、空気がそれを成立させているのだと思う。どこかの時間に挟まった銀河鉄道だ。鉄朗とメーテルみたいだ。きっと違う遠向けど。

さて、この2ヶ月、6月5日、45周年記念の「円山夜想(ノクターン)」からライブがスタートして、18日旭川アーリータイムズ、7月5日真駒内カモカモギャラリー畑江氏とのギャラリーライブ、7月10日旭川CO JACK7周年記念ライブ、7月17日、18日東京バック イン タウンライブとやってきて今夏休み中に至るだな。

円山夜想のライブはロケット姉妹、深川忠義にセットリスト作ってもらい僕はただやってきた45年を振り返り、長い日々の繰り返しを振り返っることに時間を使わせてもらった。終始微笑んでいるという仏さんの境地に達し、ただただ歌うことを楽しませてもらいました。もっと多くの人に見てもらえたらと思いながらもまだまだ行動制限や人数制限などで思うにまかせぬこの状況、それでも目の前にお客さんの顔が見られるというところまで来たというのは喜ばしい限りです。来てくれた皆さんもほぼ仏さんみたいに穏やかな表情でもはや涅槃でした。ロケットとのセットが良かったので9月のseptember valentineコンサートは弦とのセッションです。

僕の多幸感は春前からずっと続いていて一向に収まる気配がありません。病院行こうかなあ。


18日の旭川アーリータイムズのライブはこのところ毛色のかわった緊張感で迎えています。「野沢さん、体調どう?」野沢さん、「うん、そうですねえ、ここにたどり着くまでに息切れちゃって。幸男さんのライブ済んだら病院で調整してもらうから、まあ、なんとかしのいで、頑張りマッス。」みんなどこかかしか調子が思わしくない領域に入っているのでそれぞれ過渡には心配しなくなって来ているけど、大丈夫か。若い時との激烈な変化といえばその体のこと一点だろうなあ。それでもアーリータイムズは頑としてアーリータイムズとしての威厳を保っていて、野沢さんがこしらえて来たライブホールの矜持は光り輝いている。リハーサルの時にPAをやってくれているタカちゃんと話ができる、音楽から世間一般のこといろんなことを話す。本番までゆったりと流れて行くアーリーのタイム感は貴重だよ。僕のライブはこの日10点だった。なんちゃって。

昨日は昨日でKくんステージの途中で調子悪くなったみたいだけど、うーん、みんなもう若くないんだから無理すんなあああ。どこかで自分は他の人とは違う、体力がある、元気だ、まだ若い、気合が違う、と思ってるけどそんなことはない。年齢相応、これに尽きるかも。古今東西不老不死はないし、いくら時代が変わっても100メートルはかろうじて10秒切れるけど9秒切れるまであと200年かかる、寿命だって100までは生きても100歳が平均寿命になんてならないんだから、潔く諦めるのが良いと思わなければただ往生際の悪い人になってしまう。

これは長くなるなあ。まだアーリタイムズにしかいっていない。続くにしよう。



2022年6月4日土曜日

明日は円山ノクターン、万全です。 それとPVです:

扇柳トール、タテヤマユキのロケット姉妹、そして深川忠義のバッキングで今回の円山夜想(ノクターン)リハーサルも滞りなく終わり、明日の本番迎えるだけになった。

ゆきちゃんのアコーディオンはやっぱり強力な楽器で、空間の占有率が高い。またエレガントな楽器でユキちゃんが抱えていると男3人までもが品良く見える。

今回はさらに一段と高いアンサンブルを目指してリハーサルに入った、なんかねえ、いつもと気合の入り方が違うのです、特にトールはいわゆるノリノリで、その姿をみなさんにもお見せしたいものです、


 深川さんもギターにベースに忙しそうであり、時々耳が遠くなっているのか見当違いの答えが返ってきて不思議な人感満載で楽しい。

多分今までとはちょっと違うアプローチが楽しめると思いますので乞うご期待、明日は。

それと明日の記念日のお祝いにPVができたのでここに地味に貼っておきます、こっそり見てください。佐久間さんの力作です。

小川さんの力添えがなかったら実現しなかった企画でした。ありがとう。

            https://youtu.be/qVLJnt1mA18



2022年5月22日日曜日

ドライフードがなくなったぜぃ・


 4月15日に石川さんのところ、音学処(おんがくどころ)でのインストアライブ。
何よりも石川さんが楽しそうに聞いてくれていたことが嬉しい。
僕らは長いことこの街で音楽に携わって、自分の信念のもと仕事をして繋がって来た大事な人の一人です。
70年のまだレコードが主流だった頃からずっとレコード、CDを売って来た人。
たくさんの物語を見続けて来た人。
あ、右側に写っている人です。
左側の娘は、これから先物語を作っていくだろうシンガーソングライターでASAHIといいます。たまたま見にきた子です。

機会があったら石川さんとは音楽どころで札幌の音楽史を話してみたいなあと思っています。
これについては誰かがどこかでまとめないといけないと常日頃思っています。
石川さん、それと当日付き合ってくれた皆さんありがとう。すごく楽しかった、インストアライブという形態は僕のライブの範囲には普段入っていないのだけれども、何か気負わずにやれる感じがありました。といってもいつもできるというものでもないけれど。


これを書かないままひと月以上が経ってしまい、季節はものすごいスピードで春を飛び越してしまった。ニッカの余市工場はコロナで見学客にとっては不自由な状態に今もなってるけれど、今年も川っぷちの桜は見事に咲いていた。NHKの朝ドラのせいでウヰスキーも払底してしまいなかなか手に入らなくなっているけど、それでもここではせっせとウヰスキーを作ってる。飲まないけど21年ものと17年ものは前に買ってとってある。だからといって持ってるものが自然と年代物になるわけではないのだ。
相変わらずこの写真の向こう側に行くには人数制限がかかっていて、予約なしにはこの先には進めない。でもそれもまあいい、ウヰスキーと一緒で飲まないので匂いを嗅ぐだけでいい。
ここは工場なので人を喜ばせるものは基本的にはない。数年前まではこの写真の向こうに喫茶できる家屋があった。竹鶴さんとエリーさんが暮らしていた家を喫茶できるところに開放していたのだが流石に大勢の人が出入りすると損傷が激しくなるということで今は閉鎖されてしまった。んーん残念だけど、仕方がない。北海道らしくなくてここはとてもいい場所です。

と、この春はあっちこち桜を写しに、あっちこち。


6月5日にやるロケット姉妹プラス深川忠義とのライブのリハーサルが順調に進んでいる。
45周年記念ライブと銘打っているけれど、あまりそのことについて深くこだわっていない。
佐々木家は記念やイヴェントにはもともと執着しない家で、できることなら素知らぬふりででやり過ごすというのを家風にしていた。父親、母親がそのことについてどういう了見だったのかは今は知る由もないが、できるだけ波風立てず、日々これ平穏を旨としていたきらいがる。
姉も兄もそのことについて異議があったというのを聞いたことがないので、情操教育ということを無視すればこれはこれで乱暴だけど可も不可もなく子供としては育つものだ。
リハーサルはそれぞれすこぶる上機嫌の中で進んで行く。春のコンサートの時のようなバンド自体が殺気立つということもなく、春の陽炎のようにゆらゆら、ポヤポヤと進んで行く。
みなさんの温かいご声援のおかげでチケットは無くなりました。売り切れました。
ありがとうございます。
7月2日の畑江俊明氏との「a light」の展示会ライブの方も売り切れました。
それと、7月10日の旭川、コジャックの7周年記念ライブの方もsoled outとなりました
ありがとうございます、というかごめんなさいというか・

松の普段食べているドライフードが原料調達不能のため製造中止になった。
これはこれで焦る。毎日これしか与えていないので、これ以外でも対応できるのか不安なので、あっちこちのホーマックを探しまくるが、情報蒐集が遅すぎたのかどこにもない。影も形もない。
会社のホームページにも一応中止になったということは書かれているが、どこから読んでも愛猫家の立場を同情している気配がないものだ。
いいのかそれで。長い間それを毎日毎日食べていた猫の立場はどうなる、他のものを与えても食べなかったらどうする、えーっ・?
飼い主の立場はどうなる、1日の中で唯一好きな時間、食事さえまともに出せないのかお前は?
情けない飼い主だなあ、会社に掛け合うこともしないのか?誠意も見せられないのか?と責められることになりかねないことをペットフードが会社は考えないのか?このことは猫と買主の信用問題にも発展するということをわかってんのか?あーん?と言いたくなる。
どうも動物病院にはまだ在庫があるのじゃないかという情報をネットで得たので、明日あたり松を連れて
馴染みの病院に談判に行ってみる。

頑張れよ、松くん。病院の先生の顔見たら「ひもじーー」と鳴くのだぞ。

写真は西岡のホーマックから見た手稲山方面。ドライフードなくてがっかりの空の色。






2022年4月11日月曜日

旅日記パート2 あながちない話ではないんだ。



帰りは常磐道を走って帰ることにした。

同じ道で帰ると言うのもなんかつまらないし、それにまたもう一度走るかどうかわからないのなら別のルートに乗る方が違う景色に出会えるし。

高速に入る頃にはもう夕景色だった。左側の線量計モニターには現在の放射線量が地域ごとにデジタル表示されていて、時により、動くこともあるんだろうけど、僕らの帰途にはそう大きな変化はなかった。それにしてももう11年経つというのにまだこの表示は出されっぱなしみたいだ。左側に海が見える、福島というだけで何かの痕跡を探そうとする。風評被害てこういう感覚も含めていうんだろう。夕闇に浮かぶデジタルの表示、もう消せばいいのに。

僕らは夕食を水戸で摂ろうと決めていた。朝はカツサンドと羊羹パン、昨日バック イン タウンでもらったお菓子類、2時過ぎに福島の高速で食べたカレー、夜くらい少しまともなものをと思ったけど、如何せん土地勘が全くない、名物も知らない、携帯で調べることもしない、ただ自分たちの知識を総動員をするだけ。水戸。納豆。二人して出て来たのがこの二つの単語。水戸に行けば何かあるのだろう。

水戸に行っても何もなかった。というよりここまで来たらもう千葉まで走り切ろう。千葉までがこれか先どのくらいあるのかもあまり知らなかったと思う。ただひたすらナビが命じるママにあっち行けこっち行けに従う長距離ハイになっていて外の夕闇にハマってた。コンソールライトにうっすらと照らされている目黒さんも朝に捕獲された傷跡はなく、今はシリアスをまとって運転している。

真っ暗な高速から少しずつライトが増え始め、車の量も増え、車線も片側3車線の立派な都会型高速道路に成り上がっていく姿もいい。車や電車の乗っていていつも思うことがある。目的地ってこの道路の向こうに必ずあるんだけど、そこにたどり着くまでは1歩1歩にじり寄っていくと思うか、こっちが力技で引き寄せるか?いつの頃からか道路を引っ張って、向こうを手繰り寄せているんだの感覚に変わっている。特に遠い道のり最中は。えい、えい!って。


一夜明けて撮影。

佐久間監督は初対面の人です。弁天の森公園の桜をバックに撮影から始まりました。

デビューの時に「君は風」のPVを箱根で撮って以来かもしれない、こうやって自分が参加して音楽に合わせて撮影機器を回すということは。会って挨拶もソコソコに(僕の一番好きなパターンかもしれません、いきなり本題に入るパターン)撮影が始まった。

「桜をバックに花火が上がります、夜にそれを押さえたいと思います、花火はなんとなく、今打ち上がっている大砲の砲火に見えるといいなと思っています。政治的にどうのというのでもないですけど、どっちかというと記録的、かつ自分の心情として。」「花咲く曲がり角」にそういった背景があるかといえば全くないんだけど、時代的には70年のベトナム戦争か?それにしてもそのことは背景としてはあったけど、それと、遠い風景としても見えてたけど僕らには意識されないものだった。でも、微妙に符合するところがあるので面白いなあと思った。

「花咲く曲がり角」撮ろうと思った理由を僕は聞いていない。

「a light」「bookend2」の2枚の中から選んでもらったのがこの曲だった。映像作家が考える、受け止める「曲」ってどれなんだろうという興味はあった。「花咲く曲がり角」はある意味ストーリーがあり、映像で被せられるものにはどういった方法があるんだろうと最初に思った。

僕は佐久間さんにただついていった。創り手が意図を持って進む時にはまずは監督の意に沿うことなんだろうし、僕にそれを翻すだけの経験はない。

ドローンが遠く腰の高さからこっちに向かって飛んで来て、数メートル手前で空に上がっていく。映像見ていないのにその絵が見える。それだけでも僕の写真の中にはない。楽しみだ。

昔、ジャケットの写真をタムジンと撮っていた頃を思い出した。「佐々木くん、普通にしてていいよ。こっちが勝手にシャッターを押していくから。」佐久間さんも黙々と機材をセッティングして黙々とカメラを回す。

夜はまた最初の場所に戻って

花火を待つ。

桜に花火。そうか、「花咲く曲がり角」、あながちない話ではないんだ。



今度時間があったら、佐久間さんとじっくり話をしよう 。

bookends 3  一歩前に出たかな。

1枚目の写真はホテルから見た千葉の海と街

2枚目は江戸川での佐久間さんと。

3枚目は夜の花火と照明の入った桜。

2022年4月6日水曜日

旅日記とインストアライブ




 まずは取り急ぎ、4月15日CDショップ音学処(おんがくどころ)札幌市中央区南3条西3丁目11−2N-MesseビルF1 011-221-0161でインストアライブやります。以前からオーナーの石川さんと店が移転したらライブやりましょうと言ってて急遽実現の運びとなりました。

インストアライブというものはどんなもんだべ?という興味もあったので雪も溶けたし色々自由な気配も見えてきたのでやりますのでよかったらおいでください。しばらくみなさんと近い距離でお目にかかってもいないので。短い時間の中でのライブとなりますが。



「目黒さん、後ろのパトカーのサイレンどうやら俺たちに向かってな鳴ってるみたいだよ。」

「えっ、どうして?何もやってないすよ。」

「うん、多分さっきの交差点の曲がり方について文句あるみたい、もうすぐ『前の車止まりなさい!車を左に寄せろ』、っていうから。」

『前の車の運転手さん、停車お願いします、車を左側の安全なところに止めてください。はい、その前あたりで結構です。』と言われて朝10時目黒さんは赤坂の渋谷に向かう手前で捕獲された。前回6月、羽田の一時停止無視で速攻で捕まって以来連続捕獲。なかなかな確率で捕まる、このシリーズ。目黒さんは堂々として落ち着き払って交通警官と対応している。普通の人ではできないにこやかに中国の超金持ちみたい悠然と切符切られてる。

「ねえ、どうしてあんなににこやかに対応できるの、オラだったら、それなりにキレて文句たらたら、嫌味も相当数垂れて、散々後味悪くして対処するのに。」

「大人ですから、みんなそれぞれに仕事持って働いてるわけですから。」、ふーん知らない間に随分人間ができたなあ、ものすごくまともになったなあ、と思って感動した。しばらく走っていたら道を間違ってまた赤坂のホテルのそばを走っていた。うん、それでいい。ちゃんときちんとキレていた。それでこそ目黒さん。

東京、バック イン タウンのライブ終わったのがこの前の日。今回の東京は合計4日滞在。3日目が空いていたので、久しぶりにどこか北海道じゃないところを探検しようということになり、最初の候補が「鎌倉殿の13人」で盛り上がってる鎌倉行こうかとなったのだが、どう考えても人がどっさりいることはもうわかってるのですぐに変更、2番目は東京から北に上る、とりあえず行けるところまで。それはいいなあ、目的もなくひたすら高速に乗って北に向かう。400キロくらいなら北海道の僕らには計算できる距離、体力の損傷もおおよそわかる、(ただ往復で900キロとなるとtoo muchかもなあ)多分、函館か釧路くらいまでならオーケー。何がオーケーなのかわからないけど東北自動車道探してレッツゴーの最中、最初の一歩で捕獲された。幸先悪いことこの上ない。



遠くに桜の花が点々と咲いている。一昨日まで雪解けが進んでいるとはいえ札幌はまだ冬の名残を未練たらしく残している、その街から時々冷たい風は吹いているけれど春が押し寄せている東北に向かう道は快なのだ。

一台の赤いフェラーリが右側車線をゆったりと走っていく。

「ついていきますか?あいつに。」言うことはかっこいいんだけどこっちはレンタカーのアクアだ。それでも目黒さんは右側車線に出てフェラーリを追走する。きゅんとアクセル踏むとフェラーリのすごいこと、瞬間移動したのかと思うくらい距離が開く。アクアは一応ハイブリット、電気の力も使っていますと言う割には踏めば踏むほどエンジン音がゴーカート化してくる。それと朝のことを忘れてるみたいだ。まあ、いいや。好きにしてもらおう。休日だ。

「昨日のライブですけど、みなさん喜んでいたみたいです。1月のライブが飛んで急遽3月に決まって無事にやれてよかったです。幸男さんも時々歌うまかったですし。」

「リハーサルの時から調子が上がらなくって、時々年齢の限界点に近づいてるんじゃないかと思うことが時々あるんだけど、人の祈りとか願いとか、押し、とか気持ちとかそう言うものをお客さんが用意してくれて、床に敷き詰めて、空気を洗浄してくれることがあるんだと思うことが増えてきているんだ。空気は満遍なく回していくものなんだと、こっちが一方的に送り出すだけじゃないんだな。感謝だぜ。」

後ろから来たCX5が少し煽り気味に僕らの車を抜いていく。右側を走っていた車もかわして左車線に入り込みその車はさらに右に出ようとしていた。

「うん、ちょっと調子に乗ってるし、危ないなあ。」

「注意しに追いかけていきますか?」

「あのね、ダメー。俺ら63と71のジジイだよ。これからは静かに暮らそうよ。」

目黒さんは唸ってた。

この回続く。Part1 終わり

1枚目の写真は今回千葉で撮ったPVの部分

2枚目はフェラーリのスリップストリームに入る僕ら。

3枚目は夕暮れの帰り道、帰りは常磐道。北海道の釧路に向かう高速みたいに暗い道だったけど性に合う。もう一度、今度は一人で誰とも勝負しない旅に来たい。


2022年2月25日金曜日

てやんでえ!


 昨日からウクライナへの侵攻をずっと見ている。

ニュースでしか見えてこないものに感想を持っても普通は的に当たらない。皮膚がチリチリするだけ。誰もが遠いところから遠い情報を、塵の混じった短波放送みたいにしか放電しない。理不尽で野蛮なことを世界は平気で放置してきた、今更予想されなかったことでもない。日々平和を口にしてきた人たちは平気で口をつぐむ。昨日まで普通に歩いて、バスに乗って、スーパーに通っていた街に警報が鳴り、瓦礫に変わるというのはニュース画像がなくても見える。と言いながら信用できないニュース見て感想を述べている。

今日の国会は蓮舫が真剣な口調でコロナの対応について詰問している。なんだろう?この逆断層している朝の10時42分。


「a light」に入っている「fish cake」の追記。

「疲れた」、この言葉はギクシャクしていた男女が問題解決の糸口がもう見つからず、袋小路の先に待っている言葉で、一種の最後通牒。思考停止。誰もが一度は突きつけたか食らった言葉。懐かしくもある。”疲れ”はしばらく放っておけば回復してまた次に進むことができるんだけど、その局面の時には「もうどうなってもいいや、ここから脱出できれば。もう虚無的でもあるから。後悔するかもしれないけど、今よりはマシ。」となっていて現状復帰を願ってさえいない。って考えたら、若いって結構疲れやすい集合体だったんだ。おじさんおばさん、年齢が進むとそう簡単に疲れない。まあ、基本的に疲れきっているからというのがあっても、僕らはもう少しタフだ。「fish cake」は心の金属疲労を起こすプロセスの果てしない浪漫的、耽美的大正センチメンタリズムの自家中毒状況を歌ってるのかもしれない。男が作った歌だね。


3月14日のリハーサルも順調に進んでいます。これから微調整しながら最終調整に入ります。今回は結構跳ね気味のラインナップになっています。

それと東京の延期分の日程が決定しました。バック イン タウン、3月26日(土曜日)17時30分開場、18時30分開演となっています。春になってるといいなあ。雪もう見飽きたし。

2022年2月3日木曜日

6月18日、アーリータイムズ、決めてきました。



お元気でしょうか?

東京のライブが延期になって残念だったけど、当日がまん防初日となったことで決心が固まりました。東京は今2万人を超えたというところで、感染者増大の一途をたどっています、病床占有率というのも増えていってて、今の段階では正しかったかもと思っています。今はまずみんなの健康と自分のことを考えることにしました。帰還するなら全員だ!っつうことです。

気が削がれる毎日が続いていて、中には鬱が入りそうという人もいます、誰もそれについてきちんと励ませるだけの材料も言葉も持っていませんが、出会ってしまった災難です。

このところこれに対処できるのは音楽だろう、一時的にでもどこかで解消できるのは音楽なんだろうなあとようやくその感覚が実体化してきました。

僕は毎日昼前から歌を歌い、去年から始めた日記をしつこく書き綴っています。

文房具屋に通って集めた色鉛筆も結構な本数になってきました、ここに見えるものでだいたい100本ありますが、試してみると思いの外自分が求めている色になかなか当たらないということに気づきました。もっとも紙の質によってその色鉛筆の発色がそれぞれ違うのでしょうけど、「うん、これだな。」という色に当たらない。人は思いの外本当にデリケートにできていて自分の本当に気にいる物を探すことになると結構面倒なことになるものです。

日本の会社、イギリスの会社、ドイツの会社、ベルギーの会社、それぞれがやっぱり色を持っていてそれぞれ紙のあたりが違う。僕は書いた日記に小さな絵を描き、それに素っ気ない色をつけていく。別に目に見えない、そんな色はしていないだろうそれは、その物体は何?これらのものにただ色をつけていく。どうして色を乗せるかというと、ボールペンでなぞったただの黒い線が色をつけることによって全く違うものに見えてくるから、気のせいや自分の思い込みかもしれないけど。

絵を描くことが好きかと聞かれれば、そんなに好きじゃないかも、と答える。普段だって、今までだって絵を描いてきたわけじゃないけど、去年から始めたこの日記に載せる絵を描き始めてから突然描き始め、今に至る。自分でも見たことがないものが増えていく喜びがあるかもしれない。失敗しても書き直さない、書き足さない、変な線を描いても変だと思いながら最後までその線のゆくままに任せる。いびつなフォルムになるけどそれがいい。

横尾忠則さんが去年個展のテレビインタビーに「失敗しても直さない、人は失敗する生き物だから、自分はその失敗をあえて放置する。」みたいなことを言ってて、うんなんかわかると思った。

僕らは音楽でも基本的には「ミスる」。



何度練習してもミスる。クラシックの人たちはミスらない、多分。時々真面目にやってるのがつまらないと重こともあり、無理やりミスる。ほぼ確信的にミスる。同じ色ばかり使ってることに飽きるのはしょうがない。これはこれで堂々とした開き直りで人には褒められないけど、僕は瞬間的にそこに居たくない、もっと違うポイントがある、と思ってしまったらもういけない、ミッする。

あ、そうそう、今年の挨拶をしていなかった。

新年、随分前に明けましたがおめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。

上の写真は1月14日の三角山放送局で五十嵐浩晃くんの番組に出た時に写してもらったものです。五十嵐くんはこの放送に気合が入っていて、事前に狸小路の団子屋で番組打ち合わせ念入りにやってくれました。そんなに話したらもう本番話すことに飽きるだろうというくらい真面目に取り組んでいました。外は猛吹雪の日で三角山放送局の屋根はビュービュー唸っていました。でも、真面目な方向でテキパキと進んでいきました。僕は写真で珍しく普通に笑っています、五十嵐くんはピースサインでポーズとっています。ほのぼのとしたもんです。

五十嵐くんは3月4日に札幌ルーテルホールで誕生日コンサートをやるそうです。65歳。ぜひお出かけください。

三角山を終わってその足で旭川に向かいました。風はびゅうびゅう、地吹雪で視界も悪く、高速道路は深川で一般道路におろされ、なんとか旭川のホテルに到着。次の日の道路事情を考えて前乗りにしたんだけど、これは間違った選択だった。

アーリーの野沢さんは元気だった。次のライブ日まで決めてきました6月18日。

みんな頑張れ!

意味不明の箇所があると指摘受けたのできっちりと書き直しました。ありがとう。僕はミスをするということが書いてあるのでわざとやったか?との質問もありましたが、一瞬、それもありかなとも思いました。でも、真面目に書き直しました。

さらに、間違いがありましたので編集しました。文章を書くととにかく早く書き終えようとするので誤字脱字、変換ミスなどがあっちこちに隠れている。読み直せばいいのに一気呵成にアップしてしまう。考えていることが書いている片っ端から消えてしまいそうな気がして気が急いてしまう。これはもう癖です。(この部分は2月8日)




 

2022年1月19日水曜日

東京バックインタウン、延期になりました。


1月21日、東京バックインタウンのライブは先ほどまん防が正式決定されまして、残念ながら延期となりました。

感染者数が日毎に伸びていましたが、今回も”やる”という意思でここまで引っ張ってきましたが夕方、この正式決定が出て延期の結論に至りました。

感染者数が増えても症状が重くなることは人は少ない、というなんとなくの世の中のアナウンスもありますが、それでもこの広がり方は尋常なスピードではありません。

2年も経ったんだからなにがしかの学習はしているはずなのに、いざ数字の針が揺れ始め、大きく振れてくるとそう大きな選択肢はないものです。

中庸をいくのをよしとする、のが今の所です。

判断が遅くなって申し訳有りません。

それでもなんとかやりたかった、けど、ひと押しで日和りました。御免なさい。

マンボウ明けてからまた、仕切り直します。皆さんも懲りずに、精一杯この風に耐えて次の機会まで雌伏していてください。

しのぎ切りましょう!