2015年5月23日土曜日

人が変われば、声も変わる。


急性喉頭炎、
喉頭だけに起こることは稀で、ほとんどが急性上気道炎(いわゆる風邪)に合併して起こるために、急性鼻炎や急性咽頭炎もともなっています。また、急性気管支炎も併発することがあります。
ということで病院に行ったら上の診断が出て岩内から帰って、1週間沈黙の日々を送っていました。
僕は病気の診断が出るとなぜか、心が落ち着く人で、「そうか、そういうことなのね?じゃ、ジタバタしてもしようがないか。了解。」ということで一件落着。
あとは治るのを待ってれば日々は過ぎていく。
岩内の湯けむりライブのリハーサル、途中から急に声がかれた。
歌ってる途中から声が枯れるというのは初めての経験で、もう何が何だか。
本番が始まる1時間半の間はのど飴舐めたり、水飲んだり、痰を切ったり、逆立ちしたり、布団に入って暖かくしたりとにかく、やたら忙しかった。要するに、足掻き倒したわけです。

いったん忽然と消えた声は帰るべくもなく、空気の成分のやたら多い声だけが残った。
そのときにはもう、声帯がきちんと閉じることなく隙間が出来ていたらしい。
もう、行くしかないというのは初めてかな?たぶん。
集まってくれたお客さんの前で、さっき、突然声がかれてしまいました、井戸が枯れるのとは違うけどおおよそはそういうことなんだけど、多分、その経緯をきちんと説明した記憶がないので、みなさんは何が何だかと思われたことと思う。初めて観に来たという人はもっと驚いたと思う。ギターを持ってバックに人達がいるとはいいながら、真ん中でいきなりヒーヒーいってうたうおとこの存在を。
力一杯、空気を気道に送らないと声が声にならなくなっていて、空気の塊を気道の壁に便宜的にぶつけて、それを喉全体で声にして口から出す、といったら大体合っているかなあ。
変な体験だった、自分が使ったことのないところを使って歌を歌ってる。
来ていただいたお客さんにはどんな言葉でも申し訳なさを伝えることがないほど、迷惑と不快な気持ちにさせてしまったかもしれません。
それでも、みなさん、一緒に歌ってくれたり、手拍子してくれたり、声をかけてくれたりと、とてつもなく気を使ってもらいました。
ライブの冒頭に言ったように忘れようのないライブになりました。
何よりもみなさんの力がなかったら最後までたどり着けなかったライブです。
ある意味なんだか奇跡を見たような気がします。
そして、ありがとうのスタッフの行き届いたお力添えと企画してくれた邦さんに感謝です。
多分、この経験は必要なものなんだったんだろう、と思います。
いろんなものがまだ足りなくて、まだまだ、お前にはひどい目にあってもらって、人生をきっちりと覚えてもらうからというボブ・ディランからの啓示かもしれません。
今、ボブ・ディランを聞きながらこれを書いているのですが、ディランの声や歌い方がなんとなく被ってきます。ディランは高校一年生の時に「Bob Dylan」初めて聞き、あまりにも乱暴なレコードで(当時のポップスを聞きなれた耳にはあまりにも異質だった)、それ以来僕はDylanの入り口を見つけられないまま今日に至るだった。でも、今度はこの歳にな
ると言葉の理解がないと入っていけなくなってしまっているという面倒なところにいることに気づく。
ということで、まだ1週間。
話すことには不自由が無くなった。まだ胸を鳴らす話法だけど。
明日は旭川、アーリータイムスの野澤さんに昨日、無理だと電話入れたら、会いたがってる人がいるからとにかく来ませんか」?
ということでどんな蓋が開くかわからないけど、旭川アーリータイムス行きます。

1964年「Another side of Bob Dylan」のMy Back Pagesまで来た。Byirdsで好きな曲だ。

S君、そんなわけで近況報告ならび馬鹿話は来週に持ち越しになりました。D、子供が生まれたという話はあんまり最近ないからめでたい。Kさん、来週あたり自転車で行きますのでよろしく。B、塩昆布と練り梅干しまではいいけど鰹節まで入れると、もうそれは梅昆布茶とは言わないと思う。K、今度パンケーキ食いに行くよ。Kさん、月曜日のラジオカッよろしくお願いします。F君、水曜日ラジオよろしくね。Y、9月の件了解しました。


2015年5月14日木曜日

流れる雲は食えるか。

こんにちわ。

毎日、忙しく暮らしています。
いろいろ、人は事情を毎日生きてますが、僕はこの頃改めて、楽しく愉快に暮らすことを本当におもうよ、と言うのを長くなりつつある友達と、一杯1000円もするコーヒーを飲みながら聞いていました。楽しく愉快に暮らすと言ってるのは僕じゃないから。僕はもう少しネガティブだから。
うーん、面倒臭い文章を最近平気で書いてるなあ、つまり、悪文だと思いますが気にしないでください。

一杯1000円するコーヒー屋にはおいそれとは人が近づかないので、ゆったりと最近の切羽詰まったそれぞれの人生を語り合いました。切羽詰まったからって何かが著しく変化するかというとそういうこともないので、、人は呑気なものです。

13Fという映画を昼間ボンヤリ観ていました。多分好きなんだろうなあ?
調べたら1999年の映画となっていて、16年まえのもの。
僕の記憶では80年の最初の頃で、SF映画がザバザバ出ていた時期だとずっと思っていた。まだ16年しか経っていない。記憶がそろそろ微妙にねじれてきていて、時間軸がまっすぐになっていない。なんだか脳の中がパラレルワールドになってきている。
もともと、記憶が整理されていなくても痛くもかゆくもない人で、記憶にまつわる話をしない限りはそんなに不都合はないからいいや。
音楽をやるのに何か困るかというと何も困らない。

できるだけ、話の重複はしないように心がけているけれど、それだって記憶に関わることだからことはそう簡単ではないね。で、人は時にして優しいから、その話前にも聞いたとはなかなか言わない。かといって、言って欲しいかといえば、それはそれで迷惑なことかもしれないなあ、よくわからん。

間違いなく、みんな元気に生きているのだけは確かだね。

こんにちは。

こんにちは、「は」かもしれないとお思い直して、挨拶を。
どっちだっけ?

今日はこれから、夕方、練習しに出かける。
声が潰れてしまったので、今週は大体人の話を聞く係りになっている。
岩内の分と、旭川の分と、札幌の分をバラバラにやるから声と腕に負担がかかる。
格段の進歩進展はない、残念ながら。いわゆるのりしろっつう奴か?
あさって岩内の温泉ライブじゃ。それが済むと次はお客さんが話しかけてくる旭川アーリータイムス、で、月が変わって札幌、丸々フォークソングのカバー大会渡辺淳一文学館。


13Fのラストシーンに2024年という表示が出て浜辺に林立するビルが出てくるんだけど2024年みたいだった。25年くらいの先はまだ映画でも想像はつくらしい。

江戸川乱歩を読んでる。
明智小五郎と小林少年が子供の頃嫌いで全く乱歩には近づかなかった。
何が嫌いだったのかよく覚えていないけど、嫌いだという記憶だけが残っているから、人間の世の中面倒臭いものだね。
小林少年だったけ?中村少年?菊池少年?若林少年?
江戸川乱歩は変態だったなあ?と「人間椅子」を読んで思う。なんともいわれぬ今は姿を消した昭和のぬめぬめぬらぬらした湿気感、懐かしいなあ。

もう、4時過ぎた。そろそろ出かけよう。

皆さんも今日1日、残すところ夜の部しかありませんが、どうぞ転倒などしないように、元気でお過ごしください。

写真は、流れる雲が食えるかどうか思案の松茸。

さいなら。