2014年9月7日日曜日

coyoteとUFO



毎年、石狩でやってる野外イベントRising Sunに、今年は沢山のUFOがあっちこちの写真に写ってるということでちょっと賑わっていたらしい。
噂なので真偽のほどは分からないけど、一応盛り上がる周期に入ってるのかもしれない。
先週、誕生日を迎えて64歳になった。
5廻り目と4年、大体、世の中そんなに不思議なことはおそらく、ないんじゃないかという所に落ち着いてきた。つまんないっちゃつまんないんだけど、大人としての座りはいいのかなあ?という感じ。
世の中、錯覚と妄想と想像力と願望と思い込みと夢と人を恋する気持ちと、邪な心と良心と有頂天と有象無象(うぞうむぞうと読むんだと今知った。うしょうむしょうじゃないんだ。)天気と期待と幻滅と、こうやって書くと、ずいぶん色んなものに挟まれて生きているものだ。もっと簡単に暮らしてると書こうとしたけど、やはり一筋縄では行かないか?
UFOはこの言葉の何処に含まれるんだろう?
僕はこのところUFOは見ない。
沢山見た時期があって、人にも話し、記憶にもはっきりと残っているんだけれど、今はもう、自信がない。気のせいだったか、見間違いか、見たいという願望の膨らんだ欲求のなせるわざか?
記憶に年期が入ってくると、何かをいつの間にか強引な削除か都合のいい上書きしている。
コヨーテは飛行機と鳥とUFOの区別はつかない、星と人工衛星の区別もつかない。
見上げると夜空に光が無数に走るのを毎晩見てる。
多分見たものを記憶しない。
記憶しない分痛みも感じないのかもしれない。
僕は今、何か悩みがあってこんなことを書いている訳じゃない。
まだ人を抱きしめるだけの余力はある。

この「coyoteとUFO」というタイトルは僕にとってものすごく刺激的なもので、飛ぼうと思うと滑走路が沢山あり、それぞれが違う所に飛びたてる。

去年のセプテンバーバレンタインコンサートを終えたあと、弦のカルテットがとても楽しかったのでいつか機会があったら、きちんともう一度やりたいねと話し、そして、それをやるんだったらアレンジも含めて半年は必要だよね。で、やっぱりやりたい時が実行するタイミングということになり、先週までのリハーサルになった。
今年は色んなことがあり過ぎで、ますます、その思い立ったら感が強くなり、進むなら先に。
多分そんなに滅多に遭遇できるライブじゃないと思います。
僕等が住んでる札幌じゃなければ出来ないと思う。
これから僕等がやることはこの先にリンクして行くだろうということでもあり、僕の土地はもっと広がるはずです。
僕はこの先、満艦飾のUFOのあとをフラフラと追いかけて行きます。

上の写真は真駒内公園の入り口、支笏湖、定山渓、澄川、真駒内にむかう交差点の近所から入るサイクリンロードの、藻南公園の坂を上りきり、やれやれ公園に向かう下り坂、一番気持ちのいい道の写真です。左上に桜珈琲の裏側がほんの少し見えます。