2016年2月7日日曜日

真冬も点々と。


 冬の藻岩山は流石に雪のない季節よりも登る人が少なく、日曜日で天気も晴れているのにすれ違う人が少ない。
 岩や石が道にない分だけ登り易いことこの上ないんだけど、やっぱり寒い。
 体が運動不足で腐りそうなので、ダウン着て厚手のズボン履いてイヤホンの上からイヤマフを被せ、ダンロップの長靴履いて家を出た。冬用の登山靴を持ってるんだけど、冬の登山者を見ると長靴履きの人が多いので、それ以来長靴。
 毛陽と雪かき以外で長靴が生活にあるということはない。おじさんの鉄板グッズか、それでも年がら年中長靴は蔵われることなく、玄関の入り口の脇を占拠し続けている。

 冬、長靴で山を登ってるのは多分札幌の人ぐらいなんじゃないかと思うと結構痛快だね。本当のこというとスーパーにも長靴で行くことが多い。
夜だとコンビニにだっていく。このまま長靴に慣れ親しんでくると近い将来街にまで繰り出しそうで、誰かに生き方の注意を受けないと止まらないかもしれない。タガというのがあって、それがだんだん緩んでくる。一旦緩んだタガはそう簡単に元に戻らなく、世間体ということさえぶっ飛ばしそうな破壊力があるんだなあ、これが。
 高校時代は一年中長靴履いて学校に来る奴がいて、そいつのことはみんなどこかでカッペだと思ってたんだけど、タガさえ緩めばどうということはない、近い将来、僕はコンバースやめてみつ馬の長靴信者になる様な気がする。ダンロップの長靴は赤の色が強すぎて履いていてなんか傷つく。派手でいいなあと買った時思ったんだけど、慣れ親しんでくるに連れ、もう少し地味な方が文字通り地面に足が付いている感がある。
よくわからんものだ。。

 冬の空は雲の流れが速く、木々は皆葉を落とし、山の線や札幌の街が透けて見える。
 カラスだけが裸の木に止まり青空バックに時折鳴き散らす。
 谷になってる下の雪の上に足跡が遠目にもくっきりと見える。
 点々と。
 狐一匹が通って行った。
 雪にも埋もれず残っているところを見ると、昨日今日の新しい足跡なんだろう。
 気にして見ると、思いの外、というか登山道から見えるだけでも結構たくさんある。
 登山道を横切るように交差しているもの、急な勾配を登ってきたのか登山道にでくわし、引き返し迂回している足跡、その足跡から二股に分かれたもの、二股に分かれているにもかかわらず足跡は一匹のもの、尾根を渡って木立に消えてゆくもの、飛び跳ねて進んでいるのか歩幅の大きいもの、こんなきつい季節もものかわみんな一匹で生きている。
 生きているものも、動くものも、食べるものもないのに(多分)こんな小さな山をうろうろ徘徊して、夜の夜中、急な山を登ったり下りたりしてどこかで食料を調達する。
 道理で家の前の夜中を、つがいの狐に出くわすわけだ。
 冬の藻岩山、足跡を見に来るだけでも甲斐はありそうです。

 来週の火曜日、2月9日、時計台でEZO音楽祭というイヴェントで歌うので雪まつりに出てきてたらおいで下さいな。久しぶりのちょっと寒い時計台、如何せん古い建物なので寒いの暑いのを言っちゃいけません 。ちょっと不思議な空間感があります。学校の化学実験室、教会のようなノスタルジックな。

 風邪が流行ってるので、その用心だけでも結構疲れる毎日。
 年々、本当に風邪がたちが悪くなってきて往生するね。
 歌唄ってなかったらもうちょっと無用心になれるんだけど、人生はなにかと不自由で、結構いろんなものから自由を吸い取られ面倒くさいものになっている。
 だからと言って狐になりたいと思うだけの男気も潔さもちょっとないしなあ。
 今この時間も藻岩山の狐は何かを口にしたか、それとも今日も何も食っていないと思いながら雪の上に足跡を残してるか。