2015年6月22日月曜日

オートバイ乗りがブォンブォン、グルグル回りながらのぼっていく


 この向こうに大きな樽があって、その中をオートバイ乗りが遠心力頼みでグルグル回っている。樽の直径は10メートルはないかもしれない。
 その樽のてっぺんにお客さんがいて、その樽を覗き込むようになっている。

 オートバイ乗りがブォンブォン、グルグル回りながら上に登ってくる。

 お客さんの中にご祝儀のお札を振る人がいて、それをオートバイ乗りの兄ちゃんはさりげなく見つけ、グルグル回りながらそのお札を片手でヒョイと受け取り、軽く敬礼してグルグルを繰り返す。
 かっこいいよ。
 というのをずっと以前に見た。
 
 今はもう入らない。

 オートバイの爆音だけが幕の向こうから聞こえてくる。

 天気がよく、見世物小屋、お化け屋敷、オートバイの樽乗り、出店、ここの一角だけアスファルトもコンクリートもなく地面が剥き出し。中島公園にこんな一角あったっけ?とふと思った。大勢の人の行き来で土ぼこりがモウモウと舞っている。
 迷子の放送も流れていて、いい加減に引き取りに来ないとどっかに売っちゃうよと言いてる。

 そういえばサーカスはもうついていないんだ。
 サーカスはいまや単体で地方巡業できる。
 子ども頃はサーカスもお祭り興行のオプションについていて、見世物小屋、お化け屋敷、アセチレンガスの臭い、それらでもう別次元感満載だった。

 サーカスには売られてきた子どもが健気に働いてる、ということをまことしやかに学校や、雑誌や、映画や、ラジオなどで語られていた。

 サーカスに対する一種の差別と営業妨害と噂のてんこ盛りと、都市伝説と、なにがしかの真実のごった煮と、勝手な世間のいいがかり。
 
 天気も良かったので想像通りの人出。身動きが取れないところもあるけど、大勢の人は思いの外平気みたいで、人の流れにまるまま任せているのが面白いね。
 そういえばなんだか静かだったなあ。もっと賑やかに音が溢れ、人はもう少し殺気立っていたような気がするんだけど、昔のお祭り風景は。
 日本人てこういう種族になってきてるんだなあ、きっと。つまんない。
 僕はだいぶ年取ってきてるから文句は数多く言うようになってきてる。
 日本人て、なんてこと昔は言わんかったぜ。

 帰り道に改修塗装された豊平館の姿が、すっかりお姫様のドレスみたいな青色になっちゃっていて、いいのか?豊平館、そんなお姫様のドレスみたいな色で。今度機会があったら豊平館の建った時の色を調べてみようっと。文句を言ってるんじゃない。ぜひ中島公園に行ったら見に行ってください。
 名前忘れたけど、長い棒のバニラ味のものを買ってた食べた。カタカナの名前が付いていた。20センチ。



 喉は治っているような停滞してるような、よくわからない状態。
 今週の土曜日は小樽一匹長屋。
 そうしたら、もう、6月も終わり。
 良い天気の日が続いてるのでずっと自転車の日が続いてる。

 ここは藻南公園の坂を登りきり、石山方面と真駒内、支笏湖方面の交差点を左に曲がり、すぐの自転車ロードに入ったところからアパート群が見えるところ。綺麗な景色が続き真駒内公園に続いていく道路。方位的には北かも。この辺りは木々が多いところなのだが虫がいない。変といえば変かも。みんな自然は好きなんだけど虫、込みでというわけじゃないんだ。僕だって虫は嫌いだから、あるがままの自然を何てことは口が裂けても言えない。頭から毛虫が降ってきたらたまらない。本当のことを言えばね。

 O,編集どうなった?まとまったら連絡早くちょうだいね。K,ひさしぶりだった、元気そうで何より。僕は別に会うことを拒んでるわけでも、何かネガティブなものを抱え持ってるわけじゃない。また、機会があったら一晩中話したいよ。J,できるだけやれるように練習してみる。Yさん、確かに平和は大事だけど、それと、平和は絶対的な正義になっちゃうから反対語をいうことは勇気がいることなんじゃないかなあ。僕はやっぱりジョンは間違ってると思う。世の中はもう少し複雑でさあ。言葉が圧力団体になってしまうことはやっぱり良くないと思う。みんなビクビクしながら言葉を発していて、おびえながら意見を言う近況、現状。この言葉だけが例外というのは、そして広い空間をもたせてもらって贅沢に暮らしている。違うと思う。
 Kさん、書いていくと上手くなっていくもんだね。その調子で頑張ってね。僕だって腕や指が思うように脳みその中身を伝えられるわけじゃないもの。M,近所の中華屋で良いかや?M,僕はパンケーキ屋だって一人で入れる、昨日は王様の🍰というのを食べた。




 
 
 
 

2015年6月12日金曜日

君たちは誰だ?俺らか。




ブログ書き終わって公開しようとしたら、一切動かなくなって、そのまま放置していたのが先週。今、もう一度立ち上げたら、なんとなく動きそうなので、また新たに書くことにする。
 パソコンまで調子悪くなるのかと、大昔、天中殺というのが流行ったけど、それを思い出した。こういう時は動かない方がいいんだけど。かといって、何時まで?というはっきりとしたものがあるのでもないらしいから厄介かな?
 この3週間以上の時間、逆にのんびり過ごしたかもしれない。
 出ないものはしょうがないし、自分の力の与り知らぬところでカチカチと時が過ぎるだけ、時間が経てば普通、元に戻るだろう、若しかしたら年齢のせいで幾分遅れるかもしれないけど、全く希望がなくなるわけでもねえべ。みたいなことを思っていた。
 
 喉痛めて4周目。
 JUST FOLK ーあの時代へのノスタルジー「ノスタルジア’70」コンサートにはかろうじて、辛うじて間に合った。
 上の写真は土曜日の渡辺淳一文学館の時に使った第1巻第100章の最初の頃のもので、サークルの窓越しに撮ったもの。誰もしないテニスコートに降りてバンドのプロモーション写真撮ろうということで写してもらった。
 21、2の頃だと思うけど、左側二人はもういない。
 40年も前の若者達。自分だという実感もあんまりないなあ。
 なんとか最後まで歌いきれた。本番前までは最後までたどり着けなかもという不安があったが、それはそれで、その時に考えようと思っていた。
 長いこと歌っていれば、たぶん、本番の最中に思いがけないアクシデント、ハプニング、予測不可能なこと、ついていないこと等々、いろいろあるんだろうって思っていた。
 そんな中での70年代「ノスタルジア’70」とついたタイトルのコンサート。
 思いをかぶせようとすれば、なんでも覆い被せることができるけど、それもちょっと違う、過ぎてきたことって、もう過ぎて、去ってしまっていて、思い出す作業以上のことは何もできないし、ましてそのことに反省しても、威張ってみても、萎縮しても、笑ったって、感傷を持ってみたって、ほんとうのところどれも当たっていないのだね。
 ただ歌があって、その横を思い出がスライドみたいに流れていく。そのスライドがみんなそれぞれに違っていて、今の時間と折り合いつけようとジタバタ音を立てながら通過する。素敵なことだと思うね、瞬間的に過ぎてゆく昔の映像は。
 またしても、たくさんの人の力に乗っかってしまった。
 力を貸してという方は気楽にそのこと言うけど、貸す方は、どうせ貸すのなら有効になるように、自分の思いも含めてか貸してあげたいと思う。尽力というくらいだもんね。
 あんまり、感謝されると僕は恐縮するタイプなので、僕もあんまり感謝を表明しないようにするけど、ジンときたよ。

 今週も今の所静かにしている。
 話すのには何の苦労もなくなった。
 
 上の写真は4丁目にエイトビルがあり、ヤマハがまだここにあった時の、レコード覗いたり、4回のスタジオメイに誰かいないかと探しに行ってた頃のもの。伴とひろっちゃん。今では珍しい楽器やスピーカーが並んでいる。

 Kさん、O君の分も欲しいので明日にでも電話します。F、明日昼頃にスタジオに間に合うようにします、40分くらいだとちょっと時間が足りなかもしれない。インタビューだけで終わるよ。D,録音終わったら見にゆく。ご祝儀持って。Hさん、ナイアガラの資料メールで送る。C,パンケーキ食べに行くね。 Mちゃん、喉のハーブティ想像よりもよく効いたかもしれない。T,「のたり松太郎」渡し損なってまだ車の後ろに積んであるから、今度持って行って。F,とりあえずラジオまた始めることだけ言っておくかな。O君、いくら聞いてもこれから先、死ぬまで聞いても聞ききれない量だぜ。Y君、股関節はそう簡単には柔らかくはならない。