2015年6月12日金曜日

君たちは誰だ?俺らか。




ブログ書き終わって公開しようとしたら、一切動かなくなって、そのまま放置していたのが先週。今、もう一度立ち上げたら、なんとなく動きそうなので、また新たに書くことにする。
 パソコンまで調子悪くなるのかと、大昔、天中殺というのが流行ったけど、それを思い出した。こういう時は動かない方がいいんだけど。かといって、何時まで?というはっきりとしたものがあるのでもないらしいから厄介かな?
 この3週間以上の時間、逆にのんびり過ごしたかもしれない。
 出ないものはしょうがないし、自分の力の与り知らぬところでカチカチと時が過ぎるだけ、時間が経てば普通、元に戻るだろう、若しかしたら年齢のせいで幾分遅れるかもしれないけど、全く希望がなくなるわけでもねえべ。みたいなことを思っていた。
 
 喉痛めて4周目。
 JUST FOLK ーあの時代へのノスタルジー「ノスタルジア’70」コンサートにはかろうじて、辛うじて間に合った。
 上の写真は土曜日の渡辺淳一文学館の時に使った第1巻第100章の最初の頃のもので、サークルの窓越しに撮ったもの。誰もしないテニスコートに降りてバンドのプロモーション写真撮ろうということで写してもらった。
 21、2の頃だと思うけど、左側二人はもういない。
 40年も前の若者達。自分だという実感もあんまりないなあ。
 なんとか最後まで歌いきれた。本番前までは最後までたどり着けなかもという不安があったが、それはそれで、その時に考えようと思っていた。
 長いこと歌っていれば、たぶん、本番の最中に思いがけないアクシデント、ハプニング、予測不可能なこと、ついていないこと等々、いろいろあるんだろうって思っていた。
 そんな中での70年代「ノスタルジア’70」とついたタイトルのコンサート。
 思いをかぶせようとすれば、なんでも覆い被せることができるけど、それもちょっと違う、過ぎてきたことって、もう過ぎて、去ってしまっていて、思い出す作業以上のことは何もできないし、ましてそのことに反省しても、威張ってみても、萎縮しても、笑ったって、感傷を持ってみたって、ほんとうのところどれも当たっていないのだね。
 ただ歌があって、その横を思い出がスライドみたいに流れていく。そのスライドがみんなそれぞれに違っていて、今の時間と折り合いつけようとジタバタ音を立てながら通過する。素敵なことだと思うね、瞬間的に過ぎてゆく昔の映像は。
 またしても、たくさんの人の力に乗っかってしまった。
 力を貸してという方は気楽にそのこと言うけど、貸す方は、どうせ貸すのなら有効になるように、自分の思いも含めてか貸してあげたいと思う。尽力というくらいだもんね。
 あんまり、感謝されると僕は恐縮するタイプなので、僕もあんまり感謝を表明しないようにするけど、ジンときたよ。

 今週も今の所静かにしている。
 話すのには何の苦労もなくなった。
 
 上の写真は4丁目にエイトビルがあり、ヤマハがまだここにあった時の、レコード覗いたり、4回のスタジオメイに誰かいないかと探しに行ってた頃のもの。伴とひろっちゃん。今では珍しい楽器やスピーカーが並んでいる。

 Kさん、O君の分も欲しいので明日にでも電話します。F、明日昼頃にスタジオに間に合うようにします、40分くらいだとちょっと時間が足りなかもしれない。インタビューだけで終わるよ。D,録音終わったら見にゆく。ご祝儀持って。Hさん、ナイアガラの資料メールで送る。C,パンケーキ食べに行くね。 Mちゃん、喉のハーブティ想像よりもよく効いたかもしれない。T,「のたり松太郎」渡し損なってまだ車の後ろに積んであるから、今度持って行って。F,とりあえずラジオまた始めることだけ言っておくかな。O君、いくら聞いてもこれから先、死ぬまで聞いても聞ききれない量だぜ。Y君、股関節はそう簡単には柔らかくはならない。

 

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