2014年10月4日土曜日

友を訪ねて本宮、旭川、深川



田舎に帰ってきた。
帰って来た?
変な言葉ダネ。
親の墓参り。
まさか、こうやって手を合わされるとは生前親は夢にも思っていなかっただろうけど、これが諸行無常というもので、面と向かって言わなかったことどもを平気で親に話しかけるものなのだ。
親類も時間が経つのを実感されるように皆一応に年を取っていき、自分の子供の頃知っていた人たちに帰って行くのが不思議と言えば不思議だ。
どのみち記憶などというものは最早、断片的にしか帰ってこないので、それぞれが持ち寄ってもそう多くの話がある訳もなく、ただただ、大地震があったとはいえふるさとの輪郭は大きくは変わっていないところが説明のつかない郷愁をさそう。
札幌に住んで長いけど、ふるさとかと言われればピンと来ない。
もしかしたら、この街はそんな古い郷愁といったセンチメンタルなものは最初から持っていない街なのかもしれない。田舎じゃないからなのかもしれない。
帰るたびに還ってくる懐かしさというのは何なんだろう?
そこに住んでる人は絶対味わえない気持ちなんだね。
下の写真は追分温泉といって、村から更に山に入って行った先にある旅館。
なれないと、それと土地の知識がないとなかなかここまでは辿り着かなかも知れないけど、もし、忽然とした湯治場がいいなあと思ったら行ってみて。
僕はここの休憩所で一度ライブをやる約束になっている。


September Valentine のグランドホテルライブ終了。
泣きそうになるくらい気持ちがよかった。
弦楽四重奏とピアノ、パーカッションをバックに全曲通す。
何も気負うことなくできるようになるには時間がかかるもんです、それと、この街に長いこと住んで色んな人と知り合いになり、それぞれがここまで歩いてきてくれたおかげで出来たことでもある。ふるさとではないといったけれど、この街は僕等の遊び場だった。
街はやろうと思えばおおよそ欲求はかなえてくれる。大きくなればなるほどその欲求も大きくなる。街が巨大化して行くのは僕等は本当は歓迎しなければいけないんぢゃないかと思う。色んなものが壊れるけれど、壊した分だけ新しいものが出来るという意味ではすてきなことなんだろう。街が大きくなるスピードと自分が年を取って行くスピードが思いの外上手くいったような気がする。ラッキー!
上の写真は熊野の本宮に行く道路。
来週、一週間、旅に出る。
田舎の家の裏山にに自分の家の小さな社がある。言う所の守り神で、どういういきさつかは子供の頃に記憶していたことなのでよく知らなかったのだが、先日姉が「裏の社は元々熊野から来たものなのだ。」と言うのを聞いて、そういう風に因縁というのが繋がることがあるんだ、勝手に解釈してあらためて熊野に出かける。
丸石輝正君と2カ所(串本町ヴァレ・ノワール、田辺本宮道の駅 奥熊野古道ほんぐう)、そしてソロ(紀宝町鮒田フォークス)をやる。ライブが終わったら高野山まで連れて行ってくれるという。僕はシティ派から仏教神道派み宗旨替えするかもしれない。
まあ、どっちにしても色んな因縁の整理にしばらくかかるかもしれない。
帰って来たら、深川忠義と旭川フォークジャンボリー、トールと深川メルティングポットの旅が待っている。「友を訪ねて本宮、旭川、深川」とタイトルがついている。
よし。

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