2014年7月14日月曜日

月よりの使者 part 3


スポ太郎が死んで8年経った。
何年経ったかの記憶が曖昧になってくる。
毎年花を送ってくれる人がいて、当時ずいぶん色んな人に気にかけてもらっていたんだと、毎年思う。
この日記の2006年7月14日の所を見ると今、書いた本人が読んでもなんだかつくづく悲しい。
焼いてもらいに行ったとき、スポ太郎、大きくて箱に入りきらなくて、そこのお兄さんが「入らないですねえ、普通はこれに納まるんですけど、ちょっと無理して入れさせてもらいます。よいしょ、よいしょ。」と押し込んでいた。
帰る途中骨壺抱えながら笑った。悲しいんだけど。好きなもの食い放題の猫だった。
今にして思えばよく、2年半、注射打ってたなあと思う。
糖尿病がわかったときに、何も手を施さないという選択肢を選ばなかったことが、かわいそうだったと今にして思う。
低血糖、高血糖で相当体が痛めつけられた。
本当に悪い飼い主だった。


松が来てまる6年。
7歳になったと思って半年前から「7歳以上 シニア 高齢猫用」というのに替えた。
まだじいさんになってもいないのに早々に準備させられて、うちに来る猫は災難に遭う運命。
かつてないおいしさ、優れた栄養バランスと袋には書いてあるんだけど、これが酷い臭いで、松も最初は手で見えない砂をかける行為をしていたから同じ感想だったんだろう。
猫がいる生活20年。
もう立派な猫飼い人だ。

最近かわった本を読んでいる。
最初から使ってる言語が違う本で、日本語なんだけれど意味を拾うのに相当エネルギーがいることが書かれている。人はそれぞれ違う言葉を持ち、違う世界をもち、思いも寄らないことを考えながら暮らしている人の円がある。
読書は習慣だということがこの本を読んでつくづく思う。
自分が作った道に沿ったものを選び、おおよそ同一のものを選って、自分にとって異端なものは知らず知らずに排除している。
結構自分って融通のきかない奴だったんだというのを再発見する。
何読んでるかは書かない。

そろそろ、月より使者から次ぎに行かないと。
ずいぶん前に風水が流行った時があって、世の中、大雑把に言って風水で解決が着くと大げさに言ってた人がいて、へえ、そんなものか、気というものが広くは宇宙、狭くは人体にまで影響する、へえ、すごいね、なんか適当でいいねと感心していた。
今の時代、気を感じて建物も家も道路も街も造らないだろう、昔の風水師が今の街を見たら気が澱んでる所だらけで、それこそ禍々しいものが満ちあふれていると看るだろう。
そこにビルに覆い被さらんばかりの三日月。
月よりの使者というと僕には月光仮面しかいない。
人々を救うのは三日月のマークを覆面の額にはり付けた月光仮面。
複雑なものをそこまでシンプルにするか?あなたは、という月光仮面。
デモテープにはアウトロの最後で微かに月光仮面のテーマが流れていたんだけど、流石に古館君、若いからそれには気がつかなかったのか、スルーだった。
稲村さん作ったもとのコード進行とは大分違うけど、大分どろっとはしたかな?
カネ久のデモを聴いてもらった時は、笑ってた。
CDになる前の録音はパーカッションがこの3倍くらい入っていて、賑やかすぎたので削り落とした。
僕の街の風景は年をとるにつれて、街の中心部から少しずつ外にずれていってる。

写真はもう少しで苗穂のジャスコがある豊平川の川の縁。
僕の外の写真はいつも天気がいい日。
天気の日以外自転車出さないから。


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