2016年10月19日水曜日

木の葉が落ちて藻岩山が見えてきた。ジャン!



365日ギターを弾く毎日です。

誰かに脅されてるわけでも強制されてるわけでもないのにギターを弾いています。
こればかりはやればやるほど気になるところが出てきて、昔から比べるとおおらかなところが無くなったかもしれません。
本来音楽は求道的なもので、そういう人は周りにたくさんいて、時には神経症にまで行き着く人がいて、尋常じゃないことになっています。

一音一音音を出すのが怖くなり、自分が出している音は果たしてこれでいいのだろうか?リズムはあってるんだろうか、音符の長さは書かれている通りに伸びているんだろうか?気持ちは表れているんだろうか?アルペジオは歌を邪魔していないんだろうか?といった気にしなければそれで済む(本当は済まないんだけど)ことが次から次から襲いかかってくるようになる。
まあ、一種のループ、仏教でいうところの無間地獄で、そこに捕まるとそう簡単逃れられなくなる。
音楽は優しく冷徹なので、どの部分で棲息しようと許可をくれます。
そこはそこでまた底なし沼で、そこにいるとそこのルールができるのです。
ジャンルや区別というのはそういう風に出来ているので、どこにいても大変なことは大変なのです。
上手ければいいということもなく、下手だからダメかというとそうじゃない事で溢れかえっているからますます厄介になる。

昨日、ひょんな事でN君のことを思い出して、できれば詳細に教えてもらえないかという丁寧な見ず知らずの人からメールがあって、昨夜久しぶりに結構追い込んで思い出してみた。
N君はストイックに音楽を追い込んでいく人だった。
それこそ音の一つ一つに意味を持たせ、自分が出す音を納得するまで追いかける人だった。僕は当時面倒臭い奴だなあ、と思っていて、それでも人にはそれぞれが辿り着くステージがあって、そのステージごとに音楽の奥行きが変わっていくのかもしれない、くらいの見当はついていた。でもどのくらいかかるんだろうと思っていた。
N君はよく僕と付き合ってくれたなあと感心する。

それと音楽にはもう一つ、精神、こころという問題があって、これが絡むと更にややっこしくなる。心があるとかないとか、それは僕らの問題なのか?といった形而上の問題にまで発展していくので、時々更にうるさい奴が出現する。もう相手にしないけど。
心の問題は見えないんだけど、見えるような気がする、ないんだけど、あるように見える、考えていないんだけど思慮深く見える、鬼なんだけど仏に見える、いわゆるフェイク昭和まではこのことは真剣に考えられていたけど、さすがに最近平成になってからこのことを大声で叫ぶ勇気がある人は少なくなってきた。

狙うなら今。誰も叫ばないんだった僕が。
世界は愛で満ち溢れている!
今更ながら嘘っぽいなあ。
どんな時代でも必ず大勢の人が誰かに騙されている。
振り返るとそう思う。

だからと言って、こと音楽についてストイックに生きている人が減ってきているかということはなく、報酬すらないのに真面目に正面衝突してる奴らでいっぱいだ。

壁新聞みたいなことを書いてしまった。

Muscat & mint、もしかして初めて飲むかもしれない。はは、なんか楽しい飲み物だ。
胃がミントでさやさやして、体がなんかいけてるぜ!って言ってる。ヒャッホーー。

「明るい夜に出かけて」、「コンビニ人間」先日読んで、今週はこれ。

コンビニを舞台にした本が2冊続いた。
何か情報があって買ったわけじゃなく、中を読んだら普段使わない言葉がたくさん出ていたので。コンビニが舞台になった小説を続けて買う確率はそうないなあ、
「白痴」とりあえず脇に置いて、読み始めた。
こっちは用語も登場人物もなんかアメリカングラフィティコンビニ2016版みたいで、おじさん今それを追いかけてどうするのみたいな感じです。田中康夫みたいに下に脚注入れても今更ながらうっとおしいけど、かっこいいかも。
それにしても街には何かわからないものが、機会があったらワラワラと滲み出てきそう、この日本。

11:58 
もう昼です。
さて風呂入ってAIRG行こう。







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