2025年9月3日水曜日

ライブ、あっちに行き、こっちに行く2

 



9月のセプテンバーバレンタインコンサートで(今年は9月14日、札幌。15日が旭川アピスホール)春先からアレンジなどの打ち合わせで何度もプー横丁で会い、何をやるか、何ができないかを相談をする。廣瀬いづみさんと1対1でライブをやることはなかった。

co-jackの武田君から「今度、いづみさんとのライブが見たいです。」というのが今回のリクエストだった。
僕はピアノの人とのセッションはほとんどない、自分がギター弾きというのもあるんだけど、つい、ギタリストやベーシストに偏ってしまう。それとピアノのレンジが広いのでどこかギターが負けてしまうという思い込みもあった。

7月13日、co-jack 10th anniversary special 佐々木幸男 live Feat 廣瀬いづみ

ほぼ隣にピアノがあり、相当近いところでいづみちゃんがいて無表情でイントロがスタートする。和音とアルペジオの間に探るようにギターの音を入れて行く。淡々と弾いているように聞こえるのだがこっちの自由度はしっかりと作ってくれて、置いた音にもしっかりとフォローを入れてくれる。音楽は本当にその人の性格がきちんと出るものだ。リハーサルでは見せてくれなかったフレーズも時折忍び込ませる、なんか楽しくなってくる時ってこういう瞬間。きてくれたお客さんと空気を同期させるんい僕らは全エネルギーを注ぐ。時々狭い空間が好きだと思えるのはその伝わり方が瞬時にわかるので、なんかジャズ的でもあるなあと思う。いづみちゃんは普段、ライブでは話をしないし、コンサートでもこっちが頼まない限り口を開くことはない。話すことが嫌いというわけではないのだろうけど、あまり興味がないみたいだ。

ライブも中盤を過ぎ何気なしに隣を見ると鍵盤ハーモニカのマイクをMCができるように調整している。多分話すことに興味がないんじゃなく、話したくてジタバタしてたのかもしれない、というかその時の雰囲気が話してもいいと思わせたのだろう。終わってから「あー、楽しかったー、」、人が楽しいと思うことを歓迎しない人はない。
co-jackでのライブはゆったりとしたピアノの音とギターの音で出来上がった。
集まってくれた人は武田君の店の周年記念を祝ってくれる人ばかりで穏やかに優しく聞いてくれた。
これから先のライブの別のあり方もわかった。
言葉と音楽は目的は同じだけど伝達方法が違う。ネガティブな要素がないぶんだけ伝わる時には真っ直ぐに突き当たる。次は何を思ってるのか聞いてみたい。

「あー、楽しかった、次はきちんとマイクをセッティングしてもらおう!」が彼女の全文です。いつかコーラスとか歌わされるということには気づいていないみたいだから。まだ、黙っていよう。



旭川のセプテンバーバレンタインコンサートは9月15日です。

弦楽4重奏カルテットクォーク(ヴァイオリン、杉田知子、佐々木聖子、ヴィオラ、岩田貴子、チェロ中川恵美)の皆さんと。いつものピアノ(廣瀬いづみ)、ギター(扇柳とーる)、ベース(大西慶人)
さらに厚い音が楽しめると思います。

おいら、今日から75歳じゃ。

2025年7月16日水曜日

ライブ、弟子屈。


去年、弟子屈 に行き、ライブ前に市内を回ってる時に実行委員会長の山本くんから町のことをたくさん聞いた。本人も元々役場の仕事をしていた人で、地元に対しては相当の思い入れを持って、弟子屈や同党のパンフレットをたくさんもらった。

ライブの前に数多くの連絡事項や進行状況などの報告は度々もらっていて、実行委員の4人の皆さん(山本さん、喫茶あいのマスター山本さん、ひとみちゃんとやよいちゃん)の情熱と期待感などがたくさん伝わってくるメールを数多くいただいた。

一年たちもう一度やろうということになって「どうせなら、季節の一番いい暖かい時にやって見たいなあ。」と勝手なことを希望したらそれも飲み込んでくださり、多分この時期は道東観光等で忙しくなってるにもかかわらず快諾してもらった。前回は風のびゅうびゅうの釧路湿原、霧が出ずっぱりで人気のない摩周湖、春もまだ遠い4月の弟子屈だったのもあって、叶うものだったらこの美しい土地なので、夏の最中のこの町に是非会いたいという思いがその時からあった。

歌を作ろうというのは一年前から軽い冗談みたいに湧いてきてた。案内の山本さんの車の中で全道チェーンのパチンコ屋さんの「ひまわり」の1号店がここだと教わり、そうか|ひまわりはここから札幌という都会に仕事に行ったんだ、どこからとなく「木綿のハンカチーフ」のストーリーが浮かんできて

「歌書いて見ようかなー。ひまわりかー、恋人よ〜僕は旅立つ♪」なんとなく口から出てしまった。あまり人前で感情に駆られてこんなことを言う人じゃないんだけど、道東、まだ冬も終わりきっていない季節にひまわりが頭の中で咲き乱れ、映画の「ひまわり」の群生が出てきてしまった。


※ これはエゾイソツツジで、7月のこの時期には終わってました

「木綿のハンカチーフ」みたいな、と言う構想時期は結構長く続きましたが、今年に入ってひとみさんからのメールを読んでガラッと変わりました。弟子屈でのライブ開催というのは1997年2月22日「佐々木幸男コンサート実行委員会 於社会老人センター」から繋がっていたもので、やよいちゃんの机の中で27年間眠っていた封筒が揺り起こしたものでした。ありがたいといえばこんなにありがたいことはない。人の記憶の優しさをつくづく感じています。


ひとみさんから ポツンとメール 電話か手紙しかなかった頃

夜のラジオから流れてくる 歌をたよりに大雪の中

僕らは静かに 夢を見続けた こんがりコン こんがりコン こんがりトースト焼けた

 

 たくさんの若さ光ってた ひとがつながって 歌もあふれてた

 レコードが回る 人が笑って 誰も今が 今日の今日まで

 いのちを紡ぎ 今日を重ね こんがりコン こんがりコン こんがりコンと老けた


もう一度だけ手をつないで見ようか 忘れてることばかり

もう一度だけ明日も元気だと 忘れていることだらけ でもここは変わらないだろう


 風に揺れるひまわり 季節変わっても こんがりコン こんがりコン遠いところに

 こんがりコン こんがりコン 遠いところにあい

                       ==遠いところにあい==



弟子屈の皆さん、スタッフの皆さんの27年間の愛情と友情感謝のみです。楽しかった、リフレイン普段、あんなに力入れて歌わないのですが、頑張ってみました。


また元気に会いましょう。体大事に目減りしないように。

今度はカヌーで釧路川、川下りを教わりに行こうと思います。

摩周湖の見えるこの場所でライン交換していた僕らを怪訝そうに見ていたあいつらいつかぶっ飛ばしてやりましょう。

マスター、やっぱり淋しいから時々でいいので(デーゲームいいです、昼間は家空けること多いので)はファイターズ臨時情報流してください

札幌はさっき雨が上がり、また夏がもうしばらく居ると声高に叫んでいます。





2025年6月20日金曜日

予想はしていたけれど、1日にできることは一つだね


 パークホテルでの「Not jazz But jazz」

無事に終了しました。楽器も持たずただ歌手としてジャズのメンバーとやるなどということを超線路しても度がすぎるなあ、と過ごした日々。胃が痛くなるほどのプレッシャーというのはもう年齢的に受けることはなかったけど、それでも時々深く考えることはあった。

「Age of junk」をスタートの曲にしてよかった。気分は2019年「ブレードランナー」が舞台だった(未来は思いの外先には進んでいないとつくずく思うけど)頃のジャズホールを想定したんだけど、どこかの意味でハードボイルドではあった。

今回はできるだけ伝達手段を会話にしなかった。

ただひたすらプレイに集中してもらい、僕はできるならアンドロイドのように歌いたかった。

思うこと感じること、いつもと違うところから入ってくる、感じ。

蛇池(sax),斎藤(wood Bass),南川(piano)の三氏、素晴らしいパフォーマンスでした。

コンサートタイトルとフライヤバッシリと決めてくれた橋本亜矢様ありがとう。


さて、次のステージです。

昔、むかーし、コンサート実行委員会を作ってくれて大雪の日に呼んでくれた方が去年の風の強い寒い4月に旧交を温めようとライブを企画してくれました。

喫茶あい、で今年は機構の一番良い時に行きたいと図々しくもリクエストを出し、6月29日を選んでブッキングをしてくれました。釧路湿原や支笏湖をぜひ見て欲しいと勧められているのですが、如何せんわしはほぼ根っからの北海道人じゃ。摩周蕎麦だったら付き合おうかな、それにしてもこの季節の道東楽しみだな。

果てし無い大空と、広い大地のその中で♪〜 

なかなかたどり着いて、交通事情と宿を探すのが大変そうですが、ぜひお出かけください。

喫茶あいのマスター山本さんはファイターズファンで試合が終わるとメールですぐに結果を毎回送ってくる。あのね、夜、追いかけ再生で見ようとしてるから困るんです。と今度会ったら言っておく。


まもなく7月です。

7月13日(日)旭川 Co-jack

7月25日(金)小樽 能楽堂

またリハーサルが始まります、それぞれセットが違うから結構忙しい日々は続きます。

そうこうするうちにおいら、75歳になる、人生ははええーなあ。

2025年3月21日金曜日

とらやの夜の梅 いつ食べる?でかい








自分に勢いがあるかどうかはわからない。

「時間です!」と告げられて舞台に上がってゆく。お客さんに挨拶して、時には軽く手を振ってみる。ギターを抱え、イヤモニを左耳に装着し、軽く深呼吸するとドラムの新村君からのカウントが数えられる。

「ワン、ツーー、スリー!」

リハーサルを重ねる。

いつもメンバーは違えど練習スタジオの景色は変わらない、アンプやコード、ミキサー卓、雑然と壁に立てかけられているパイプ椅子の塊、誰かには必要な、ひっきりなしに自分やメンバーのフォーメーションを確認する正面に広がる鏡。マイクにマイクスタンド、譜面台、人がいなければ物置なんだけど、人が入ると俄然狭くなる。

自分に勢いがあるかどうかわからない。

それでも3時間4時間のリハーサルには付き合える。疲れるけれど、さしあたって振り絞らなければ出てこないエネルギーではないから、終わって虫の息にはまだならない。Garage Bandという昔からのバンドで今回はやるのでストレスは軽い。

僕らは立派なおじさんをちょっと過ぎた頃合いになっているのでそうそう笑わない、見た目も不機嫌に見える、側によるともっと不機嫌に見える。どこか顔面の神経がいっちゃってる感じがするけど、これが普通だ、何か文句あるかという感じで日常暮らしているので今更笑顔でとは言えない。別可愛さが特に必要とも思わないからいい。それと毎日一緒に暮らしてるわけじゃないから困らない。

Garage Bandのイントロからスタートする。「一途な月」をレコーディングしたメンバー勢揃い(Bassの哲治は当時木谷将夕だったけど)で簡単にあの頃に帰っていく。あの頃クリアできなかったことが今は簡単に飛び越えていける。自分自身の歴史を抱え持ってここまで来た、年齢っていうんだけど。この曲はこのバンドのテーマソングでアマチュアのようにいつも音楽が好きで毎週金曜土曜日はバンド練習で自分の家のガレージを集合場所にして音を出す、そんな奴らの集まり。音楽を始めた原点の心をいつも持ち続けるという意味を込めて作った曲だった。

みんなおじさんになり、おじいさんになり機嫌が良いのか悪いのか判別不能になってもBand,yeah!でいけたらいつまでもハッピーだ。ふと「スペース カウボーイ」を思い出した。

春の恒例のライブは終わった。

みんな機嫌が良い、ということがわかった。


2020年の11月27日は機嫌悪かったみたいだ。





今日も良いいち日を!


 

2025年1月30日木曜日

あけまして、もう2月かあ。よろしくお願いします


ずっとフジテレビと中居君、文春の話題でネットやテレビで盛り上がっちゃって。話し合っても無駄、話し合おうとしても聞く耳を持たないで自分のことだけを話したがる人が大勢いることもわかった。あれは一種のサバトだなあ。ストーンズが聞こえて来た。

規律を守って穏やかに、平和に知性と理性を持って過ぎていくのは自然だけか。

先日、50年以上も前にデートの約束をしていたにもかかわらず、当日、バンドの練習を理由にすっぽかしてしまった人に会う機会が持てることになった。遥か遠くの日だったのに断片断片が記憶の中から浮かび上がって来て、話し続けると点線が短い線に変わっていく。

時計台の向かいに上島コーヒーがあったらしいんだけど、その地理さえ記憶にない。「個人教授」を観に行ったと言われ、それは覚えてた。年上の人を好きになって若者の身勝手な恋の果てライトスタンドのサヨナラホームランを打たれた投手状態でパリの街をずぶ濡れになりながら去って行くルノー・ベルレー。これはどっちが選んだのか?

すっぽかしてから50年経つまで会うこともなく、ある日知り合いを介して再会した。記憶になってしまわれていたものを引っ張り出す機会というのはそう多くないかもしれないなあ、最近。

もうすぐ1月も終わる。

昨日ジョニー、目黒さん、門馬の4人で3月の打ち合わせのためローヤルホストで落ち合う。ジョニーはもう暗譜でもOKときっぱり言い切っていた。あとはトールと哲治にも爽やかに言ってもらう。新村君はいつ以来だろう?新村君は「一途な月」をガレージバンドで録音とって以来だと思うから相当経っている。僕は明日本番、と言われても十分準備はできている。ガレージバンドはもともと工藤哲治、ジョニー曽山、扇柳トールで35年くらい前でロンドンで録ったアルバム「jelousy」が出た頃始めたグループで、ぼーっとしているんだったらバンドやるべ!というところで始めた。マリアテアトロで始めた毎週、全7回やったライブ「ヴァーサス」では結構しっかりやっていた。「一途な月」のベースは今東京で暮らしてる木谷将多が弾いているのだが、今回は哲治に。あとはベースで時々木村 圭子に引いてもらうこともあった。パーカッションに手島慶子にもよく参加してもらっていたのだが今回は3月に出産が控えてるということであかんかった。

コンサートフライヤができました。デザイン、写真はいつもの橋本亜矢さん、須田守政氏です。このチームも長い付き合いになりました。


3月14日(金)ペニーレーンで例年のライブをやります。ガレージバンドを組んでからかず多くの場所でそれこそ30年以上ライブ、コンサートをやって来ました。まだ足腰に何も変長、不調ありませんが、僕が元気でも周りは刻々と変化をしていきます。「カニ君」はだいたい完成しました。んーー、確かにカニの歌だなという仕上がりです。今は「東京」という歌と「札幌」という歌を作っています。これができればやろうとしていた企画に目が入れられます。もう一息。









 

2024年10月4日金曜日

ちょっと聞いてもいいですか?

「NHKですが今回の西友の閉店にあたり、何か感想があったら伺いたいと思うのですがインタビューよろしいでしょうか?」

「よろしくないです、ダメです。」

38年間営業を続けて来た西友が札幌市内から姿を消す。昔からランドマークとしての役割と、まだ無印があって結構都会の格好を保って来たスーパーが9月で無くなるというので、最後の挨拶にとTシャツにジャージで出かけたら、同じことを考えている知人数人に会って、それぞれまともな格好をしているのが油断ならない。

店が終わる6時まであと1時間くらいだったと思う

入り口に面する道路に取材のカメラや人で賑わっていた。そうだよな、結構なニュース素材だもんなあ。
のこのこ出かけていく奴が悪い。頭洗ってただ乾くにまかせて手櫛すら入れない奴が来る場所ではないのだ。それも記念に自撮りなんかしちゃって、SEIYUのファンだと思うべな。

自分はただこのタワーが好きだったので消えてしまう前に来ただけだったのに。

赤い四角が丸だったら日本国旗だった、どうして赤丸にしなかったんだろう。永遠に栄えそうなのに。

普段は駐車場に誘導のおじさんいないのに今日は朝からずっと働いているのだろう、もういい加減人来なくてもいいのにと思ってるかどうかはわからないけど、突然忙しそう。おじさんどこから来たんだろう?今日1日だけのトラなんだろうか?

店に入ったらもう見事に何もない。何にも売っていない。生鮮コーナー、冷凍冷蔵品、お菓子、インスタント、レトルト、パン、日用品、おかず、たわし、ティシュ、洗剤、米、麺類、暴動があって店から商品まるまる持って行かれたみたいに。すごいね、そうだよな、みんな挨拶に来て何か最後に買っていこうと思うともう、なんでもいいんだもんな。お祭りだ、わっしょい状態。

NHKの人自分に何聴こうとしたんだろう?
こんな頭をしている人がまともなことを答えると思ってるんだろうか?


9月の「September Valentine Concert」も終わってもうひと月になる。
こんな格好で家から来たわけじゃない。
楽屋に入ったら弦のお姉さんたちから今日はこれをかぶりましょう、ということで「はい、わかりました、仰せに従います。」一瞬これはどうなんだろう?果たしてこれに付き合って自分の尊厳が崩壊することになりはしないか、これをかぶって普通に歌えるんだろうか、世間は許すんだろうか、とも思ったけど、イメージなんて自分が勝手に作っていて大体はなんでもできることを最近思い知った。
それと、照れるということに少し鈍感になって来ている。というか人が元気でいられるんだったらそれは肯定するべきなんだと無理矢理にでもねじ伏せられるようになっ来た。

それにしても9月のコンサートはメンバーの皆さんの個々のエネルギーをひしひしと感じられるものだった。良い漬かり具合の演奏でした。時に時間は優しいものになります。
そして、応援を続けてくれる来場の皆さん、また一年無事に過ごせて9月を迎えられ、お互いのシワを数えられるようにもなって来ました。
調子のいい人悪い人、元気のある人ない人、思い通りにいく人行かない人、文句のある人ない人、何が何だかわからない人確信がある人、それでも生きていくのです。

僕は今日、ハイウエーでモンスターに道を塞がれて難儀しています。攻略の仕方が見つからず何度もも試行錯誤を繰り返し、リセットボタンを押しています。何度か続けていくとそれでも前にジリジリと進んでいく道が見つかって来ます。あと15回くらい全滅すればここはクリアできるはずです。時々それをを忘れてしまい、もういいか、やーめよと思うことがままあります。そこを突破するにはもう好奇心しかありませ、欲です。これから先に何があるんだろう?
来年も再来年も次も僕らは多分続けています。

次は旭川10月19日(土)アーリータイムス
東京のバックインタウンは11月10日(日)が近々であります。
もう12月の声も聞こえて来ました。


五十嵐浩晃君の番組に10月11日に出ます。

10月からSTVラジオで金曜日(あ、今これから1回目が始まります)、19時から22時までの生で、20時頃話して来ます。3時間の生番組、すごいね五十嵐。

ボソボソ喋ってもいいということで安心しています。なんでも今は張らないで抑え気味に話したり歌ったりするのがトレンドだと言ってました。それ本当か?ちょっと遅いよなあ。

道庁赤レンガ庁舎”前庭に鹿登場のニュース今やっていて、鹿や熊が本気で山から引っ越しして街中で暮らそうと考えているようです。


2024年7月2日火曜日

9月14日のコンサートは9月8日、ふきのとうホールとなっています。御免なさい。




 毎年決まった日にちでやっていかなければいけないのに、今年の9月のセプテンバーヴァレンタインコンサートは9月14日じゃなく、9月8日(日)ふきのとうとなりました。

予定を立てていた方がいらっしゃったと思いますが、ご迷惑おかけしますこと申し訳なく思っています。

先月からアレンジの準備や進行等の模索に入りました。去年のコンサートに引き続き長年のチームワークで向かって行きたいと思っています。どうかよろしくお願いします。

コッキーコンサート、さよなら道新ホールコンサート、など昔からの仲間や古い音楽家同士と5月6月は演奏することが多く、時の経過や自分たちの歩いてきた道を再確認する機会に恵まれめぐまれたのですが、一言で40年50年といえどその現在進行の様はそれぞれの歌と表情にきちんと刻まれていました。お互いを尊敬し合える感覚というのも直に伝えられる年齢になり、その年齢というのはそこにたどり着かないとそれを素直に表すことができないものなんだなあということも確認できました。僕らは皆、新しいゾーンに入っています。それは解釈次第で可変的でさえあるということも身にしみます。

僕ら自身が古くなって行くのは察していますが、最近気づいたことがあって、その先がまだあって、古いことにコンプレックスを人はともすると持ってしまうんだけど、さらにその先に行くと新しい扉がこっそりと見つかるということ、というか目に触れにくいんだけど確かに意識しないと見えない扉がある。それは新旧というものとは関係を持たないそれこそ一種のゾーンがある。今僕は、歌を書いている。それは探していた、難問だった歌のテーマということにも関係してくるんだけど、少し不思議な世界だ。



H美ちゃんと久しぶりに会った。Sちゃん会社起こして50周年、Oさん写真家歴50年の記念パーティー(パーティあまり得意じゃなく居づらくて大抵はパスするんだけど、なんたって明日をもしれぬ古い友達仲間なので是非にでも参加)で年齢に嵩の入った人は座っていいということだったのでジュース持ってくつろいで居たらS美ちゃんと遭遇。滅多にないから記念写真撮ろうということで、写真撮ってる最中も話が止まらず、幸い本人の顔も写っていないし、お互い写真そっちのけで話してる姿が旧友同士みたいですごくいい写真です。と勝手に思って載せてしまいました。僕がまだ大学生で彼女も近所の大学生、たまたまの知り合いがこんなに長く付き合いになるなんて当時夢にも思わなくて、この空気感はそうそうでないなあ。僕はこの時左手にオレンジジュースを持っているんだけど、杉田さんとも写真撮ろうとして何かに気を取られて杉田さんのスカートにこのオレンジジュースかけてしまうことになる。(杉田さんの許可は取ってないから写真載せられないんだけど。)

あっちこちで40年から50年というサイズの周年イベントが行われている昨今。俺ら本当にここまで生きて来て元気に酒飲んで、語る夢を残しているのが偉いなあ。頑張れー!!!

今週の末7月7日、旭川コジャックでライブがあります。

去年に引き続きロケットと一緒に周年を言祝ぎたいと思います。武田くんと横ちゃんには言い尽くせないほどの友情をもらっていて、僕はなんでもいうことを聞くという関係です。

コロナをしのぎきり、さらに力強く進む気配のある武田くん。そして旭川フォークジャンボリー、横ちゃん、時々僕のへビーローテーションになる横ちゃんのCD,音楽の肝を教えてもらってる人たちです。

告知前から売り切ってくれました。ロケット共々頑張って来ます。