動物管理センターのケージの中で62番という背番号つけて、ふんぞり返って僕が指名するのを確信していた姿が一番記憶のなかに残っている。
ほっぺたが可愛くなく、僕みたいにこけていて、目にやたら力が有り余っていた。
17年になんなんとする共同生活は穏やかなもので、気性も静かで猫のくせに人に気を使い、無茶な要求や乱暴な振る舞いもなく、時々何か気に触ると通りすがりに腕に噛み付く。
大概は寝ているか、ソファーによじ登って来て人の胸の上で収まりかえるが日常。
人間も日々暮らすとものが増える、松も長い時間生きていくと同じように自分のものが増える。
そしてしばらく、飼い主はその暮らしの痕跡をあっちこちで目にすることになる。
すぽ太郎の時もそうだったけど、いなくなると部屋の温度が下がるということをはっきりと知覚する
猫は毎日家にいて、その間寝ている時も起きている時も息を吐き息を吸う。
僕らは気がつかない、その生きている息が部屋の温度や空気を変え、上げていることに。外から家に帰ってくると感じたことのない空気が部屋を変えている。
松は物持ちだった、爪とぎ4個、しまむらホイホイ(島村で買った中が空洞になっている布製綿入れ)3個、キャットタワー、外が見られる窓ガラスに貼り付ける半ベッド、トイレ、給水器、水の皿2個、ごはん茶碗2個、毛梳きブラシ3個、ドライフード2袋、チャオチュール等々、まだたくさんある。
今回は最後の最後まで見届けた。心臓が止まる音も手のひらで感じた。
本当に偉かった。猫のくせに。
よく見ろよ!と松に言われた。こうやって死ぬんだお前も、いいか!
1月11日、木曜日。
ぼくが尿路菅結石で退院した二日後に逝ってしまった。
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