2023年2月28日火曜日

3月14日、札幌。4月10日、東京。4月22日、小樽。その間はずっと録音。と猫可愛がり。


 取り急ぎ決定したことをお知らせします。

 4月22日、小樽、旧「一匹長屋」こと現在「ありがとう」でライブをやることに決定しました。下村さんがいなくなって、何かしら踏みとどまってた感のあった場所ですが、一度詣の気持ちもありつつの決心でした。昔と同じ扇柳トール、深川忠義のセットでやりますので、7年のみんなの時間の経過を確認とあの花園界隈を訪ねてみようと思う方々で楽しみたいと思います。ぜひ3月14日の札幌共々よろしくお願いします。もうずいぶん経ちました。

さっき、小樽の岡西さんから「やるんですか?仕事のシフトの関係上是非早めに教えてください。」というメールをもらったので、急ぎここに書き上げた次第です。

と言いながら、3月のベーカーとのリハーサルも佳境に入りつつあります。ピアノの井上大介以外はみんな同学年。体調もそれぞれ絶不調。ここまでくるとただ人生を深く考えるというより、自分たちにあてがわれたこの生活環境、肉体環境、数々の後退感、それら共々引き受け、ガッツある空中浮揚を行う以外道はなし。と行った感じでとてもブルージーな僕ら。

今回の3月14日の春のコンサートは僕らがこれからどうやって音楽を羽交い締めしていくかがわかるとても今日に深いイベントになっています。

去年の8月だったか、9月だったか目黒さんと「さて、来年の春、どうしょうか?前回はバンド、大人数で舞台に上げられるだけあげて賑やかにやったけど、来年はさて、何か考えある?」と聞いたら目黒さんが「久しぶりにベーカーと、どうですか?みんな歳だし。」「なんだよ、それ、みんな歳って、それってみて面白い?」「面白いかどうかはさておき、70超えたおっさんバンド、それも現役バリバリの匂い漂うバンドなんてそう見れないから、いいと思いますけど。」そうか、そうか、目黒さん責任取るんだったら僕にはなんの異論もない。その瞬間に懐かしい匂いがしてきた。下手したらみんなもう50年以上音楽やってきた人たち。澤内あきらの元に結集してきたバンド。この街でバンド一筋50年のおっさん達。これ以上の意味はいらんべ。んなこんなで僕らはただいま鋭意リハーサル中。気合だけは入ってる。ような気がする。いかんせん反応がよくわからん。ただ、のりさん(鈴木のりさん)はやむなく出られない。



2月3日のコッキーコンサート、ここもたくさんの年季入った人ばかりが集まったコンサートだった。僕がヤマハにいた時よりも圧倒的にスムーズに話ができるようになり、プロに育った人のきちんとした仕事っぷりを舞台の袖で見させてもらった。70年第80年代ではわからなかった自分たちのいた場所、それが今ははっきりと意識できたコンサートだった。聞いてる人が自分が一番気に入ってた時代に戻る手助けができるなら、それは他の人にはできないことで、自分たちがそのナビッゲートできるなら何も抵抗する理屈はないのだろうね。

またいつか、と行って別れの挨拶が交わせるのはまだ先があるからできることで、それだけでも僕らは幸せなんだろう。というようなことが言えるようになったのにもこれだけ時間がかかった。はあー。


今やってるのがこれで、一昨年から奥寺くんのスタジオで始めた録音の一環。
1枚目はBOOKENS2というラジオ番組で流す弾き語りをとって強引に CDにまでした。
これが通し番号00番。
これからやっていこうと思っているのが01、02、03、と続くもの。それも相当まとまったもの、音楽と何かの合体、その他諸々の今まで面倒で誰も手を出さなかったもの。出来上がって見てようやく説明ができると行ったものになること。
最初に登場してもらっているのがロケット姉妹。ロケットとは去年結構ライブを一緒にやって、できたら何かまとまったものを作ってみようかという空手形は去年のうちに出しておいて、今年になって「さあ、スタートだ!」でいきなり録音が始まった。今3曲。
考えられることは全部この進行の中に取り込んでいこうと思っているので、頭の中はまだアイディアで煮立っている。それとできるだけたくさんの人に登場してもらいたいと思っているので、色々声をかけたいと思っています。写真のおじさんは扇柳トールです。ギターを弾いてる最中で、写真に取られそうになってるので内心焦ってるところです。

2023年1月30日月曜日

寒いぜ札幌!でもこれはこれでいい!!


 「女と男のいる舗道」1963年、中学1年のときの映画で、ガキの観る映画ではなく、ハードルの高めに設定されたものだった、と思う。フランス映画嫌いはこのころのイメージ拠るところが大きい。大人になってもその感覚は抜けず、明らかにトラウマになっている。

何かに傷つけられたり、ひどい目にあったわけではないが黒沢の映画が嫌いというのに多分よく似てる。今でも加藤に評価されているんじゃないかといういちゃもんみたいな評価が自分の中に頑としてあり、そこから一歩も前に進めない。

それでもようやくこの年になり見ようという気になった。

でもやっぱりピンとこないし、映画を見るという高揚感が全くなく、何かしら映画から溢れ出る優越感や人種差別みたいなものが、これはこっちのいわれのない言いがかりだかR弁解の余地はないが、好きになれない、”お前嫌いだ”という頭からの一言がこぼれ出る。

途中「人と人が話しをする」ということを主人公の娼婦と老人が話す場面があった。

その場面が素敵なのだ、そう言いながらも。


♀ 人は物言わずに生きるべきだ。話しても無意味だわ。

♂ 本当にそうかね。人は離さないで生きられるだろうか?そうできたらいいのに。言葉は愛同じだ。それなしには生きられない。

♀ なぜ?言葉は意味を伝えるものなのに。人間を裏切るから?

♂ 人間も言葉を裏切る。書くようには話せないから。だがプラトンの言葉も私たちは理解できる。それだけでも素晴らしいことだ。2500年前にギリシャ語で書かれたのに。誰もその時代の言葉が正確には知らない。でも何かが通じ合う。表現は大事なことだ。必要なのだ。

♀ なぜ表現するの?理解し合うため?

♂ そう、考えるため、考えるために話をする。それしかない、言葉で考えるを伝えるのが人間だ。

♀ むずかしいことなのね。人生はもっと簡単なはずよ。

♂ 人生を諦めた方が上手く話せるのだ。人生の代償

♀ 命がけなのね

♂ 話すことはもう一つの人生だ。別の生き方だ。話すことはーー離さずにいる人生の死を意味する。上手く説明できたかな?話すためには一種の苦行が必要なんだ。


人生を利害なしに切ること、でも毎日の生活にはむりよ。だから人間は揺れる、言葉と沈黙の間を。

♀ 考えることと話すことは同じ?

♂ そう言葉は魂だと。

僕の家のテレビは白黒映画を写してるはずなのにこんなパープルに映る。去年の秋口からこじれてきて基盤修理でなんとかしてきたけど、さすがにこれはもう自分の視覚と脳みそをごまかすのに限界がきた。買い換えたらつまんない普通のテレビになってしまった。結構アートでサイケデリックだったんだけどなあ。

この映画、最後まではまだ見終わっていないで栞挟んで休んでる。主題曲が当時好きだったんんで最後を見届けるだろうなあ。場面場面が今見てもおしゃれで雑誌のグラビアみたい、それでも入れないのはこっちにも責任が十分ある。なんかすっきりしないなあ。

若者の中に無理やり突進している齟齬っていうやつかもしかしたら?


新年の挨拶も今年はしないままに2月を迎えんとしている。

先週、境長生くんとエルマンゴ。非常に感じのいいライブを行ってきました。今年も元気に行けそうです。

開けて2月3日、東京コッキーポップコンサートに一平さんと乗り込んでいきます。東京近郊の皆さん是非おいでください。僕らまだ結構すごいから。




           





2022年12月31日土曜日

みんなを連れて、来年に行きます。Thank you very much!


 野沢さんとのきっかけは南さんがアーリーに連れて入ってくれて付き合いが始まった。

人と出会ったきっかけや瞬間を大抵覚えていない。そしてその後の付き合っていく過程などはさらに想像もつかない。

62歳で人生を全うしたことについては、病気と闘ってる時間が長すぎて僕の年齢にまで到達することはまずないだろうと思っていたし、野沢さん自身も多分ある程度の覚悟はしていただろう。人生を長生きすることに全霊を賭ける人でもないように見えた。ただこればかりはあれだけ一生懸命病と戦った人だからまだまだ生き続けようと思ったのかもしれないし、そこのところについては酒を飲み続け、タバコを離さなかったところを見てもよくわからない。

ライブハウスの経営者としては相当癖の強い、相当タフな、一見すると武闘派のライブハウスプロデューサーとしてずっと記憶に残る人になった。これから先こういう店はそう多くは出てこない。昭和のある時期から石化が始まり少しずつ店に時間が降り積もり始め、この店にしかない空気をまとい、演者と客の連帯感、信頼感が強く醸し出されていった。だからと言って音楽を戦う場だとは微塵も考えていない、本当に平和的に穏やかに、優しくそこに集まった人と共犯幻想を持つことを主義としていた。と書くと野澤さんは「何言ってんですか?僕は単なる好きな音楽の蒐集家だけですから。」とも言わないけどそれに近いことは言っただろう。

1年に2回、旭川でやるようになったのは打ち上げの何かの会話がきっかけで、どうせだったら次のライブのにってを決めましょうかということになり、野澤さんが予定表を持ってきて大体の日にちをリストアップして本決まりの日を決める。これを書いていると打ち上げの案時間が浮かび上がってきてしみじみ悲しい。人は必ずいつか空に昇っていくんだけど、どうせならこんな記憶が残るといいなあ。断片的にしか記憶は起き上がってこないけど、アーリータイムズという店が言葉にのぼるときは野澤尚司とセットになる。野澤さんが最後にセットしたのが12月3日の僕のライブだったというのをタカちゃんと話してた時に、なんか光栄だったなあと思った。僕はその日、もう野澤さんには会えないだろうなと思いながら歌ってた。

野沢さんはとにかくライブが終わった後の弛緩する時間が好きだった。自分の文の酒を持ってきて静かに音楽の話あれやこれや話す。あの時の顔が好きだったよ、穏やかでさ。

やれやれようやく酒が飲めると。がんばったねえ、野澤さん。


今年の文はここで終わりです。

来年は必ずくるというところまで来ました。断定してもいい、後9時間、2023年だ。

超えられなかった人もたくさんいただろうけど、こうやって新年を迎える僕ら。生きていくということはこういうことなんなんだな。

皆さんのおかげで僕は生かされています。くれぐれも気合を見せてください。

ありがとうございました!よいお年を!!!


2022年11月3日木曜日

何かが道をやってくる


10月26日、発症日。

10月28日、発熱外来。陽性認定。

37、1度から38、5度を3日間やり過ごし、その後は熱も通常に戻り、咳もなく、痰もなし、味覚障害も特になく、食欲も普段と変わらず、喉の痛みも浮かび上がることなく、ただ部屋に閉じこもったままひたすら寝ていただけ。めったにこんなに横になることないから何年かぶりに寝たきりの人になってみた。1日一回保健所から(二日に渡って)健康観察の電話が来る。なんか知らんけどやたら明るい人で、どうも完全に爺さんだと思って対応しているみたいで一瞬むかっときたが、どう考えても向こうが正しい。これから先72歳の人は平気で爺さんカテゴリーに入れられ、対応も年齢の入った人くくりで子供と中学生くらいの感じで話しかけられるのだろう。うん、面倒くせえ。

それにしても新薬というのが出ていてウィルスを駆逐するものだそうだ。カプセルを朝夕4錠ずつ5日間、完全に飲みきってくださいの注意の元配布される。一種の老人アドバンテージと考えていいのか?貰っておきながらだけど病院の領収書内訳をみると相当高い。自分が別次元でコロナにかかったとしてもこれは払えないというか払わないだろうという金額が記載されている。大丈夫か?日本。こんなに年寄りを優遇して。はっきりいうけど老人はそこまでされなくてもいいと思う。自分がその中にいるからいうんだけど、誰もかれもが社会の一員だと考えればこれはこれで問題を含んでいるような気がする。

これを誰か保健所関係の人が読んで、今度あいつがかかったらもう何もやらないと決められるのも困るからあまり積極的に文句は垂れないけど、これからますます国に世話になる人が増えていく老人問題なんだけど、究極の始末の付け方から穏やかな老後人生について止まらずに解決策は模索続けていかなければいけないんだろうなあ。コロナにかかって世話になっておきながら感謝知らずの自分を反省しつつも、あまりにも何もしないでただ布団の上でニュートラルになってる自分を戒めています。医療関係の皆様お世話になりました。これから先何かお役に立つことができる機会がありましたら積極的に参加したいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

読んでいただいた通り、無事に抜けられそうです。いつかは必ずかかるだろうと覚悟してきましたが、いざその時になって「陽性です」と言われると遠くで「ガーーンーーー」というのは聞こえるし、さてこじれたらどうしようという不安もありました。日に日にコロナの対策治療は最初の頃から比べると雲泥の差だと思います。たくさんの関係者の方々のおかげでここまできたものだと本当に思います。

皆さんもこれからもその危険が減っているわけではないので、くれぐれも油断なさらずお元気でお過ごしください。

報告方々。

写真は松に「大丈夫か?お前?」と言われている図です。

2022年10月27日木曜日

着々と山が低くなる 9月14日 part2



丸山は赤く色づく木の葉がないので、全体的には炊き込みご飯みたいな色合いになってしまい深く感心することはないけど、それでも一応秋最後の秋らしく醤油色になっていて、それはそれで趣はあるかな。これが枯葉になって落ちきる前あたりに雪がうっすらとつもり、いよいよ本気の冬が始まる。前回のPart2を書こうと思ったらもう11月が目の前に迫っていて一瞬もういいかとも感じた。

先週まで北海道を廻るツアーに出ていて浮かれ騒いでいた。普段の単位が一人とか二人とかなので大勢であっちの街、こっちの街を廻るとつい浮かれる。そういえば昔やっていたツアーというのはこんな感じだったというのをしみじみ思い出し、ついでに俺たちやっぱり若かったんだなあというのもついてくる。それでも函館も室蘭も苫小牧も。小樽も帯広も街は変われどそこにずっとあってたどり着くと同じ街があった。市民会館なんていうのはどこも年季が入ってただ古くなっただけで何も変わっていない。懐かしさだけ。くる人が変わっただけ。みんなも古くなっただけ。それがいいんだ。

その旅が終わってようやく時間ができて改めて9月14日の映像を見る。

なんかすごいことになっていた。ひと月以上が経ち、まだやった実感はあるんだけど、ディスクに残っている僕らのライブは今のこの時間に見た方がよりリアリティがあり、すごいことになっていた。

みんなのパフォーマンスもいいんだけど、弦のアレンジとカルテット4人のプレーが素晴らしい。チームのフォーメーションがどんなハプニングがあってもビクともしない力強いものになっていて、せめて守ってせめて守っての波のような連携が素晴らしい。ほんとバンドみたい。

玉川さんが登場するあたりからライブの波は高くなっていき、tea for two, my funny Valentineのストリングスは素晴らしく、September Valentineで僕の歌もすごいことになっている。完全に弦と玉川君に煽られている。そこから星影のワルツに至る道はもう流行歌の王道をまっしぐら。相当楽しそうに歌ってる。

続いてrocketのユキちゃん登場でまた風景が変わり、今度はアコーディオンと弦の共演。キャラクターの強い楽器でストリングスがどこに行こうが埋もれることなく、波間に浮かぶブイみたいにプカプカ楽器の中を浮かび時々ピカピカ光る。

今回のコンサートでハードルを上げてしまった感があるけど、また考えられることを実現させることに専念するだけかも。また地味な作業が待っているけどそれもまた良し!とお、思わないと。


リズム隊の土田君と大西君。大西君は本当にセンシティブなベースラインで前にせり出してくる音じゃなく、ふと見ると大西君のベースが聞こえてきて、それも正確な音を置いてきてくれるベーシストらしいベーシスト。本当に優しい人というのが後ろから聞こえてくる人だった。土田君は「コヨーテとUFO」からの付き合いで、パーカッショニストってリズムをコントロールするので音の落とし場所がそれぞれ違っていて、それぞれがそこの哲学というか主張が千差別れるミュージシャンなんだろうと思う。そこが融合するのかしないのかというのをいつも考えさせてくれる。

それにしても随分前の話というのも約束してなければ書かないね。お粗末さまでした。

昨日から咳が少し出て、喉がそこはかとなく痛くて、熱はないんだけど元気なんだ。

たぶん元気なんだな、ごほん、

スケーッジュールのところにまだ書ききれてないんだけど、12月3日旭川、アーリータイムズのライブがあります。いつもと同じ18時30分開場、19時00分開演。料金4、000円(1drink別)お問い合わせ先 0166−22−2461(アーリータイムズ)




 

2022年9月22日木曜日

2022年 秋 終わったよ。part 1


 二日間動けなかった。

2022年、と書き込むことにだんだん意味ができて来て、次来る年が2023年。

たくさんの人に今年のライブはすごかった、って言われ謙遜しようかどうしようかと思ったのだが、今年は特に出演した一人一人の演奏、歌唱がすごすぎて僕がへり下る筋合いじゃないと思えたのでありがたくその言葉を受け止めさせていただきました。

ライブでも話したんだけど、僕らには(いづみちゃん、杉田さん、聖子ちゃん、岩田さん、中川さん、トール、それと敬三さん、松、目黒さん、門馬、佐々木ちゃん、それとハッシー、須田さん)10年以上という時間と経験値の元にチームができていた、というのが一番大きな要因なんだろうというの身にしみて感じられた。なんの気負いもなく、ただ淡々と穏やかにコンサートを作って来た。そうはない関係なんだと思う。



終わって二日間動けなかった。

いづみちゃんが書いてたけど、「私はアレンジするけど細かいニュアンスについては譜面にほぼ書いていないんだけど、カルテットクオーク(杉田さん、聖子ちゃん、岩田さん、中川さん)のメンバーがそれをみんなで話し合って肉付けしてくれるのです。こんなクラシックのメンバーはまずいないと思う。」お姉さんたちはおやつを食べながら力強く譜面に書いてある音符をさらに力強く色をつけてくれる。特に今年のリハーサルの初日はすごかった。弦の音が出た瞬間から素晴らしいアンサンブルだった。こういうのを感じられる瞬間が一番楽しく嬉しい。「my funny valentine」と「tea for two」「便りに変えて」「恋抱きしめて」のグルーブ感最高だった。もう一回今すぐにでもやりたいなあ。

終わって二日間動けなかった。
誕生日迎えて一つ年取って、その年齢を迎えて一番最初の舞台が14日のvalentine concert。
一年ごとに体感するものが顕著に変わって行くのか、それともほんの少しの違いとして体感するのかを実感できる日になっていく。
今回は少し予想ついていたので、そんなにえっ?というのはなかった。

玉川健一郎君をゲストにしようというのはいづみちゃんの提案だった。聞くとジャズの人で間口が広くなんでもいけて楽しい人というのが推薦理由であり、その時はまだ何も決まっていなく、さて?どうやってジャズの人と接点持とう?というのが懸案事項で下手すると治りきるポイントが見えず、浮いたらどうしようというのがその頃の不安材料だった。
玉川君は中学生の頃僕の歌をラジオで聞いてた、という世代で基本接点になる部分はあまりなく、まずは好きな歌を確認しようということで喫茶店にでて来てもらって、お互いの好きな歌を披瀝し合うことから始めた。
結果は14日の本編に見事結実した。歌だけで生きている人。ギターも弾かない、曲も作らない、ただひたすら歌だけに対峙する人。ヴォーカリスト。その本質を客は多分そんなに意識も気づいてもいないだろうけど、本来は僕が何人束になってかかっていても敵うはずのなものをがっつりと持っている。本番ではの片鱗を見せてくれたけどどこまでも僕に合わせて寄り添ってくれた。僕が今の年齢じゃなかったら絶対側によらない。
ソロヴォーカリストは鬼だね。

写真はFIXE、須田守政氏によるものです。

パート1 終わり。


2022年8月24日水曜日

7月まで来た、東京 バック イン タウン。Part3


 今日もエンジェルズはぐずぐずと負けて行く。

沼に落ちて行くみたいにズブズブ沈んで行く。素人が見ていても策もなく、気力もなく思想もない野球を続けて行く。中継の解説者も悪口を言いたいのを我慢しているのがわかるような放送を続けて行く。気の毒としか言いようがない。大谷くんも昨日から胃腸炎になってモチベーションも潰れてしまいそうになってる。球団すら売却されそう、はは、野球どころじゃないよなあ。

「白痴」は人の出入りまとまらず、最後まで到達しなかった。20歳の頃の自分は体力も横溢していて難なく読みきっていたと思うと偉いなあとしか言えない。文学という言葉を聞かなくなって久しいので、文学っぽいものってなんだろうと思って大学時代に読みきったドストエフスキーを読み返そうと思ったのが3月頃か。白旗あげたのが7月。往生際が悪ことこの上ない。で、次に何やってるかと思えば、「罪と罰」。ならばもう一冊。と奮い立つ。さすがこれはポップだった。今の所厄介なとこはなく、母さんの息子への手紙、娘の婚約者にあわよくば助けてもらおうというところまで来た。それにしても、学生の頃このドストエフスキー全集というのを完読した。前にも書いたけど感動してむせび泣いたはずなのに、なんだったんだろう。「罪と罰」の次は「嵐が丘」に行く。ヒースクリフに会いたいし。しばらくは世界文学祭を開催する。


7月17日、東京新宿バック イン タウン

東京で暮らしている木谷くんに前回のバック イン タウンが終わってから次の東京ベース持って来て弾いて、と頼んでおいた。流石の東京、7月は痩せても枯れても東京、どこをどう歩いても暑い東京。その東京で何年も暮らしベース弾いて暮らして来た男はもはや札幌の男が持ち得ないひとかどの東京の人になっていたと感じさせるベースプレーヤーでした。僕の呼吸を見ているのではないのかと思えるくらい的確なタイミングで音符を落としてくれる。普段会ってもそんなに深い話してないけど北海道のアバウトさは無くなっていました。あの日の木谷くんのプレィを見られなかった人にもう一度また機会を作れるように頑張ります。10月頃に札幌に行くと言ってるのでとうとうにライブをやってもいいかなと返事はしました。

7月18日、東京バック イン タウン、2日目

ゲストの細坪くんとはもう5年くらい会っていない。打ち合わせはメールで大体済ませていて、細坪くんは細やかなサジェッションをさらにもらいました。細坪君はさらに東京暮らしが長く打ち合わせの進め方が東京スタイルでした。不思議なことなんだけど、打ち合わせさえもその土地柄というものがあるというのを度々感じていて、ある意味東京スタイルは非常にわかりやすく合理的に話が進んで行き、僕は好きです。

久保田君をバックに従えての今回のゲスト出演でしたが、人の舞台のゲストということもあり少しやりずらかったかもしれないけど、そこはあと少しで50年になんなんとする海千山千の強者、安定感は抜群です。歌うたい細坪基佳健在なりと言ったところです。一つだけ謝らなければならないことがあり、それは自分に起こっても結構きついことだったと思えるのだけど。

一緒にやった「September Valentine」なのだが、打ち合わせの段階でKeyをGに決定し、イントロからAメロ までは久保田君のギター1本で出たいのでそこのギターアレンジは久保田君にお願いできるかと言ったところ快諾を得、リハーサルも順調に済み、本番を迎える。さて細坪君を迎え「September Valentine」、僕はカポタストを2フレットに設置する。久保田君はぎょっとしてと思う。KeyがGでカポタストを2にしてFフォームで弾く人はあまりいないので、多分「あっ、Aでスタートするつもりでいる。げっ、どうしよう。あっ、行く気満々。もう知らねーっと。いけ^ーA」多分こんな心状態だったと思われる。さらに災難の人がもう一人。細坪君。「げっ!Key Aじゃねえか。まずい、トップのラの音は喉が裂ける〜ー、喉から血が出るー。オラ知らねー。」、おら知らねーという心の声を聞き取れるはずもなく、私は揚々とAKeyで出帆した。終わってから細坪君が「幸男さん、知っててやったっしょ?ウエェー?えっ?」と言われたけどおいらそんなに人が悪くないような気がする。自信ないけど。それでも細坪君久保田君両名、さすがとしか言いようのないドリフト走行、後輪回しながらの見事なターン。素晴らしかった。ハプニングもものともしない、経験値の披瀝。本当にありがとう、また一緒にやりたい。それこそこれからあと何度僕らは同じステージで歌えるかわからないけど。

細坪君、ありがとう。また会いましょう。

これで6月7月のライブの大まかな報告はおしまいです。たくさんの人に会い、仲間とのセッションも無事とは言えないながらも楽しく終了しました。コロナの馬鹿野郎は改心する気配がなく、僕らは大きく張ることはないけど幾分かの賭けに出ながらの覚悟のもと出演して行きます。はや、8月23日、もう9月がそばで騒ぎ出しました。