2014年12月31日水曜日
2014年、21時49分
あと、3時間で2014年が終わりです。
記憶に残る年でした。
いまさら、人との出会いに驚くこともないだろうとたかをくくっていたけど、まだ思ったよりも人の世の中は怪奇で不思議で深さや曲折など諸々が押し寄せてきます。
簡単な言葉で言うと、ありがとうございました、でした。
それでも、来年からはもう感謝はやめようかなと思っています。
感謝をやめるというのは誤解をまねくので、それを言葉にするのはということなのかですね。
どういっても
言葉は言葉以上の気持ちを表すことは出来ないなあ。
詩を書いてるくせに、言葉を信じていないのか?と聞かれそうだけど、多分そうなのかもしれない。
自分が使ってる言葉以上のものが伝わっているということが時々あり、時には直角に曲がってそうか、そういう意味にも取れるかもしれないなあ、と感心する。
今年は身内に不幸があったので新年の挨拶はしません。
たくさんの心と応援で2014年の大晦日までやってきました。
もうすぐ2015年です。
年齢を重ねるに連れて面白いことと、面白くないの区別がよりはっきりとしてきました。頭の中でぼんやりして行く部分と、全く逆にますます鋭利になって行く部分が2分化していきます。それが今の醍醐味なのかもね。
紅白歌合戦が相変わらずだらっと流れている。
何年もこのスタイルが続いている。
このだらっとした時間感覚が12月31日。
みんなに挨拶しなければと思ってパソコンの前に座ってキーボードを叩いている。
紅白ってこんなにぬるい番組だったっけ?
批判している訳じゃないです。
ふと「北の国から」を観たくなった。
NHKが紅白をやめる訳はないし、やめる日は日本がなにがしかのヤバいことになった時のことで、僕等が生きている間は延々とこの温度で大晦日が流れていくね。
21:43、少し温度が上がってきた。
松は隙をみては寝ようとする。
そうはいかない。今寝られると朝方寒いと言ってワアワア鳴き始めるので、いまは頑張って起きていてもらわないといけないので、リンゴハウスに入るとひっぱりだす。
大人のすることじゃないけど、しょうがない。こっちだって毎朝、早くから起こされたくない。
ということで2014年の挨拶でした。
素晴らしい一年が皆さんに訪れることを願っています。
また来年、元気にお会いしましょう。
今年は、ありがとうございました。
2014年12月16日火曜日
もう、12月。
ひと月以上の不在でした。
あい、すんません。
今日は一日中、超爆弾低気圧という実にも恐ろしい名前のついた天候でさっきまで雷がなっていた。
季節は完全な冬で、久しぶりに雪かき運動。
湿っぽく重たい雪で放り投げるのにひと苦労なんだけど、しばらく運動も何もしていなくてここ幸いと3回の雪かき。
楽しいと思ったのははじめて。
今レコーディングのチームを作っていて、ずっと曲を真面目に書いている。
とりあえず2曲出来た。
構成と詩の3分の2、ついでにおおまかなアレンジもやってしまって、これも雪かき同様楽しいなあ、気分でずっとハッピーな気持ちでいまます。
僕のレコーディングじゃありません。
いろいろ、勉強という年じゃないから勉強じゃないけど、新しいことって充分たのしめるねえ。
僕のレコーディング作業じゃないから何ら詳細を述べる立場にはないので、来年まで告知はしません。
中心気圧は948ヘクトパスカル、台風並みの低気圧、1メートル先の視界すら危ないとニュースで言ってるので書き写してみました。外に出ちゃだめだそうです。
暴風雨はいいんだけど、暴風雪というのは本当に堪忍して欲しい。
このところ、松は部屋のストーブの前で顔を炙りっぱなし、話し込む姿勢で一歩も引く気配がありません、いくら顔が焼けるぞと言っても聞く耳持たず。
適当に暖まったら去って行くので一応適度ということは知ってるみたいです。
動物病院の先生曰く、「猫は風邪を引きやすいんです。」
そういわれても今まで、風邪引いたらしい姿を見たことがないんだけど、人間と反応が違うのか。
選挙も終わり史上最低の投票率とか言ってます。
投票率が上がったら選挙の趨勢が変わったのに、 投票に行かない人が多いから政治に灸を据えられなかったといってるけど、言ってる意味がよくわからん。多かろうが少なかろうが選挙は選挙でそんな予定が調和する訳がない、馬鹿じゃねえの?がいつもの感想かなあ。
藻岩山の方で雷のすごい音がする。
年末なので盛り上がってみました、わし、雷だけど、みたいな感じです。
渡辺淳一文学館の「The Moon」も無事に終わりました。
って何時の話してるんだよ?と思ってるでしょうがまあ、一応報告を。
奥寺氏にもニューヨーク編でお世話になったので、機会があったらまた何か面白そうな企画をやりたいと思います、その時はまた是非、宜しくお願いします。
うーん、もう12月も半分か?
元気に生きてるもんだね人は。中島みゆきの「時代」が年賀状のコマーシャルで流れている。もう40年以上も前の歌か?すごいね。本当にまるで昨日みたいだ。
Jから東京,バックインタウンに行くからというメールをもらった。
明日メール打ち返すから。あと10日だぜぃ。
餅でも焼こうかな。
2014年10月23日木曜日
笑ってみよう
深川のメルティングポット、雄一君の所で「友を訪ねて本宮、旭川、深川」のシリーズも終わりました。
皆それぞれに濃く、僕等結構素晴らしい付き合いをしているんだね?と思ったりした旅でした。
なんて楽しい旅だったんだろう。
写真もいつもより沢山撮ったりしたんだけど、見てみると何か淡々としていて、「そうじゃないんだよなあ?おっさんたちのエネルギーが迸(ほとばし)っていない、わしらもっともっと滾(たぎ)ってるぜ。」だな?
和歌山ではライブの合間に激烈な観光に走り回り、和歌山と奈良のディープサウスに突入し、丸石輝正のホームグラウンドでの地肩を見せてもらい、台風のかすり傷を受け、連綿と受け継がれてきた底なしの歴史を淵に腰掛けのんびりと見せてもらう幸せの合わせ技を堪能しきりました。これもひとえに本宮に住んでいるいずみさんのお陰でした。
熊野古道はそう簡単に全体を見渡せる所ではないです。
もしかしたら観光地ではないのかもしれないなあ。
もう少し中に入らないといかんのかもしれない。非常に興味深い所です。
旭川の横ちゃんの所、フォークジャンボリー。
もしかしたらライブハウスではないのかもしれないなあ。
そう簡単に全体を見渡せる場所なんだけど、すごく小さいから、奥はもっと深い。
なんてことはないか?何年経っても変わらないミステリーゾーン。
人が歌と正対せざるをえないところで、やりにくいと思う人はいると思うけど思いがけない所に自分もお客さんもワープ出来る所です。
今日も横ちゃんは律儀に歌を歌ってる姿が見える。
雄一君のメルティングポットは初めてで、前から一度やりたいね?って雄一君に頼んでいた。深川の駅前にあるんだけど、探しにくいっちゃ探しにくいかも。
音楽はいくつになっても咲く花がまだ沢山あると思わせてくれる人だね、実はそんな風に思っている人はそう多くはないんだけど、その気合いが伝わってくるよ。
腕を3回まわして「イェイ!」というライブだった。
まだまだ、いける。
みなさん、つきあってくれて、ありがとう。
次は11月9日、遠軽 ホテルサンシャイン、山木君との本当に久しぶりのジョイント、
それと11月22日、札幌、渡辺淳一文学館でのコンサート The Moonの準備でむちゃくちゃ忙しいです。こんなに忙しくなるはずじゃなかったんだけど。何処で間違った?
それにしても寒い。タイヤも替えなきゃいかん。
日記もこんなにあいたら日記の体をなしていないです、かといって暇が好きかというとどうも、そうじゃないみたいなので、しばらくこんなざっくりとした状態が続くかもしれません。
すまんこってす。
おわり
2014年10月4日土曜日
友を訪ねて本宮、旭川、深川
田舎に帰ってきた。
帰って来た?
変な言葉ダネ。
親の墓参り。
まさか、こうやって手を合わされるとは生前親は夢にも思っていなかっただろうけど、これが諸行無常というもので、面と向かって言わなかったことどもを平気で親に話しかけるものなのだ。
親類も時間が経つのを実感されるように皆一応に年を取っていき、自分の子供の頃知っていた人たちに帰って行くのが不思議と言えば不思議だ。
どのみち記憶などというものは最早、断片的にしか帰ってこないので、それぞれが持ち寄ってもそう多くの話がある訳もなく、ただただ、大地震があったとはいえふるさとの輪郭は大きくは変わっていないところが説明のつかない郷愁をさそう。
札幌に住んで長いけど、ふるさとかと言われればピンと来ない。
もしかしたら、この街はそんな古い郷愁といったセンチメンタルなものは最初から持っていない街なのかもしれない。田舎じゃないからなのかもしれない。
帰るたびに還ってくる懐かしさというのは何なんだろう?
そこに住んでる人は絶対味わえない気持ちなんだね。
下の写真は追分温泉といって、村から更に山に入って行った先にある旅館。
なれないと、それと土地の知識がないとなかなかここまでは辿り着かなかも知れないけど、もし、忽然とした湯治場がいいなあと思ったら行ってみて。
僕はここの休憩所で一度ライブをやる約束になっている。
September Valentine のグランドホテルライブ終了。
泣きそうになるくらい気持ちがよかった。
弦楽四重奏とピアノ、パーカッションをバックに全曲通す。
何も気負うことなくできるようになるには時間がかかるもんです、それと、この街に長いこと住んで色んな人と知り合いになり、それぞれがここまで歩いてきてくれたおかげで出来たことでもある。ふるさとではないといったけれど、この街は僕等の遊び場だった。
街はやろうと思えばおおよそ欲求はかなえてくれる。大きくなればなるほどその欲求も大きくなる。街が巨大化して行くのは僕等は本当は歓迎しなければいけないんぢゃないかと思う。色んなものが壊れるけれど、壊した分だけ新しいものが出来るという意味ではすてきなことなんだろう。街が大きくなるスピードと自分が年を取って行くスピードが思いの外上手くいったような気がする。ラッキー!
上の写真は熊野の本宮に行く道路。
来週、一週間、旅に出る。
田舎の家の裏山にに自分の家の小さな社がある。言う所の守り神で、どういういきさつかは子供の頃に記憶していたことなのでよく知らなかったのだが、先日姉が「裏の社は元々熊野から来たものなのだ。」と言うのを聞いて、そういう風に因縁というのが繋がることがあるんだ、勝手に解釈してあらためて熊野に出かける。
丸石輝正君と2カ所(串本町ヴァレ・ノワール、田辺本宮道の駅 奥熊野古道ほんぐう)、そしてソロ(紀宝町鮒田フォークス)をやる。ライブが終わったら高野山まで連れて行ってくれるという。僕はシティ派から仏教神道派み宗旨替えするかもしれない。
まあ、どっちにしても色んな因縁の整理にしばらくかかるかもしれない。
帰って来たら、深川忠義と旭川フォークジャンボリー、トールと深川メルティングポットの旅が待っている。「友を訪ねて本宮、旭川、深川」とタイトルがついている。
よし。
2014年9月7日日曜日
coyoteとUFO
毎年、石狩でやってる野外イベントRising Sunに、今年は沢山のUFOがあっちこちの写真に写ってるということでちょっと賑わっていたらしい。
噂なので真偽のほどは分からないけど、一応盛り上がる周期に入ってるのかもしれない。
先週、誕生日を迎えて64歳になった。
5廻り目と4年、大体、世の中そんなに不思議なことはおそらく、ないんじゃないかという所に落ち着いてきた。つまんないっちゃつまんないんだけど、大人としての座りはいいのかなあ?という感じ。
世の中、錯覚と妄想と想像力と願望と思い込みと夢と人を恋する気持ちと、邪な心と良心と有頂天と有象無象(うぞうむぞうと読むんだと今知った。うしょうむしょうじゃないんだ。)天気と期待と幻滅と、こうやって書くと、ずいぶん色んなものに挟まれて生きているものだ。もっと簡単に暮らしてると書こうとしたけど、やはり一筋縄では行かないか?
UFOはこの言葉の何処に含まれるんだろう?
僕はこのところUFOは見ない。
沢山見た時期があって、人にも話し、記憶にもはっきりと残っているんだけれど、今はもう、自信がない。気のせいだったか、見間違いか、見たいという願望の膨らんだ欲求のなせるわざか?
記憶に年期が入ってくると、何かをいつの間にか強引な削除か都合のいい上書きしている。
コヨーテは飛行機と鳥とUFOの区別はつかない、星と人工衛星の区別もつかない。
見上げると夜空に光が無数に走るのを毎晩見てる。
多分見たものを記憶しない。
記憶しない分痛みも感じないのかもしれない。
僕は今、何か悩みがあってこんなことを書いている訳じゃない。
まだ人を抱きしめるだけの余力はある。
この「coyoteとUFO」というタイトルは僕にとってものすごく刺激的なもので、飛ぼうと思うと滑走路が沢山あり、それぞれが違う所に飛びたてる。
去年のセプテンバーバレンタインコンサートを終えたあと、弦のカルテットがとても楽しかったのでいつか機会があったら、きちんともう一度やりたいねと話し、そして、それをやるんだったらアレンジも含めて半年は必要だよね。で、やっぱりやりたい時が実行するタイミングということになり、先週までのリハーサルになった。
今年は色んなことがあり過ぎで、ますます、その思い立ったら感が強くなり、進むなら先に。
多分そんなに滅多に遭遇できるライブじゃないと思います。
僕等が住んでる札幌じゃなければ出来ないと思う。
これから僕等がやることはこの先にリンクして行くだろうということでもあり、僕の土地はもっと広がるはずです。
僕はこの先、満艦飾のUFOのあとをフラフラと追いかけて行きます。
上の写真は真駒内公園の入り口、支笏湖、定山渓、澄川、真駒内にむかう交差点の近所から入るサイクリンロードの、藻南公園の坂を上りきり、やれやれ公園に向かう下り坂、一番気持ちのいい道の写真です。左上に桜珈琲の裏側がほんの少し見えます。
2014年8月13日水曜日
8 realismって言ってみ? じゃなく「若者たち」
「若者たち」、1966年で、高校1年か2年の頃。
暗い、貧乏臭い、いろいろ今では問題の多い、真面目なドラマで毎週見てた。
フジのBSで36話全放送するというので最初6話まで録画とって観てたんだけど、流石にそのあとが付いて行けなかった。中身がどうのというより体力的に無理だった。
その時代のドラマや映画のスピードには見ているとある程度慣れが出来てきて、そんなに気にならなくなるんだけど、いかんせんこっちが若者たちじゃないという所で簡単に挫折する。まだ放送は続いているので再びダイブしようとすれば可能なのだ。
先々週まで「前略おふくろ様」を観ていた。何のことはない昭和のドラマオンパレード。
歌と一緒だね。戻って行き方が、昔に。
不思議と懐かしいというのはほとんどなく、わしら結構真面目に行きてここまでたどり着いたんだとしみじみ思う。みんな本当によくここまで無事にたどり着いたね。えらいなあ。
で、「若者たち 2014」というのを今フジテレビでやってんだけど、これが思いの外よくなってきてる。最初はオリジナルを踏襲しすぎて、この時代にこれをもって来てもらってもちょっとなあ?感がいっぱいなんだけど、流石役者の物量作戦、で驚かされているうちにそれぞれの若者たちもキャラが立ってきて、みんなうまいし、というか、杉田さんのドラマの経験値が勇者並みで、力技で見せられてしまうといったところ。
BSで昔の「若者たち」をやると言うのを見つけて、番宣に今度の「若者たち」が付いてなかったら多分、観ていなかったと思う。若者じゃない自分が若者たちを観てしみじみと泣かされてる。久しぶりに伴宙太、星飛雄馬状態。「ほしー、俺は今、猛烈に感動しているー!クイクイ。」
世間では何もこれについてあまり論評している気配がない所をみると、そんなに観られていないということか?別に世間の評判なんかいいんだけど。以前は世間のコンセンサスというのを気にしていたんだけど、ここまで来たら世間なんかいいや。
あとで、泣いても知らないから。
「若者たち」って、僕等の時代の、ある程度のその人のセクトが分かる性格判断みたいなドラマだった。
観てる人にしか分からない書き方って不親切だし、意地悪なんだけど、面倒くさいからいいや。
時々、牛乳が飲みたくてしょうがないことがある。
今がそうで、このまま飲み続けると腹を壊しそうだ。
なんだかよくわからない衝動なんだけど、そうだね、よくわかる感覚は衝動とは言わないか?
9月14日のセプテンバーバレンタインライブまであとひと月。
上の写真がそのフライヤーです。
今回も相当力が入っています。このところずっと力が入りっぱなしで、本当はもう少し穏やかな気持ちで臨みたいんだけど、踏んだアクセルが戻らない状態です。
松の目やにが酷くなったので(小さいときに始めて動物病院に行った時、「この子はもしかしたらアレルギーを持ってるかもしれません。この目のぐちゅぐちゅと、肉球のぐにょぐにょはちょっと怪しいです。年取ってくると発症するかもしれませんけど、その時はそのときに対処しましょう。」と言われていた。)病院に行ったら結膜炎ですね、といわれちょっと血液検査しましょうか?の次が「好酸球ですね。今はひどくないですが、進むと皮膚炎のようなものを引き起こし、その治療にステロイドを使わないといけないことにもなりますが、今は大丈夫です。先ずは目薬を出すのでしばらくこの結膜炎を治しましょう」と言われ帰って来た。「目薬はなかなか注させてくれませんよ、猫ちゃんは。佐々木さん、ちょっと頑張る必要がありますけど、頑張ってみてください。」
松はスポ太郎二代目、いやがるけど無駄な抵抗はしない。僕に瞼を大きく開けられて目薬を注される。かわいそうな奴だなあ。
「魔女の世界史」海野 弘 「ロマノフ家の12の物語」中野 京子
「ヒゲのウィスキー誕生す」川又 一英 「修験道入門」田中 利典
「火星のタイム・スリップ」 フィリップ・K・ディック
2014年7月31日木曜日
7 冬列車
暑い日も構わず自転車。
モナミ公園を登って行くと喫茶店がある。
自転車用の飲料水は積んであるので普段は滅多に喫茶店に入らないんだけど、流石に30度近い日は休みたくなる。
窓の向こうには写真の様に林があり、その下には真駒内公園を流れる小さな沢が流れている。
この時間はここの店のオーナーしかいないみたいで、アイスコーヒーを頼んだあとに、タバコを吸うかどうかから話をすることになった。
似たようなタイプで取っ付きにくそうな風貌。
彼は30年生まれで、世代的に近所といえば近所で、70年の東京から話のスタート。
どういう訳か僕等の共通言語は70年。
タモリが「振り返って何が悪い、楽しかったじゃないか。」と言ってたけど、そうだね。
振り返ると何もないというよりもあった方がいいな。
瞬間的に話し相手になれる人というのもそういる訳でもなく、店を出れば僕はまた自転車に乗って真駒内公園に入って行き、オーナーはオーナーでまたテーブルを拭いて次のコーヒーを入れる。
暑い夏。
何がしかのフック。
列車って孤独な物体なんだけど、冬に走ると更に拍車がかかる。
白と黒の景色の中に真っ黒な煙を吐いてがむしゃらに雪原をかき分ける。
むかし昔をいっぱい背負って頭の中を走って行く。
ラジオのディスクジョッキーが湯気を上げてる薬缶の向こうで聞こえる。
蛍光灯の明かりが光の範囲だけを照らし、もらったポスターが壁に貼られ、時々静かな音がシンとなる隙間に汽笛が聞こえてきて、青春てあるよなあとぼんやり思った時間。
思い出してみることなんかないけど、今こうやって書いていると、すきま風は入ってくるけど、まだ心の容量は大きかった。
まだ水だしコーヒーなんかない。
D51の三重連、鉄橋を渡るのをもう一度見たいなあ。
頼まれていた歌、もうすぐ出来るよ。
詩はメールで送ったように結構ずたずたに切っちゃったけど怒らないでね。
サビがまだ最終的に決まらなくて、ちょっと迷っている。
みんな恥ずかしい青春送ってきたんだなあ。
僕は自分の「桜三月 猫の鼻」を作る。
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